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YUMIKO
2020年3月14日 01:55
【前回の記事】2011年3月11日、東日本大震災は起こった。茨城出身、当時は東京で生活していた私はほとんど被害を受けずにすんだ。それは家族や親戚、友人も同様、職場もその日のうちから通常営業ができていて、安心感すら感じ始めていた。しかし、テレビから流れるニュースは受け入れ難いほど悲惨な状況を伝えていた。それを見ているとやがて絶望感を感じた。安心感と絶望感、解離したこの二つの感情がなぜ私に
2020年3月12日 04:47
あの日から9年が経った。東京に住んでいた私ですら凄まじい日だった。地震が起こった瞬間からテレビはニュース速報ばかり、関東エリアのどこかの工場で火災が起こっている映像を見たのを覚えている。この後、被害はどんどん大きくなっていった。最終的には2万人以上の命が失われ、原発事故は今もなお解決の見通しがついていない。発生から数日後に、未曾有の事態と表現されるようになった。当時の事を思い出すと今でも胸が詰