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見える

 淡いブルーの空を、飛行機が横切っていく。その真っ白な機体はあまりにも鮮明に、まるでミニチュア模型のようにくっきりと見える。翼を広げているが、決して羽ばたくことはない。僕は十九歳で、葉桜の季節だった。紙に定規をあてて線を引くように、機体は夕陽に染まる木々のあいだに吸い込まれた。そこには、始めから終わりまでのみちすじが既に存在しているようだった。
 樹下には椅子があった。椅子はぐるりと幹を取り囲むように作られていた。どの椅子も半分ほどが木のシルエットで日陰になっていて、人々は自然と日陰の方を選んで座っていた。いや、選ばされているのかもしれない。僕はそう思った。椅子に座って、僕はただ見ていたのだった。木々は新しい葉を目いっぱいに広げていた。夕陽に照らされた葉は、もうほとんどイエローといってよかった。
 飛行機の消えた空から、空気のふるえに揺れ動く木々の枝先へ——ちょうど遠景から近景へと——視点が移り変わったとき、僕はひどい頭痛に襲われた。張り裂けそうな痛みだった。水中で息を止めているのに似ていた。雨が降る前の、湿った匂いはなかった。よく晴れた五月の夕方だった。
 僕はこめかみを両手で押さえ、目を閉じた。そのまましばらくのあいだ、何度もゆっくりと息を吸って吐くことを繰り返した。手のひらに、自分の体内で刻まれているリズムを感じた。すると、鼓動の奥底に大樹が見えた。それは僕たちが知っている限り、この世で最も恐ろしい怪物だった。十歳の子どもが五人連なって両手を伸ばしても、きっとその幹の太さには敵わないだろう。手のひらのような形の大きな葉をつけていた。記憶の日差しのなかで、大樹の輪郭は巨大な影となってあらわれた。根がこんもりと地上で波打っていた。数人の子どもが樹の下で遊んでいる。一人から隠れるように、他の数人が幹のまわりをぐるぐると動く。僕はそれを見ていた。たった一人のかれは、いつまでも追いつけやしなかった。
「変わった形の葉っぱ!」
 僕は目を開いた。小さな女の子が木の枝を拾ったのだった。ピンクのワンピースを着ていた。たしかに、枝の先にはいくつかの葉がついていた。彼女は満足そうにそれを手にすると、母親だろうか、向こうの女性の方へと走っていった。ここにあるのは桜の木だった。
「見て!手のひらみたいな大きな葉っぱ!」
 飛行機は突然あらわれて、何一つ残さずに消えてしまった。僕はただそれを見ていた。

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