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親に隠れて道草したい

夕暮れ時の雑踏で
若い夫婦の会話が耳に入ってきた。
「〇〇、そろばんの時間なのに
マックにいるぞ」

息子さんの居場所を
GPSで見ていたのだ。



電車内のテレビを眺めていたら
”子供が改札を通ると
親のスマホに通知が届く”という
安心サービスのCM が流れた。

都会での電車通学は
親にとっては心配だろう。
事故も事件も他人事ではない。
我が子が無事に帰宅するまで
毎日、気が気ではない、
それは当たり前だと思う。


でも、でもなのだ。
こういう便利さを使う時、
もしも、親の気持ちが
安全という目的の範囲を越えて
行動の監視や管理、
そういうことまでをも
求めるようになっているとしたら、
その子どもは、行動と一緒に
心まで管理されることに
なってしまわないだろうかと
心配になる。


確かに、
身の安全を何から守るのかも
昔と今では意味が違い過ぎる。

現代の親の心境は
複雑にならざるを得ないのだろう。


それでも、
親がたまたまマックの前を通って
居るはずのない息子を見かけることと
GPSで見つけられることとでは
意味がまるで違う。

学校へ行くこと、
習い事に行くこと、
勉強をすること、
それ以外の時間にこそ
子どもは伸び伸びと
その芽を、心を、
成長させていくのではないだろうか。


親に隠れて道草をして
バレないようにと
時間の帳尻合わせをして
ドキドキを押し隠しながら
何食わぬ顔で家に帰る。

親に隠れて漫画や雑誌を読み
親に隠れて背伸びした店へ行き
世の中を見る力をつけていく。

そうやって子どもは
親との距離を測りながら
大人になっていくのだと思う。
そうやって
子どもは子どもの、
自分の世界を広げていけたらいい。



満員の通勤電車で
有名中学の制服を着た子を見かけた。
真剣な顔で本を読んでいる。

本は、SFファンタジーの表紙だ。

教科書じゃなくてよかった。
勉強だけにのめりこまないでね。

目の前に立つお節介なおばさんの
心の声など聞こえるはずもなく
少年はファンタジーの途中に
しおりをはさんで
電車を降りて行った。

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