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ひよちゃんとオレンジ

ヨシ子さんの庭の梅の木は、
毎年花がほころぶ頃になると
半切りのオレンジがいくつも無造作に挿されていた。

玄関のすぐ左側にある薔薇のアーチをくぐると
レンガの小道が車椅子の幅で整えられていて、
右手には人の背丈ほどのかわいい梅の木が植っていた。

その梅の木の奥にヨシ子さんの部屋があったから
梅の花にまじって空を見上げるオレンジは
ヨシ子さんのベッドからもよく見えた。
枝えだにブスりブスりと挿されたオレンジ。


優雅なしつらえの庭のはじっこで
一見雑なようにオレンジがいくつも挿されたその光景は
ヨシ子さんの娘さんの、親孝行だった。


「ほら。ひよちゃんよ。」

訪問看護でヨシ子さんのリハビリをする途中、
ヨシ子さんはベッドの左側にある出窓の向こうを見やって言った。
白いレースのカーテンは両脇に綺麗に留められていて
大きな出窓から梅の木は丸見えだった。


オレンジの粒々を一心についばんでいたのは、ヒヨドリだった。

「ほら、ひよちゃんよ」の声で
初めてそれを見た時には
私は歓喜の声を上げた。
ヨシ子さんは満面の笑みで
ひよちゃんと私とを交互に見た。
祖母よりは若いヨシ子さんだが
まるでおばあちゃんの眼差しに包まれたみたいだった。
ヒヨドリがついばむ姿を見た楽しさと
おばあちゃんの眼差しの優しさで、
なんとも言えない幸福感に包まれた。

ヨシ子さんを介護する娘さんの親孝行は
私までも幸せな気持ちに巻き込んでくれたのだ。
そして毎年の春、それは巡ってきた。


ヨシ子さんと娘さんとは
5年もの間、週に3回も顔を合わせていたから
下手したら友人よりも、会っていた。
私よりひと回り半、年上の娘さんと
その母親で90に手が届きそうなヨシ子さん。

看護師である私を
看護師である以上に
お二人はいつも歓迎してくれた。
そしてヨシ子さんや娘さんに起きた
たくさんの出来事や事件を共にした分だけ
悲喜こもごもの思い出が蓄積していった。

キッチンには私専用のカップまで並ぶようになり、
仕事の枠の中ではありながら
仕事だけでは通わない暖かい何かが
流れるようになっていったのだ。

その日々の中でも
ただただ微笑んで庭の梅の木のヒヨドリを眺めていたあの時間は、
3人の誰も辛くなくて、静かで平和だった。
仕事を超えた愛の思い出の箱に入っているとすら、今は思う。


今から5年前にヨシ子さんは天国へと旅立ち、
それからは
娘さんと季節のお便りを行き来させた。

そして2年前、
私が横浜へと移住するその前夜に
娘さんはお別れに会いに来てくれて、
旧知の友のように私たちは別れを惜しんだ。

移住してきて初めての春。
ちょうど一年前のことだ。
私は住んでいる家の庭で
”ひよちゃんとオレンジ”の再現を試みた。

八朔を半切りにして、
庭の木の枝にブスりブスりとやってみたのだ。


来た来た。
ついばんでいる。ヒヨドリだ。(写真)
そして、娘さんにメールした。
「横浜にもひよちゃんが来てますよ」、と。

娘さんはその年も
思った通りヒヨドリを庭に呼んでいた。
すぐに返ってきたメールは
ヒヨドリは夫婦で来ると確信した、だとか
カラスが天敵だから要注意、だとか
観察がバージョンアップしていることを知らしめて

最後に「懐かしいですね」と
締めくくられていた。


移住して2回目の、この春。
私は八朔を枝に挿すことをしなかった。

冬に娘さんからの便りが途絶えていて、
そして、ご主人からメールを受け取ったのだ。
病に倒れたのですと、
もう自力では連絡が取れないのですと。

だからなのか、どうなのか、
私は今年は八朔を枝に挿す気にならなかった。


この頃、朝の公園を歩いていると
ヒヨドリを見かける。

あの、尾っぽの長いサマを見ると
「あ、ひよちゃんだ」と
ふと胸の中でつぶやいている。

そして、記憶の中のあの景色が思い浮かび
顔がほころんでいるのを感じる。

胸が温まった時間の記憶は
いつまででも
胸を暖めてくれるものなんだ。

あの人たちとの出会いに感謝をしながら
緩んだ頬で、一人ひよちゃんを眺めている。

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