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新たなる”故郷”

『住んでいた町を離れた瞬間に
そこが新たな”ふるさと”になる。』

一年と少し前の引っ越しの日、
電車でその町を後にしながら、そんなことを思った。

自分が生まれ育った県のお隣の県にあるその町で、
子育ても仕事もして、20年以上の月日を過ごした。

人生の中堅期とも言える時代を過ごしたその町は
行く先々に娘達との思い出が散りばめられている。
人との関わりの思い出もそこここで蘇り
仕事でのエピソードがあちこちでふわっと頭をよぎる。


訪問看護などの在宅関連の仕事で
町の端から端まで人を訪ねて行ったり、
さまざまな地域の人と出会ったりした私は、
町の長老のような人から話を聞く好機にも恵まれていた。

生まれ育った町で人生を終える。
そういう私とは縁遠い生き方の人から聞く話は
自分の町の歴史と伝統への誇りや、
そこに居続ける安心感、
変わらぬもの変わりゆくものへの複雑な思い、
いろんなことを含んでいた。

そういう話を聞く機会のおかげで
私は自分自身が体験したこと以上に
あの町を感じられたのだと思う。
だからこそ今、あの町を懐かしく
まるで”故郷”のように
感じているのかもしれない。

モノも人も移ろいゆくものと考えている私は
長く暮らしたその町を離れると決めた時、
さっぱりしていた。

後ろ髪を引かれるものは何もないし、
この町を訪れることはもうないかもしれないな、
格別な感傷も芽生えないんじゃないかな、
そう思っていた。

予想はハズレた。
そうじゃなくなった。

ラストの半年の間に私は、
思い残すことがないようにと
体験や出会いを整理するかの如く行動しまくった。

その結果、「この町でやることはやり切った」
という満足感の反対側で
どうやら懐かしさをさらに散りばめていた、
そういうことになったようだ。


だから、後ろ髪こそ引かれないものの
町を後にするあの時に
ふとその町が、”故郷”に変わったのだ。
”故郷”とは、帰りたくなる場所のことだ。

思いがけず”故郷”になったその町に
この夏、遊びに行こうと思う。

行きたい場所、見たい景色、
食べたいもの、会いたい人。

散りばめた懐かしいものを感じに、
そしてきっとまた新たな何かを散りばめに、
行ってこよう。

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