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『魂を鍛えるのはおしまい。これからは魂を磨くのよ。』

算命学を長く研鑽されている方から
こう助言をされたのは、ちょうど一年前のこと。

算命学は、誕生した時に人生の役目が決まるという考え方の
中国に古くから伝わる占法だ。
昨年知り合った友人の紹介で、
私の生年月日を見てもらう機会があった。
私の人生に関する鑑定資料は何十枚にも及んで、
とても全てを理解はできなかったけれど
その中でも印象に残った言葉のうちの一つが、これだった。

『魂を”鍛える”のはおしまい。』
自分と価値観の異なる人とばかり出会って摩擦に心をすり減らしていた、
33才から53才の20年間の運勢が終わった、ということ。
荒波に揉まれる岩のような鍛え方は、もうおしまい。

『これからは魂を”磨く”のよ』
人生の役目を果たすために自分で生き方を定めていくと
しかるべき人と出会うようになる。
そういう関わりの積み重ねで
これからは自然に心を磨いていく、ということ。
清流をコロコロと流れるうちに丸く磨かれる小石のように、
きれいな流れで、魂を磨いていく。

そうかそうかと腑に落ちながら、
同時にはたと思ったのは、
これって、私に限った話ではなくて
どの人にも当てはまるんじゃないか?ということだった。

価値観の異なる人との出会いばかりで自分をすり減らすよりも
自分の気持ちが前を向いていけるような出会いを重ねていく方が断然いい。

と言っても価値観の異なる人が悪いということではない。
あくまでも自分と合うか合わないか、だけの話だ。

それに、価値観の違いを目の当たりにすることは、
自分の大切にしたいこと、逆に嫌だと思うこと、
そういう自分の”芯”を知るきっかけにもなる。
そしてそれは、視野を広げたり、
自分の許容も広げられるチャンスともなるのだ。


人は自分の生き方を定めると、
人生の舵を切ったかのように、
どんな人と出会うのか、というのも変わる。

今まで話が合うと思っていた人と合わなくなったり、
今まで心地よく感じていた場所がしっくりこなくなったりする。

そして、行く場所が変わればそれに連れて出会う人も変わり
その時の自分の価値観に共鳴するような人に出会いやすくなる。

そのほとんどは思いがけない出会いで、
好きな本屋さんのお店番さんだったり、
大勢の会合でたまたま隣り合っただけの人だったりと、
もしもその瞬間を見逃してしまったり、
声を掛けるのを躊躇ったりしたら
もう次に会うことはない、そのくらいの確率の出会いだ。

出会いで受け取った刺激や言葉、
その人の生き方考え方を
自分の中に積み続けていくと
どこかのタイミングで、あ、私変わったかも、
そう感じる時がくる。


数年前から私は引っ越したり仕事を変えたりして
舵を切って、切って、暮らしている。
そうやって、動いた分だけ出会いがあった。
そうして、あ、ここに繋がった、と感じる瞬間には
思わずガッツポーズだ。

いつだって先のことは見えていないから
見える時までは、ひたすら黙々と動いている。
そしてようやく見えた時に
「やったー!」となるのだ。


人生に必要のない経験はないと言う。
出会いにだって、必要ない出会いはない。

地球で暮らす人の中で、たまたま出会うのだから
巡り合わせの不思議の確率というのは、果てしない数字だ。


魂を磨くという大仰なことでなくとも、
この長いようで短い人生で何をしようかと、
自分の気持ちに素直に、出会いを見逃すことなく、
しょげる日には気が済むまでしょげて、

また次の日から毎日、毎瞬、考えて動いていきたい。

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