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自己肯定感を高める練習をした結果起きた母とのひな祭戦争

2歳半の娘を妊娠していた3年前から、たくさんの育児書を読んできた。
Amazonのランキングが高かったものから、本屋や図書館で目についたものまで片っ端から。
読んでためになった本、後々娘が大きくなった時のために記録として残しておきたい内容はブログにまとめていたのだけど、ブログに残した本だけでも軽く50冊はあった。

子育てにおいて何より大事だといろいろな本に共通して書かれていたのは、今流行りの、自己肯定感

自己肯定感とは、いろいろな定義があるけれど、私は、
「自分の存在価値に絶対的な自信があり、他人がなんと言っても自分の大切にしていることを大切にできること。」
と捉えている。

かくいう私は自己肯定感が著しく低い。
いや、低かった。
子が生まれてから練習して訓練して、だいぶ高くなってきたのだ。
 
幼い頃の私は母の言うことをよく聞く所謂「素直ないい子」「聞き分けのいい子」で、
自分が欲しくても妹が欲しがったら譲ってあげる「いいお姉ちゃん」だった。(セーラームーンの好きなキャラですら妹に譲ってた)
学生時代は友達に嫌われるのが怖くて協調性と共感力だけで乗り切り、本心を言えなかったり、素が出せなかった。

親がやりなさいということではなくて、自分が本当にしたいことは何か、
友達が好きだから、ではなくて、自分が本当に好きなものは何か、
なんて、自分自身に問うたことなんてなかった。
もちろん「で、本当のところはどうなのよ」だなんて誰からも聞かれた記憶はない。
なんとなく、周りが良いとするものを良いと言い、周りと同じようなことをした。

だから親の言う通りに受験勉強したし、大学に行ったし、周りがするように就職活動をした。
素直にコツコツ頑張れるタイプだったからそこそこのところには行けたけれど、「本当にそれがしたかったの?」「それをした結果幸せになった?満足した?」と聞かれたら自信を持ってYESとは言えない。
(私は弱いのでつい過去を正当化したくなってしまって、あれがあったから今の自分があるんだーなんてよく言ってしまうのだけれど。)

自己肯定感を高める練習をしてみた

たくさん読んだ育児本に共通して書いてあった自己肯定感を高める方法は、
とにかく、自分は何をしても愛される存在だと安心できる場所があった上で、自分で物事を選択し、その結果に自分で責任を持つこと、だった。

「自己肯定感を養うのに必要なのは「アンコンディショナル・ラブ(どんなときも何があってもあなたの味方です)」と「フル・アテンション(いつもあなたを見守っています)」」
by「成功する家庭教育 最強の教科書 世界基準の子供を育てる」

「子どもの存在を認めること」
「個性を認めること」
(子どもを自分とは違う一人の個性として尊重すること)
by「非認知能力の育て方」

「自分で何かを決め、その結果を受け止める」
by「自己肯定感 育成入門」
などなど。
 
どの本にもあたりまえのように書いてあって、衝撃を受けた。
確かに愛してもらっていたと思うけれど、親の期待する通りの子どもでいなければ見捨てられるという恐怖心は常にあった。
そして、前述した通り、自分で選んでこなかった。
自分で選んでいいなんてことをそもそも知らなかった。

常に自信がなくて、人の顔色を伺う癖がついて、頑張っても頑張っても幸せに近づけなくて、どこか生きづらさを感じていたのは、そういう理由だったんだって気づいた。
 
娘にはそんな風になってほしくなかったから、まずは母である私が変わろうと思った。

何かを選ぶチャンスが来た時は「どれでもいい」「なんでもいい」「あなたはどれがいい?」を一切封印し、「選ぶ練習」をしてきた。

まずはレストランのメニューから。
それまでは「夫とはかぶらずに、娘も食べられそうなもの」から選んでいたけれど、本当に自分が食べたいものを選ぶ。
最初はこれすらできなかった。
でも自分の気持ちを押し殺して、自分を犠牲にしたマイナス分の方が、周りに提供したプラス分より大きい気がして、やめようと思った。
私が我慢してることなんて、誰も気づいてないし、だから感謝もされない。
じゃあもうやめようと。
練習しているうちに、徐々にできるようになってきた。
 
すると、それまで普通に我慢できていたことが、もう我慢できなくなってきた。
私の意志や気持ちを全く聞かずに「◯◯して」と言ってくる親に対して怒りの気持ちが湧くようになった。

母との間に勃発したひな祭り戦争

我が家(私と夫)は、お宮参りとか、ひな祭りとか、七五三とかそういう伝統的&形式的なイベントにはあまり興味がなく、それよりも日々の暮らしの中でできるだけ多くの時間を娘と過ごして成長を見守りたいという方針。
だから企業で長時間働くことをやめて、東京から地方に移住した。
今は毎日家族3人で過ごしながら、楽しく暮らしている。

そもそも我々は、結婚式ですらやる意味あんのか?ウェディングドレスなんて着たくない…でも親がどうしてもって言うからしゃーなしコスパ優先で仏滅の日に簡易的な食事会をやった、みたいな夫婦。
それでも結婚10年目になった今もめちゃくちゃ仲良し。
毎日夫に感謝してる。
形にこだわるよりも、大切なものを見逃さずに日々を大切に生きたい。

※間違って伝わっていたら嫌なので補足しておくと、こういうイベントをちゃんとやる人のことを否定している訳ではなくむしろ尊敬していて、イベントをしているからって日常を大切にしてないって言いたいわけでももちろんなくて、我が家は両方に割ける経済的物理的リソースがないよって、だけです。

我が家のこの方針は、それこそ結婚式やるやらないで親と揉めた時から、
娘が生まれてお宮参りやるやらない、初節句やるやらない問題が起きる度に親には散々伝えてきたのに、
昨日突然母からLINEがきて、「あなたが昔着ていたひな祭用の着物を送ったから写真撮って送ってね」ときた。

親のため人のため我慢することをやめた私は、もう我慢ができず、
「前から言ってるけどうちはやらないし、こちらの意志を確認せずものを送ってこないで」と伝えた。
ずっといい子ちゃんだった私の、遅すぎる反抗期。
 
母は、なんでたかが着物でそんなに怒るのかわからない、と言った。
 
もう、全然伝わってなかった。
 
伝わってないなら伝えなくては、と、
今まで自分の気持ちを押し殺して母のことを優先してきたこと、
何度説明しても私がやりたくないことをやれと言ってくるのが嫌なこと、
もう我慢するのはやめたことを伝えた。
 
そしたら母は、
「私のことを優先してくれたり親孝行するのが優しさでしょ?」「その優しさが嬉しかったのに」と言った。

もうダメだと思った。
何が問題か伝わってないし、理解してもらえない。
もちろん謝ったり申し訳なさそうな態度もとることはない。

自分の気持ちを優先した結果私は、母の中で優しくない人になったんだな。

あなたの幸せを願ってるなんて口だけ、
実の娘の我慢や精神的苦痛の上に成り立つ優しさを受け取って本当に嬉しいですか?
と聞きかけて、流石にやめた。 

母はなぜ「素直で優しかった」私がこんなことを言うのか理解していない。
きっと私が結婚して家を出てから夫に悪い影響でも受けたんだろうとか思ってるんだろう。

今回、「自分で」怒りを選択したし、「自分で」母に抗議することを選んだ。
 
結果母とはそれまでのように(表面的にも)良好な関係ではなくなってしまったかもしれないけれど、私は自分の口で言えたことに、それを選択できた自分を誇りに思っている。

自分の心の幸せを願って行動すると、多少の犠牲は払うものなのかも。


自分の本心を大事にしたい私と、昔からのいい子ちゃん病な私が未だに格闘していて、まだモヤモヤしているから、ちょっと荒いけど感情のまま記事を書いて成仏させようと思った次第です。
 
読んで下さった皆様ありがとうございました!


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