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趣味の学びとして通っている文章講座の課題として書きました。
完全創作の小説です。よかったらお読みください。

 レンガ造りの壁に目をやると、隅の方に小さな穴が開いているように見えた。大きさは人差し指が入るかどうかくらいのもの。本当に穴が開いているかどうか確かめたわけではないが、そう見えてしまった途端、あちら側にとてつもない暗黒の世界が広がっているかのような気持ちになった。

 想像の世界はいつも薄暗い。色でいうと黒かグレーか。というのも、わたしはどうも目に見えないものに対して、強烈な不安を覚える傾向があるようだ。たとえば銭湯で湯船につかっているとき、ふと見上げたら、たいていは黒いものが目に入り、そこから先はなにか怖いものが待っているに違いないという想像がふくらみ、いてもたってもいられなくなる。
 小さい頃、聞いたことのあるような音が流れている。ゲームで土管にもぐると切り替わる、低めの音が規則的に続くような曲だ。遅めのランチを摂るために入ったカフェに流れる音楽だった。
 そういえば、ゲームをしていてもこういう曲に切り替わるだけで、怖いことが起きるんじゃないかって緊張して、ゲームの世界ですらうまく進めることができなかったことを思い出した。初めて挑戦するゲームなんて、特にそうだった。
 このカフェも何度も何度も入ろうとしてはやめて、意を決して入ってみた場所だ。店員さんが素っ気なかったらどうしようとか、コーヒーが美味しくなかったらヤダなとか、お店に入るまでにいろんなことを想像した。しかもそのほとんどは杞憂に終わった。

 そんなことを考えているうちに、いつの間にか音楽はよく知っている曲に変わっていた。ラベルのボレロだ。一段階音量が上がったところでさきほど注文したものが運ばれてきた。いつものランチセットだ。生姜焼きがメインで、キャベツの千切りが添えられていて、あとはごはんとお味噌汁。食後のドリンクもついてきて、これもいつもホットコーヒー。初めてこのカフェに入ってから、もう一年近くになるが、そのほかのものは注文したことがない。仕事の関係でだいたい月に一回はここに立ち寄り、毎回このランチを食べている。メニューに書かれた一通りのものを毎回確認しているので、この店が他にどんなものを出しているかは知っているし、たまにはたまごサンドでも食べてみようかと考えないわけではない。ただ、今回はたまごサンドにしようかという気持ちに対して、もう一人のわたしがいつもささやいてくる。朝ごはんにパンを食べたのにお昼もパンにするのかとか、たまごを食べ過ぎじゃないのとか、それでおなかいっぱいになるのとか。
 そんなことが一瞬にして頭をかけめぐった。生姜焼きと一緒に運ばれてきたフォークとナイフと割りばしとおしぼりが入ったかごから、わたしはいつものとおり割りばしを取り出した。そしていつものとおり、生姜焼きを口に運んだ。いつもと同じ味だ。今日も失敗はしなかった。同じことを繰り返せば、それらは初めから現実で、薄暗い世界になることはない。

 ボレロが終盤に向かって一層音量を上げたところで、食後のコーヒーが運ばれてきた。コーヒーからは湯気が立ちのぼっていた。食器が片付けられていくのを横目に、心地よいメロディを存分に味わった。ぼんやりと湯気を眺めながらカップに手を伸ばした。陶器の取っ手からはわずかなぬくもりを感じた。わたしはゆっくりとカップを持ち上げた。芳ばしい香りに包まれたところでカップを傾けた。カフェに流れる音楽が切り替わると同時に、黒い液体がグルグル回りだした。

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