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「あの子、障害があるんですか?」と大人に聞いたらすごい剣幕で怒られて混乱した小学校時代の話

翌月に控えた歩き遠足の班分けが行われた。

歩き遠足は兄弟学級(1年生と6年生、2年生と5年生、3年生と4年生)でペアを組んで、手をつないで歩いて広い公園まで遠足に行く、という行事で、とても楽しみにしていました。

楽しみすぎて、4年生か5年生の頃は当日熱を出してしまう(そして結局行けなかった)くらい好きな行事。

小学6年生になった私は遠足の班長になり、兄弟学級の1年生の教室に挨拶に行くと・・・

走り回るA君

1年生の教室に行くと、ペアになったA君が、それはそれは衝撃的なくらいに走り回っていました。

自己紹介をしても、「あれ?聞いてない?」・・・というか、待って~~!と廊下で鬼ごっこ。

なんだか楽しそうなA君と、ちょっと焦る6年生の私。

そしてちょっと困り顔の担任の先生たち。

この子は運動が好きなんだな、くらいに思って。

手をつないで歩いて遠足に行けるかちょっと心配だけど、1年生可愛いな。遠足に行ったらたくさん探検できるかな。とわくわくしながら過ごしていました。


A君は耳が聞こえない?

遠足を控えたある日、廊下で立ち話をしている先生たちの会話が聞こえてきました。

どうやらペアのA君の話みたい。よくわからないけど、なんだか気になる。

A君は”フツウじゃない”というような話題になっていて、”ショウガイ”というような言葉も聞こえてきて。

難聴の友達が身近にいた小学生の頃の私には”障害”=耳が聞こえないor車いす というくらいの意味理解だったので、

A君は耳が聞こえないから会話ができなかったのか!と驚き、遠足の時に何か気を付けた方が良いことがあるかもしれないな!と、純粋に気になった私は、先生たちに聞いてみた。

「A君って障害があるんですか?」
すると、すごい剣幕で
「そんなこと言ってはいけません!」と怒られた。
「そんな風に言われているとA君のお母さんが聞いたらどう思うと思いますか!」とも。
え、なんで怒られた?何がだめだったの?
障害っていう言葉がいけなかったのか・・・

はっきりとは分からないまま、でも、きっと触れちゃいけないことだったのか、と質問したことを後悔して落ち込む。

小学生の頃の出来事なのに今でもありありと覚えているので、相当ショックだったのでしょう。

どのように返答したのかは覚えていませんが、障害児という言葉は使っちゃいけないんだということだけは納得して、遠足を迎えました。


遠足当日

やっぱり手をつないで歩くのは難しかった。

全体の列からは外れ、道草を食いながら(本当に道草を引っこ抜きながら)マイペースに公園まで向かう。

お弁当の時間になっても、石垣の上に登っていくので一緒に追いかけっこ。元気いっぱいのA君とはすっかり仲良くなって楽しい行事を終えました。

遠足が終わってからも、ペアで給食を食べたり、手紙交換をしたり、A君が可愛くて、もらった手紙も大事にしまっていました。

1年間、仲良く過ごせたけれど、やっぱりA君について質問したときに先生に怒られたことはもやもやしたままでした。

一連の出来事は今もその時に光景とともに残っています。


当時を思い出して

今は言語聴覚士として発達が気になる子や難聴など多様なお子さん・ご家族の支援に携わっています。

今、このエピソードを通じて思うことは

◆怒られた理由がわからないと混乱し傷がつくだけ
◆大人の対応によってその言葉のイメージが変わる
◆丁寧に扱いたい話題こそ、子どもが関心を持ったタイミングで子どもが理解できる言葉をつかって会話するべし

◆怒られた理由がわからないと混乱し傷がつくだけ

障害という言葉の使い方には議論があります。今回は細かく触れませんが、医学的、または社会生活上の障壁として妥当性をもって使うようにしています。

確かに、いきなり「障害がある子」という言葉を使うことは聞いた側、使われた側はびっくりしてしまう方がほとんどだと思います。

しかし、小学生くらいでは「障害」という概念も曖昧なもので、(まして当時は発達障害という概念もほとんど知られていなかったので)なんの悪意も偏見もなく質問した自分には、なぜそんなに怒られたのかわかりませんでした。

そして、思いがけず怒られたという事実が、ショックで落ち込みました。

せめて、「どうしてそう思ったのか」とか「”障害児”ってどういう意味だと思っているのか」と、聞いてもらって対話が出来ていれば混乱しなかったはず。小学6年生であれば十分納得できるところまで話し合えたはずです。

◆大人の対応によってその言葉のイメージが変わる

結局小学6年生の私は、「障害」という言葉や話題に触れて怒られた=これは話題にしてはいけない、ということを学習してしまいました。

幸いその後の経験や学習を通じて、今に至りますが、大人が避けることは避けた方が良いと思うのは自然なことかと思います。

周囲の大人がどのように対応するか、子どもはよく見ている。

子どもと関わる全ての大人は、自分が子どもに与える影響を意識して、一挙手一投足に気を配る必要があるはずです。


◆丁寧に扱いたい話題こそ、子どもが関心を持ったタイミングで子どもが理解できる言葉をつかって会話するべし

2000年代から発達障害という言葉・概念が社会に浸透し始めました。

今なら、もしかしたらA君に診断名がついたり、特別な配慮をしてもらったりしているかもしれません。

ただA君についてもっと知りたい、どうしたら仲良くなれるのか、というシンプルな気持ちで質問したのに、大人にそれを遮断された。それ以上発展することなく時が経ってしまった。

障害や性的マイノリティ、国籍など子どもにとって十分に理解しづらい話題は多岐にわたります。

子どもの興味関心が薄い状態で、難しい話題を一生懸命大人が教えようとしても、当然頭に入らない。だから、子どもの口から疑問がなげかけられたタイミングを逃さず対話して向き合いたい

その時はよくわからなくても、数か月、数年経って、言っていた意味が理解できる時が来ることを信じて向き合いたい。


子どもの疑問に答えるのは大変だけど、面白い。

「せんせいは、おひるごはん、なにたべたの?」

「おにぎりだよ」

「なんで?」

・・・え?なんで?なんでだろう・・・

なんて会話を日々しながら子ども達のなんでなんで攻撃に向き合ってみたり。

その子の興味の先にあるものを見つけて、時間や想いを共有し合えることをこれからも大切にしていきたい。

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