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ライフサイクルについて

家族療法について学ぶに当たり、避けて通れないのがライフサイクルという考え方だ。そこで今回はライフサイクルについて私なりの解釈や考えを記したいと思う。

人生の節目に潜む課題

ライフサイクルと言われるとピンとこないかもしれないが、日本語で意訳すれば人生の節目とそこで取り組むべき課題と考えればいい。

ライフサイクルについては多くの心理学者たちが述べているが、最も有名なものはエリクソンが提唱したものだろう。

彼の名前やライフサイクル理論について知らなくても、アイデンティティ(自己同一性)ということばは耳にしたことはあるはずだ。いわゆる思春期における自己同一性の確立(私は何者なのか?という問いに対する肯定かつ確信的な回答を持っていること)が、人生の前半期と後半期の境目である思春期から青年期の大事な課題であるとされてきた。

そして、中年期を人生の課題として大きく取り上げるのがレヴィンソンユングのライフサイクル論だろう。

この時期も女性は更年期に差し掛かる。男性も若い頃より体力が低下し、生活習慣病などのリスクも高まる。

人によっては子どもたちも独立し、そろそろ定年後の生活を視野に入れ始める時期と言ってもいい。まさに人生の後半戦に向けて切り替えていくタイミングだろう

ライフサイクル自体の大変化

しかし、これらの理論が提唱されたのは第二次世界大戦終了から程遠くない時期だ。この頃の平均寿命は今よりもずっと短いから今のような100歳近く生きる人生は想定されていない

こちらはまさにそんな人生最後の課題について書かれた社会学者春日キスヨさんのご著書『百まで生きる覚悟』に関する春日さんと樋口恵子さんの往復書簡(『百まで生きる覚悟』は私の母N子さんもイチオシの一冊です。)。

吉本隆明氏も老年期について問題提起しているが、こちらは鋭い面もありつつジェンダーや教育論の面については今の時代にマッチしていない印象を受けた。

そして、最近の研究ではなんと思春期・青年期も長期化しているという。

こちらは第39回労働政策フォーラムの記事

https://www.jil.go.jp/event/ro_forum/giji/20090606/teiki04.html

こうなってくると、従来のライフサイクル論は人生の流れとして参考にしつつも、より現実に適応する指針を保つ必要がありそうだ。

そして、それは家族のシステムについても同じことが言える。では、人の寿命や生活の変化も念頭に置きつつ、家族システムにおける発達課題も見てみよう。

家族システムにおける発達課題

家族療法のテキストなどに載っている一般的とされている家族システムの変化について以前家族療法セミナーに際して表にまとめたものがあるので掲載する。

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この表からも分かるように、一定の年齢になると生まれ育った家族から離れてカップルを作り、子どもを生み育て、親を介護して看取り、そして自分の老年期を経て死に至るというライフサイクルと連動して家族の形も変化している

人間社会の中で行う日常生活動作(食器を用いて食事をする、服を着替える、トイレで排泄する、入浴する等)や家事全般や教育、金銭管理などはあまり他の動物では見られない行為だ。

改めてこの表を見て思うのが、家族ができた理由は人が人として生きるための基盤を作ることなのだろう、ということだ。

しかし、今の世の中で人が人として生を全うするのは意外と大変で、人であるための基準がどんどん底上げされている印象を受けている。

今の社会は知識とテクノロジーを駆使して快適さを追求した結果としてできたものだが、裏を返せば様々な能力をネットワークのように組み合わせながら総合力をさらに上げることが求められる

大人なら誰もが家事も仕事もこなすのは当たり前で、それを家族で情報共有しながら進め、さらに育児や介護も、と他者のケアをする項目が加わる。

こう見てみると核家族社会では便利なツールや外部の助けが必要なのは当たり前だとは思うが、他者に助けを求める、便利なツールを利用するのも実はかなり高度なコミュニケーションや調整能力が必要で、その段取りが組めないことで一気に差が開いてしまうことが往々にして見られる。

そして、この家族システムの発達理論もライフサイクルの話同様時代と共に見直しが迫られていると私は考えている。

家族が果たしてきた役割

そもそも家族システムの発達理論について議論され始めた頃は女性は家庭で家事労働をするのが前提の時代だ。

女性が家庭でやってきたことの中で、つい関わっていない人が見落としがちなのが感情労働と言われる分野で、最近では名もなき家事、見えない家事とネットなどでも話題になっている。

実はこれこそ家族が担ってきたものの本質であり、かつ家族以外の人や金銭授受を伴う労働ではカバーしづらい。だからこそ愛ややりがい、絆といったことばで美化して搾取され、消費されてきた面もあるのだろう。

また、注目したいのが女性が働く分野で多いのは感情労働の割合が高く、かつ労働量に比べて賃金が低く、そして非正規雇用が多いということだ。これはかつて家族が担ってきた労働を低コストで家族以外の女性が担っているという状況が多いからなのかもしれない。

感情労働の可視化は女性が担ってきた労働の存在と必要性への認識という大きなメリットはあったが、無理やり資本主義の枠に押し込めてしまったことによる弊害も出ている(この問題について以前記事を書いたので、よかったら)。

人が幸せに暮らすには何が必要で、どんなライフサイクルや家族(もしくはそれに代わる暮らしの土台となる助け合いの形)が自分には望ましいのか?この記号化・言語化・換金化の流れの中で失われ、見落とされている大切なものは何か?を丁寧に考えていくことがとても大切だと思っている。

これからのライフサイクルで出てくる課題

前の項目でも触れたが、これからは人生100年時代が到来すると言われている一方で、親世代ような老後生活は難しいともされている。

少子化に加えて長寿化しているから年金だけで足りないなら元気なうちは働くことが前提だし、親世代が受けている介護サービスも私たちが必要な時にはどうなっているかは正直分からない。

不安に感じた読者もいるかもしれないが、親世代までの人たちにあった様々な世間体やしがらみに捉われずに生きられるという大きなメリットもあるし、私個人は油断せずにできる準備や対策をしつつも先のことは分からないからねー、という気持ちでいる。

以前色々不安になって問題をどんどん紙に書いて分析してみた対応策は

1.今よりも小さな住まいに転居しても暮らせるよう余計な物を処分する

2.定期的に予算や収支の確認を行い、お金の遣い方のメリハリをつける

3.他人と比較せず、自分の身の丈に合う暮らしを心がける

4.法律や制度を調べ、自分が使うべきものは適宜利用する

5.必要に応じて他者に助けを求め、自分も他者に求められたらできることを応じる

となった。

なーんだ、ずっとやってきたことじゃないか!と妙に肩の力が抜けた。きっとこれからも色々あるとは思うが、当面は人生の折り返し地点を通過しつつある自分達の暮らしと、80歳を超えた双方の親の介護という壮年期のライフサイクルの課題に向き合うことになりそうだ。






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