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アスペルガーの館 講談社

この本は40歳になる節目の年に出た。発達障害当事者の手記は今ではたくさん出ているが、療育経験のある知的障害のない自閉症スペクトラム(ASD)当事者+専門教育を受けた支援者+パートナーも発達障害者という立場の人の手記は今でもなかなかお目にかかれない。

特に私が生まれた1970年代は自閉症は母親の愛情不足が原因というのが医療の世界でも通説だった。今でも定期的に浮上してくる説だが、様々な研究で否定されてきたし、この当時でも一部の研究者の中には自閉症は脳の処理過程が一般の人達の違うのではないか?と考えている人もいた。

ちなみに私の障害を指摘した心理士さんが母に勧めてくれたのがこちらの本。

母は独身時代教師として働いたこともあったし、その後職を辞して上京して看護助手として働きながら精神分析を学んでいた。そんな経験も織り交ぜつつ理論的な背景は本で学びながら生活の中で療育をしていった。ある意味世界的に見ても相当先進的な環境で育ったと言えよう。

夫にも「由美の経験はとても貴重だから、発達障害の情報発信をしていくことは世の中の役にも立つし、君の義務だと思うよ」と言われたこともあった。

同級生との再会

この本を出すきっかけとなったのは、たまたま高校の同窓会からの依頼で同窓会報に近況を書いたことだった。

それを読んでくれた高校の同期で講談社に勤務している長岡香織さんからメールが届き、約17年ぶりに再会した。

彼女は当時児童書の部署で働いており、子どもを取り巻く世界でだんだん発達障害の話題が増えてきたと感じていたそうだ。そんな折に私の近況を読んで話を聞いてみたいと思ってくれたらしい。

言語聴覚士としての業務はもちろんだが、発達障害の当事者としての視点からの話は彼女にとって興味を引いたようで、その後も時折メールをやり取りしていた。

彼女と話をするにつれて「もっと発達障害の人に対して親しみを持てるようになるといいのでは」「生活の工夫などがもっと分かるといい」という話になり、一緒に本を出すことになった。

そうは言っても思ったより自分について書いていくのはなかなか難しい作業だった。

最初の著書である『声と話し方のトレーニング』は支援者としての立場での視点だけでまとめたもので、私としてはこちらの方が自分の主観が混じらない分原稿としては書きやすかった面もある。

長岡さんも当時かなり悩んだそうで、当時彼女の上司だった小沢一郎さん(乙武洋匡氏の著書『五体不満足』の担当編集者)にも相談に乗ってもらい、ライターの方にも原稿整理などを手伝ってもらった。

ちなみに小沢一郎氏の近況や乙武洋匡氏との関係はこちらに詳しい。やはり小沢さんのアドバイスをもらえたのはとてもよかった、と私個人は感じている。

多くの人の手を借りた上に母の記録や夫との付き合い始めた頃のメールを読み返すといったある意味自分の黒歴史を掘り起こすような作業もあり、結局企画がスタートしてから出版まで3年もかかってしまった。

出版後の変化

この本が出てからは発達障害関係の講演などに声をかけてもらう機会が増えた。特に保育士や特別支援教育関係の研修といった専門知識もあった方がいい場面で話をすることが多くなった。

当事者だからこそ分かる経験もさることながら、支援者として現場で働いた経験や夫との暮らしの中での工夫についても評価してもらえているのはありがたいことだと思っている。

実家との付き合いも変化が出た。本を出して少しした頃母から「整理整頓や片づけを手伝ってほしい」と頼まれ、年老いた両親のサポートをするようになった。

お陰で介護が必要になった際もお金や介護についてある程度親の意向を理解できたし、あまり迷わずに動けたことは思わぬメリットだった(もちろん新型コロナという思わぬ状況で混乱はあったが…)。

この本をきっかけに新たな本の企画も出てきた。そういう意味では私という人を知ってもらうには最適な名刺のような著書とも言えよう。

最近も『アスペルガーの館』を読んだ方から取材依頼があり、インタビュー記事を掲載してもらった。

それにしてもこんなおしゃれな女性誌に大人の発達障害が取り上げられることになろうとは…。私が学生の頃には想像もつかなかった現象で少々戸惑っている。

残念ながら紙の本(夫の業界では物理本と言うらしいが)は品切中で、新刊は電子書籍のみとなっている。映画化とかドラマ化とかすると増刷するかなー、と他力本願なことを妄想している今日この頃である。





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