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自分の船の舵を人に握らせるな

昔、兄のように慕っていた人と手紙のやりとりをしていた時期があった。

遠いところに行ってしまった兄(のような人)に向けて、当時10代だった私が書く内容ときたら、恋愛や友達、仕事のこと。ぜーんぶ自分のことだ。彼のほうがよっぽど過酷な状況にいたのだけれど、当時の私は自分のことで頭がいっぱいで、まいど自分のことを何枚も書いては返事を心待ちにしていた。

そんな小娘の悩みに答えるのも悪くなかったのか、返事はわりといつも早くに届いた。そして何十通とやりとりをした中で、一通だけ、未だに捨てられない手紙がある。

小さなことでうじうじと悩む私を心配したのだろう。こんな文章だった。

人生が大きな海だとして、お前がその海に浮かぶ1隻の船だとして、その船の舵は絶対に人に握らせたらあかんぞ。

その言葉はその後もずっと胸に刻まれ、手紙を見返すまでもなく折に触れて思い出す、いい意味で立ち止まらせてくれるお守りのようなものになった。

他者の靴を履いてみること

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ふと、その手紙を思い出したのは、ブレイディみかこさんの本『他者の靴を履く アナ−キック・エンパシーのすすめ』を読んだからだ。

先々月に、同著者の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだ衝撃のまま、”ぼくイエ”の「大人の続編」と称されるこの本に強く惹かれ、ポチったのだった。

「エンパシー(他者の感情や経験などを理解する力)」とはなにか。どういうもので、どのように扱えばいいのか、というのがざっくりこの本のテーマだ。(実際はいろんなテーマが何重層にもなっているのだけれど)

「エンパシー」は日本語で「共感」と訳されるが、同じく「共感」と約される「シンパシー」とは少し違った意味合いを持っていて、著者いわく「エンパシー」は”他者の靴を履いてみること”、つまり後天的に身につける能力であるという。

著者は「エンパシー」と「シンパシー」の違いについて英英辞書を引用している。

エンパシー(empathy):他者の感情や経験などを理解する力
シンパシー(sympathy):1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと/2.ある考え、理念、組織などへの指示や同意を示す好意/3.同じような意見を持っている人々の間の友情や理解

英英辞書を著者が解釈したものがわかりやすい。

シンパシーはかわいそうだと思う相手やかわいそうだとも思わない相手や共鳴する相手に対する心の動きや理解やそれに基づく行動であり、エンパシーは別にかわいそうだと思わない相手や必ずしも同じ意見や考えを持っていない相手に対して、その人の立場だったら自分はどうだろうと想像してみる知的作業と言える。

で、本を読みすすめる中で私がふと、兄(のような人)からの手紙を思い出したのは、とある本について解釈する文章を読んだからだった。

世間の価値感で生きる不幸せ

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題材となったのは遠野遥さんの『破局』。愛に踏み入る必要がなかった青年の話だ。本の主人公・陽介は自らが動かなくても女が寄ってくるモテ男なのだけど、常に誘われるまま、言われるがままらしい。(話は逸れるが、ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』の松田龍平演じる田中八作を思い出した)

陽介は「女性が望まないセックスをするのは悪」という正義感を持っていて、望まれたらいつでも応じなければならないと思っている。ゆえに筋トレや走り込みなどを健気に行っているし(どんだけモテるんだw)、母校のラグビー部のコーチとして熱心に指導したりもして、世間一般でいう『よくできた人』だ。著者は『真面目で他人に翻弄されやすい人』と書いている。

なのだけれど、時折電車で見知らぬ人に八つ当たりしたり、適当に入ったファストフード店で憂さ晴らしの相手を探したりするらしい。

こういう"歪み”を持った人はドラマや小説にも度々登場するけれど、見る度に私にはちょっと理解ができないなと、まるで別のイキモノを見ているような気持ちだった。...けれど、著者の考察を読んでドキッとした。

人は矛盾を抱えている生き物だから別におかしな話でも何でもない。が、陽介の場合、「真面目」と「逸脱」の表出具合が奇妙なほどぶつぶつと断絶し、どこか朴訥としていて、ふたつがいい加減に混ざり合うときがないのだ。
(中略/いい具合に混ざり合えない理由について)それはおそらく、彼が「真面目」であるときに「こうするべきだ」と思う正義感は、「人はふつうこうするものだ」といった意味での正義感であり、彼自身がそう考えているわけではないからだ。「女性には優しくしろ」と言ったのは父親だったから自分もそうしてると言っているし、女性から預かったバッグの中身を見たくなってやめた理由も「公務員を志しているから」だ。
「正義」はいつも彼の外側にあり、彼自身には由来しない。その出どころは周囲の人々や世間だ。

理解できない感情なんかじゃなかった。私だって「普通こうする」を何度優先してきたことか。

そして、陽介のような”自分の内側に正義がない”人には、エンパシーは身につかないのではないか、という考察がされている。

これは非常に受動的かつ完結されることのない利他主義とも言える。自分の靴を脱ぎ、世間の靴を履こうとしているのだが、世間という抽象的なものは人間じゃないので靴などはいていないからだ。
けっして完結されない利他主義は虚しいものなので、いきなりまた朴訥と、唐突な場面で陽介は涙を流し始め、自分でもなぜ自分が泣いているのかわからず、ひょっとすると自分はずっと前から悲しかったのではないかと一瞬思う。が、女性やお金や学歴や健康に恵まれてきた自分が悲しいわけがないと、ここでも世間的尺度で自分を客観視する
そして「悲しむ理由がないということはつまり、むしろ涙を流す前よりも晴れやかな気分」になったりして、自分の気づきを卑小化し、世間に自らを委ねていくことを選ぶのだ。

この最後の締めくくりを読んで、私はわかりやすく口がへの字になってしまった。ちょっとこれは、あまりにも...。ああ、でもそうか。そうだなぁ...。そうなんだよな。

ここまで極端な人は少数だと思うけれど、これは「世間」を気にしがちな日本人誰しもが少しずつ抱えている闇だ。そして、私も環境や選択によっては、こうなる可能性を秘めている、かもしれない。


世間に流されることや、自分の感情を置き去りにすることの弊害は、こんなにも静かに恐ろしい。

思わず私は、兄(のような人)からもらった言葉を陽介にプレゼントしたくなったのだけど、きっとその言葉を聞いても陽介の心は動かないだろうなと思った。まぁ実在しない人物なんだけどさ。

時々、戦争の映画や漫画を見るのだけれど、もしあの時代に生きたとして、「国のために死ね」と言われて私はちゃんと違和感がもてる人間だろうか、と不安に思う。

自分の中の陽介を育ててしまわないよう、いつだって自分の手に舵が握られているか確認しながら、生きていこう。そんな風に思ったのだった。(自戒のために『破局』は買った)

ちなみに”ほくイエ”2が出たそうなのだけど、文庫本が出るかどうか知っている方がいましたら、ぜひ教えてください(1が文庫だったので揃えたい )🙏✨

「普通」や「世間」を手放すために、こちらもおすすめ。(読み始めだけどすでに付箋だらけ)





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