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2024年2月の日記

1日(木)
失礼な人と仕事をした。もっと早く彼女に出会っておきたかった。昔の私に似ているのだ。私はこんなにも他者に敬意が払えなかったのかと落ち込むが、この件についてはもっと早く落ち込んでおきたかった。

2日(金)
ぐわーっと書きたいことを書き殴った文字の羅列をChatGPTに送りつけ「読みやすくしてください」と依頼すると、かなりすっきりした文になりうれしい。支離滅裂だけど伝えたいことがあり、書くことよりも読みやすくすることに時間がかかってしまう私のような人間にぴったりな活用法である。

3日(土)
私はおっさんずラブの部長のような人間になりたいのだと思った。愛情深く、自分に正直に、人目を気にせず、傷つくことを恐れず、今を生きる人になりたい。

4日(日)
伊坂幸太郎の小説にはまっている。哲学的な側面も多く、立ち止まって考える機会も多々あるのに、なぜか読後はちゃらんぽらんに生きたい気分になるところが好き。

5日(月)
弟に勧められた漫画を読んでみたが今のところ全然面白くない。母にこっそりLINEすると「私も一巻でやめた」と返ってきたので犬が爆笑するスタンプを送った。結局弟にもLINEすると、漫画じゃなくてアニメを見ろと言われた。

6日(火)
自分の未熟さに落ち込むが、落ち込んでいる時こそ分岐点かもしれないという気もちにもなり、昔占い師に言われた「大器晩成」という言葉を胸に寝た。

7日(水)
太陽のように働く人を取材。他者を犠牲にして快楽を求めるのはわがままだが「自分"から"楽しむ」というスタンスで工夫しながら働けば太陽になれるんだなぁ。「自分が(だけ)楽しむ」ではなく「自分から楽しむ」のがポイント。

8日(木)
「選ぶことに慣れてくると、自分が好きなもの、大事なものがだんだんと分かってくるんです」という整理術についての文を読み、私は「選ぶ」ということをもっとちゃんとやった方がいいなと思った。

9日(金)
息子発熱。仕事をすべて後回しにし、前から決まっていた集まりに不参加の連絡をし、永遠とも思える夜泣きと夜間覚醒に付き合っていると仕方ないと分かっていても泣き出したい気もちになってしまう。

10日(土)
息子回復。ワンオペ3日目。育児ハードすぎるわと思ったり、楽しいかわいい幸せと思ったり、目まぐるしい1日だった。ふと、私はまた「いい母親になりたい」などと考えていたなと思う。成長過程の人間に1番近い距離で、かなり長い時間をともに過ごすのだ。私の人間性を取り繕うなんて不可能である。素晴らしくなろうとせず、せめて正直で、それなりに目の前の壁に立ち向かいながら生きていますと言える程度を心がけたい。

11日(日)
知人の畑でにんじんの収穫をさせてもらい、「間引き」という種まきの手法を教わった。詳しくは忘れてしまったが、にんじんを競争させることでおいしく育てる手法らしい。にんじんですら競争して成長するのに、競争をやめようとする人間社会はどうなってしまうのか。
…と思ったけど、よく考えたら「よいにんじん」は人間にとって「よい」のであり、にんじん本人にとってどうなのかはわからない。よいものになんてならなくていい、という社会は、それはそれでよいのかもしれない。

12日(月)
仕事で嫌なことがあるたびGPTにプロとは何かを説いてもらい、心を落ち着かせている。怒らないためには自分の未熟さを確認するのが1番である。

13日(火)
昨晩、息子が5時間も夜泣きしたのに、ほとんどの対応を夫に押し付けてしまい、さらにそのことについて謝りもせず言い訳をしてしまったが、言い訳している途中で実は謝りたいことに気づいたので謝った。謝ったらなんだかすっきりして、すっきりして申し訳ないなと思った。

14日(水)
性善説とか性悪説とか、性弱説なんてのもあるらしいけど、そもそも「善悪」は時代や国で違うし、生き物によっても違うよなと思う。前世ライオンだった人が、今世で弱肉強食をやると逮捕されてしまうのだ。そんなことを考えると、善悪を基準に他人をジャッジすることはとても短絡的なのでやめようと思った。

15日(木)
この歳になっても苦手なことがたくさんあり、その都度「逃げるな」「立ち向かえ」と自分に怒っていたが、ふと苦手が多いということはやるべき仕事を絞りやすいってことかもしれないと思った。

16日(金)
取材中は聞くことに必死で「感じる」ところまで至れないことが多く、イマイチなリアクションになり反省することも多いのだけど、後からじわじわくる「あの人すげー」を記事に込めることでリカバリーできるのはライターの特権だなと思った。

17日(土)
息子がめずらしくビスケットを嫌がるので、おいしいよ〜と食べさせようとするが食べない。夫が通りかかったのでそのことを伝えると「そっちが正解だよ」と笑い、たしかにそうだと笑った。私は息子と一緒におやつを食べたかっただけなのだ。夫もおやつを食べており、一歳児だけがおやつを拒む不思議な昼下がりだった。

18日(日)
手帳に「どんな自分も受け入れる」と志を記しているが、ふと私は「孤独」という言葉を自分に当てはめたくないのだと気づく。その場合受け入れるべきは「孤独な自分」ではなく「自分を孤独だと思いたくない自分」だなと思う。つまり私は寂しいかもしれないが「私は孤独だ」と言わない自分に「やるじゃん」と言ってあげようと思った。なんのこっちゃ。

19日(月)
年末に割ってしまったお茶碗の代わりをやっと買えた。小さめかつテンションの上がるものを...と長らく探し回っていたが、チューリップみたいな色使いの、かわいいお茶碗に出会うことができた。うれしい。明るく、実りがありそうなところがお気に入り。

20日(火)
私は基本的に「楽しい」への感度が高い人を尊敬するんだなと思った。あの人のように笑ってたい、と思う人が数人いる。

21日(水)
取材の帰り道、料理研究家リュウジのYouTubeを聞きながら運転。酒を飲みながら楽しそうに豚汁を作る姿に感化され、夜はノンアルビール片手に豚汁を作り、楽しかった。

22日(木)
YouTubeでYOUさんが60歳と知り衝撃を受ける。美魔女とはまた違う、若々しい成熟。もしも今彼女とひとりの男の取り合いをしたとして、勝てる気がまったくしない。

23日(金)
息子と公園へ。他の子に押され、泣いている息子を見て悲しくなる。これからたくさん傷つく姿を見なくてはならないのに。我が子が必ずいつか傷つくと知りながら育てるのは苦行だけど必須だ。昔、千田拓也さんの本に書かれていた「傷ついたことのない人間ほど迷惑な存在はない」という言葉を思い出し、がんばろ、と思った。

24日(土)
久しぶりに果報バンタを見て、壮大な自然には敵わないと思いながら、私だって壮大な自然のひとつじゃないかと思いなおした。

25日(日)
勉強用に買った本の「はじめに」に「心で取材しました」という一文があり痺れた。私も心で取材したい。

26日(月)
どんなおいしい仕事も「面白そう!」には勝てない。おもろい仕事をやりたい。簡単な人生よりも楽しい人生を生きたいんだ私は。

27日(火)
ヘラヘラしてるからか、昔から勧誘をよく受ける。不要ならはっきり断るので相手を嫌いになったりはしないが、あの独特の「言うぞ」という空気が苦手であり、「やらない人」への敵意のようなものも苦手であり、断った際の残念そうなリアクションにほんのり傷ついてしまうので、それなりに好きな人に勧誘めいたことを言われると、やはり少しだけ悲しい気もちになってしまう。

28日(水)
めちゃくちゃ体調が悪く、グルテン不耐性疑惑が浮上。パンを控えようと思うと無性にパンが食べたくなり、パンを買って食べた。

29日(木)
体調が悪すぎたので夕飯を抜くことにした。そうすると大人用の料理が面倒なので、夫のごはんはスーパーで弁当を買うことにした。息子には頑張って作ったので夫から嫌な顔をされるかなぁと思ったが、かねひでで買った焼きそばがとても美味しかったらしく、えらく感動しておりいい人だなと思った。


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