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読書は買う前からはじまっている。本の外観を楽しむということ
最近、本に対する感度が敏感すぎて、誰か止めてくれと思うほど本を買いまくっている。
今日も2軒の書店に吸い寄せられて(1軒は本当に偶然見つけて)、雑誌含めて計9冊の本を購入してしまった。先日Amazonで6冊の本を注文したばかりなのに。どう考えても買いすぎである。
そして買うたびにまず好きなところをパラパラパラッと読み、一度積む。そういう本が数冊あり、その中から毎日どの本の続きを読むか決めるのだ。まるで女癖の悪い男である。このままでは世のダメ男を批判できなくなってしまいそうで怖い。それは本当に怖い。
しかもこんなに気軽に本を買うくせに、わたしは本をじっくりと味わうタイプだ。速読とか絶対しない。最近は当たり本ばかり引くので、飛ばし読みや途中下車(読むのを辞めること)すらなくなって、すべての積読に時間がかかって困っている。
読書は書店からはじまる
積読増える問題にについては、しばらく本を買わない、と心に誓ったのだが、ところでわたしは「本を読む」という行為自体、書店、もしくはAmazonの購入時点から始まっていると思う。今日はその話をしたい。
今日出会った本の中に『下着の捨てどき』という本があった。
この本を面陳列(本を棚に立てて表紙を見せる陳列方法)する書店の(いい意味で)独特のセンスがまず好みだった上に、タイトル・帯・表紙デザインなどすべてからただならぬ魅力というか魅惑のようなものを放っていて、びっくりして思わず足を止めた。リアルでは経験したことはないが、一目惚れとはこういうことかもしれない。
わたしは一度通り過ぎて、立ち止まって、戻って外観をじっと眺めた。おそらくアートを鑑賞する人のような動きだったのではと思う。それくらい素通りできなかったし、虚を突かれたのだった。
タイトルも帯もうますぎて、私くらいの年頃の女は目を逸らせないのでは...な本をもちろん素通りできずに購入。
— 三好優実 | ライター&web編集者 (@MinoruOffice) June 14, 2021
中年の入り口で立ち尽くしているのでエールをもらおう。#下着の捨てどき #平松洋子 pic.twitter.com/LHtLJWBkT9
そもそもやたらと本を求めてしまうときは、人生の節目である場合が多い。そんなときだからこそ、自分や自分の周囲にいる人間以外が持つ知識や意見や人生や価値観に触れたいのだ。
まさにここ最近のわたしはそういう周期だったため、エッセイや本の読み方や自伝などをやたらと買っていたのである。まぁだけど、最近はもっぱらそういう本ばかり読んでいる上に、この本に立ち止まった時点で手の上に既に3冊"そっち系の本"を持っていたのだ。いつもより厳し目に精査しなくては。わたしは「買わない」と、自分に答えを出した。
...出したのだけれど。
3歩進んでまた戻ってきた。
まって。ちょっとまってくれ。なんだこの外観のうまさは。
『下着の捨てどき』という妖艶なタイトルに加え、帯で大きく『下着のゆるみは、ある日とつぜんやってくる』と煽る。その隣に目をやると、白字よりも目立たない黒字で『中年の入り口で立ち尽くしたすべての人にエールを送るエッセイ集!』と書かれてある。そこに、ゆる〜くコアラが『トホホでもいいのだ〜』と言っているのである。
なにこれよすぎる。
過不足ないキャッチーさが、畳み掛けるように適所に置かれている。やられた。もう目を逸らすことはできない。やられてしまった。
文章の仕事をしていると、スーパーのポップでもチラシの見出しでもホテルの朝食チケットでも、面白い文章に出会うと嬉しい。もういいや。買っちゃえ!
ということで、ここまできて素通りできるわけもなく、手の上に積んでいる本の上に『下着の捨てどき』を重ねたのであった。
中年の入り口で、エールをもらおうじゃないか。感想はまた後日。
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