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巷でうわさの「ライター殺しの本」

わたしはあまり文章術の本を読まない。

ライターなので普通の人よりはおそらく読んでいると思うけれど、年間50冊本を読んだとして、文章術の本は年に1冊読むかどうかくらいだ。

読まない、というより選ばない、が正しいかもしれない。改めて文章術の本を読むよりも、あらゆる「いい文章」を読み、なにかを自分自身が感じ取っていければ、それが最短の文章上達法なのではと思っているからだ。

だけど、そんなわたしも、最近文章術に特化した本を読んだ。この本だけは素通りできなかった。

素通りできない一冊

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ある記事がきっかけだった。わたしには、ほぼ毎週チェックしている連載コラムがあり(佐藤友美さんが毎週水曜に本を紹介する「本という贅沢」)今年のはじめにこの本が紹介されていたのだ。

書かれていたのは「書くことに関する奥義が詰まっている」という書評と、下記の言葉が記されていた。

巷ではこの本、「ライター殺しの本」と言われていて。これを読むと、書くことが怖くなる。自分の浅はかさに、消えたくなる。
少しでも、書くことに本気になったことがある人なら、この本の凄まじさの前で平身低頭してしまうと思う。

ライター殺しの本。

書くことが怖くなる、消えたくなる。

記事を読んだときは正直、そんな本絶対に読みたくない、と思った。ただでさえ心の安定をなんとか保ちながら執筆活動をしているのに、消えたくなってしまっては仕事にならない。

そう思って記事を読み終えたのだけど、その後3日くらい記事が頭から離れなかった。正確に言えば「ライター殺しの本」というフレーズが妙に頭に残っていた。

コロナ禍により、わたしの周りで仕事や生き方を変えた人が増えた。全く異業種に転職を果たし、見違えるように仕事を楽しみだした友人もいた。そんな中で、仕事も働き方も、なにも変えない、変わらない自分で本当にいいのかわからなかった。

思考を巡らせては、そんな妄想は無駄だ、目の前の仕事をやれ、と思考を止めてきたけれど、ライターとしてのわたしは殺されたがっているのかもしれない。

もしかしたら殺される覚悟で「ライター殺しの本」を読めばわかるんじゃないかと思った。自分の本心が。覚悟が。行き先が。

ライター殺しの本「三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾」

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感情に決着をつけないまま、とりあえず買ってみた。帯には「書くとは、考えること。」とか「技巧25発」とか書かれてて、なんか凄い。すでに凄い。気軽に読んではいけない匂いがプンプンする。(結局、本を読む覚悟がしばらくできずに、2ヶ月間も放置してしまった)

まず、著者プロフィールが凄かった。新聞記者から始まり評論家、作家として書籍、新聞、雑誌、ネット、CD解説や映画パンフレットまであらゆる文章を朝から晩まで書き、あげく今は山奥で猟師をやっているらしい。もちろん文章を書きながらである。

そしてどうやら表紙に書かれていた「25発」というのは、初心者が鴨を一羽獲るのにおおよそかかる銃弾の数らしい。

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読みはじめると止まらなくなり、だけどそんなに猛スピードで読み通せるような本でもなく、1ヶ月かけてじっくりと読んだ。

結果、技巧25発は確実にわたし自身の血となり肉となるような内容だった。なんというか、ためになった、とかじゃなくて血肉になったという感覚。

たとえばライターとしての心得について。

あなたがいなかったら語られなかったかもしれない言葉を引き出すのがライターだ。

世の中のすべての事象、おもしろい現象に完成を研ぎ澄ませていなければならない。

五感を他人にゆだねないこと。ライターに必要なのは正確さに対する偏執的なこだわりだ。

いい文章を書きたいという人間は、どんな下劣な人間からでも学べます。

ひとつひとつ語彙を駆使し、言葉を精選し、それこそ鴨に弾を撃ち込むように(見たことないけど)核心をつく。内容もだけれど、その書き方、伝え方から「別格」とはこういうものなのだと学ばせていただいたし、本を読んでいる間はただただ静謐な時間が流れるのを感じた。書道をしているような感覚。

本は文章術というよりも、誠実に、書く仕事を選ぶということはどういうことかを深く考えさせられる一冊だった。

一回限りの関係を求めて近づく人間になってはいけない。一生付き合う覚悟をもって仕事は申し込むべきなのだ。

影響され、まねし、理解し、誤読し、そうして自分自身になっていく。スタイルを確立する。とどまらない。

読者の関心領域をよく観察する。大事なのはそうした話題「そのもの」を書くわけではない。その話題が人間にとって、世界にとってなにを意味しているのか、そこに知恵を振り絞る。

ずしっと重く、時にそれこそ痛みを伴う言葉。だけどそんな言葉を綴ることができるのは、誰よりも著者の近藤康太郎さんがその痛みを自分自身に課してきたからだ。

そうやって培ったものを、厳しくも丁寧に文章に綴ってくれるというのはとても優しい行為だと思った。そして読んだからには、魂が震えるひとときをいただいたからには、その優しさに応えられる人間でありたい。

書こう。と腹をくくるために

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読み終わった後、「ライター殺しの本」というフレーズが頭から離れなかった理由がふとわかった。心のどこかでわたしは、ライターという仕事を辞めたがっていたのかもしれない。ということだった。

だけどその気持ちはなくなった。綺麗さっぱりなくなった。なぜか。自分自身の甘さに気づいたからだ。今となっては「ここまでやってから心を折れ」と思う。

ある意味、ライター殺しの本によってわたしは生かされた。生かされながらも、腑抜けで逃げ場を探す自分自身の錆びた細胞は削ぎ落とすことができた。

とはいえやはり、なかなか研ぎ澄まされた一冊ではあるので、タイミングによっては読まないほうがいい人もいるかもしれない。気軽におすすめだとは言えない本ではあるけれど、本気で文章や、自分自身に立ち向かいたい人には心からおすすめしたい一冊だった。わたしはこの先、きっと何度も読み返す。



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