はたらくことを考える前に

はじめに

結論から言うと、社会人になって20年を過ぎても、私は働くことに金を得る以上の意味を見出せないでいる。おまけに現在病気療養で休職中の身だ。

なので、どうすれば社会に貢献できるかとか、働くことを通じて自己実現できるかなどという、レベルの高い話はできない。

この記事は、はたらく以前のところで私と同じように躓いている人に向けて書こうと思う。

もし、そんな人がいたら最後まで読んで欲しい。

わたしの“はたらく”イメージ

そもそも私は、働くとか社会人とか大人という言葉に、ネガティブなイメージしか持っていなかった。

“はたらく”とは自分を犠牲にすることである。

“社会人になる”ということは、辛く苦しいことに耐え忍ぶことであり、それは一生死ぬまで続くということである。

“大人になる”ということは、夢を捨てることである。

こんなイメージを抱きながら、大人になって社会人として働いて楽しいわけがない。

子ども〜学生時代の“はたらく”

初めて夢を諦めたのは、小学4年生のときだった。

健康上の理由で医師から安静を命じられた。

慢性の病気だからと、一生言いつけを守るように言われた。

帰りのタクシーの中で、帰宅するまで1時間余り私は号泣していた。

タクシーの運転手さんは「さぞかし痛い注射やったんやなぁ。そうかそうか。」と間抜けなことを言った。この頓珍漢にも「そんな理由じゃない!」としか言えず、私はこの世の終わりみたいに泣いた。

体育の授業は全て見学になった。

運動が出来ないので、幼稚園の先生になる夢はその瞬間終了した。

小学校生活は最悪だったが、中学校では療養のため留年したりはあったものの、それなりに楽しく過ごしていた。高校からは私は主治医の言いつけに背き、水泳以外の体育の授業を家族にも内緒で出席した。体育祭は成績に影響しないので見学していた。意外なことに体育の成績は悪くなかった。

それなのに、幼稚園の先生になる夢を取り戻そうとはもう思わなかった。なんと私は子どもが苦手になっていた。

エスカレーター式で上がった短大を卒業する頃、数回就職活動をしたものの、私には就職する動機が見つからなかった。働く意欲がない者を雇ってくれるはずがない。私は学生の間、社会人になった自分を全く想像できなかった。そして学校から薦められるまま別の大学に編入した。

大学の卒業までの2年間は、流石に自分でもモラトリアムであると認識して、この猶予が失効するまでに自分の道を探そうとした。ボランティアに参加したりアルバイトをしたり福祉関係のサークルに入ってみたり。でも職業にしたいとは思わなかった。

卒業間近になって、同じ編入生から大学院に進む人の話を聞いた。私は自分が学んでいることが楽しいと思いながら、それを職業にする可能性があることを想像もしなかった。悔やんでも悔やみきれないが、私はその準備をなにもしていなかった。

働くとは嫌なことにひたすら耐えることだと思っていたからだ。

あんなに楽しそうに講義する先生方を見ていながら。大学の先生方は皆研究を楽しんでいらっしゃった。それがひしひしと伝わってきた。高校までの先生方とはまるで違った。

それなのにだ。

そして社会人に

卒業して1年近く無職でぶらぶらして、友人に諌められ渋々私は新聞のチラシに載っていた面接に応募して、とうとう職を得た。子どもが多い職場だった。苦手な子どもの姿を見るたびに困惑した。

私は要領が悪く、何年経っても仕事や職場に馴染むことが出来なかった。趣味の芝居(私は本気だった)をやめてからは、友達付き合いも激減し、私の居場所は家と職場だけになった。

買い物依存〜借金返済のためにはたらく

そのころから漠然と死にたいと思うようになった。

しばしば体調を崩しながらもなんとか出勤していた。

そんなとき母が大病をした。私は父と非常に折り合いが悪い。家と職場しかない自分の人生にぞーっとした。

私はストレス解消のために買い物に依存するようになった。貯金はみるみるなくなり、はたらくことは借金返済のためとなった。ひたすら苦しかったが、私は社会人とは苦しみに耐えるものというイメージを信念のように持っていて、それを塗り替えることは難しかった。

そして休職

不安障害と買い物依存を経て、鬱病を発症し、休職と復職を繰り返すようになって10年になる。

職場では辛いこともあったが、小さな職場で私を未だ解雇せず席を残してくれていて今は感謝しかない。

はたらけない私にとってのはたらくとは

ここまで読んで、私の話に盛大に呆れ返ってくれていると嬉しい。

はたらく以前に、大人になること、社会人になる(地域や組織の一員になる)ことに、漠然とでもいいから楽しいイメージを持っていることが大切だと気づいてほしいからだ。

理不尽なことも、大変なことも多いかもしれないけれど、人生とは楽しむものであることが前提だと思ってほしい。

困難を乗り越えるのが苦手と思ってる人には特に。

私は療養中の身だが、主治医から「たまには友達とお酒でも飲みに行ってもいいよ。」と言われて随分気が楽になった。勿論、今はコロナが流行っているので言葉通りに行動はしにくいけれど。

働いてから楽しむ、ではなく、楽しんでから働いてもいい。わざわざしんどい方を選ばなくていい。

綿密に明るい計画を立てると、予定が狂ったときにがっかりするから漠然としてるのがベターと思う。

なんとなく、自分の人生の先には楽しいことが待っている気がする。

それくらいゆるく生きてると、そのうちにはたらいてみてもいいかなと思えてくるかもしれない。

だから、はたらく手前でまたはたらいている途中で私のように躓いている人たちに、自分はなにをしているときが一番楽しいと感じるかを知っていることって、はたらく上で実はとっても大切だよって伝えたい。



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