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命って何だろう

私は緑内障だ。緑内障は、一旦なったら手術は出来ないと言われてきたけれど、最近は手術できるようになったらしい。今のところ、誰でもできるという訳ではないが、いつか私も手術を受けることになるのかもしれない。

新しい医療技術が生まれると「人間の身体にそんなことをするなんて恐ろしい」という反応がある。「そんなことをしたら、失敗するかもしれない」「後で副作用が起きるかもしれない、何が起こるかわからない。」と。目に関して言えば、人工レンズを手術で目の中に入れることは多くの人に恐ろしいと思われたけれど、今では普通に行われている治療だ。

もしも治療方法が他にない状況なら、選択の余地はない。だから、人は新しい治療に不安があったとしても一縷の望みを持ってその治療を選択する。そうして多様な医療技術が進歩し、普及して、私もまたその恩恵を受けている。

でも、ふと考える。このままどんどん技術が進んだ時のことを。

例えば、クローンの技術で移植用の臓器をとるためだけに人間を作ったらどうなるのか。その「クローン人間」の命はどう扱われるのか。

『脳があって考えることができる人間を臓器用にするわけにいかない。それなら、脳がないクローン人間を作って臓器用にすればいい。それは臓器であって命ではない』…そんな風に考えるのだろうか。脳がなくても、血が通い、心臓が動いている「人体」を「臓器」と捉えるのだろうか?

SF映画やアニメの中の世界のことのように思っていることが、思ったより近づいているのかもしれない。

いったい、人間の命って何なのか。そんな根本的なことを改めて考えなければならないのかもしれない。

ひとりにひとつずつ与えられた命。与えられた命を私は大切に燃やし続ける。そして、誰の命であっても等しく大切に扱いたい。


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