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僕は、駄目な人間。

結構前から、僕は「自分自身について話すことで、知らないことを知ってもらう機会にしよう」と、自分のことを積極的に話してきた。

そういうことを書いた自己紹介の記事がある。

タイトルの通り、「自分はこういう生き方をしたいな」という内容の記事になっている。

これを読むと、その時は「頑張って自分のことを話していこう」と思っている。しかし、最近の僕は違う。

話す度に「自分はセクシャルマイノリティで」「『女性』じゃないんです」「パートナーって呼ぶのがしっくりきているので、そう呼んでます」とか説明するのがめんどくさくなってきたのだ。

しかも、その説明で場が変な空気になったり、相手が腫れ物に触るような態度に変わったりすることもある。明らかに嫌悪感を表す人も多いと感じる。

前は、そういう「しんどいこと」を積極的にやっても、知ってもらうことに価値があると考えていた。だから、頑張ろうと。そう思っていた。

でも今は、疲れた。疲れたんだ。

自分のことを勝手に決めつけてくる無邪気で無知な人たち、「違う」と言っても否定する人たち、声を出さなくても嫌悪感を向ける人たち。

そういう人たちにうんざりしてる。「当たり前」という武器を使って、僕を殴ってることにすら気づいていない。「知らないから」「悪気はないから」と言えば許されると思ってる。「自分は人を殴ったりしない」と思ってる。

僕はうんざりしてる。なんでこっちが頑張って説明しなきゃいけないんだよって。

そして、同時に「自分もそういうことを無意識にしてるだろう」と思って落ち込む。自分だけがうんざりしてるわけじゃない。僕が知らないだけで。

僕がぶん殴られてダメージを受けるみたいに、なんとなしに話した一言や行動が誰かを傷つけることがある。自覚していなくても、悪意がなくても、傷つけたことに変わりはない。

傷ついた痛みが無くなったり、傷つく前に戻れる方法はないと思う。僕が殴られた側ならそう感じる。

だから、結局は「自分は駄目な人間なんだ」というところに行き着く。僕は今のところ、この行き止まりからどうすればいいか分からない。

これからも誰かを踏み付けて歩いていくだろうし、無意識に差別し、無邪気に攻撃し、素知らぬ顔で開き直るだろう。けれど、僕は死にたくないから、こういうことを分かっていながら明日も生きる。

「厳し過ぎるんじゃないか」って言われることもあるけれど、自分が攻撃されたときのことを考えると、僕はそういう言い方はできない。

僕は駄目人間だけど「マシな生き方」を探している。

早く見つけないと。

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