なぜ「体を売る」はいけないのか
みなさん、こんばんは。
最近、AV新法の話もありモヤモヤとしています。わたしから見るとAV新法は現在、働いている人たちの声を無視したもので、差別的なものです。また、AVに無理矢理、出演させられたなどの被害者を救うにも不十分だと感じます。
そんなこんなで、モヤモヤとしているところなのです。今回はモヤモヤのひとつである「体を売る」という言葉から考えたいと思います。
「体を売る」という言葉は聞いたことがあるかと思いますが、どういった意味だと感じるでしょうか。多くの方は「性産業で働いている人に向けたもの」だと思うでしょう。
わたしは風俗嬢として働いていました。実際に「体を売っている」と言われたこともあります。そこで感じるモヤモヤを言語化していきます。
「体を売る」のネガティブさ
売春などのイメージ
「体を売る」と聞いてイメージするのは売春(パパ活など)でしょうか。違法な性的行為と引き換えに、金銭を受け取っているというような。そういったネガティブなイメージが「体を売る」にはあります。
しかし、(わたしは売春が違法であること自体に疑問がありますが)「売春が違法だから」という理由だけでネガティブなイメージを持たれているとは思いません。「違法である」というのは、わかりやすい理由であって、性的なこと、それ自体をネガティブなものと捉えているのではないでしょうか。
性産業のネガティブなイメージ
わたしは「多くの人は性産業をネガティブだと感じている」と思います。それはわたし自身の経験に基づく感覚ですが、歴史の流れも踏まえたいと考えます。
性産業で働く人を取り締まるようになったのは徴税のためでした。徴税できる公娼を遊郭に集めてからです。徴税の対象にならない働き方をしていた私娼を取り締まるようになりました。
その後、江戸時代には人身売買のような状態になったこともあり、1972年、遊郭で無理矢理、働いていた人たちを解放するために公娼制度を制限しました。しかし、保証などがなかったために再び性産業に戻る人も多かったようです。
遊郭が作られた際、「違法に体を売る人」ができたのではないかと思います。そして、そういった人たちへのネガティブなイメージが少しずつ作られていったのではないかと考えます。
人身売買のイメージ
性産業には人身売買のイメージもあります。前に書いたように江戸時代の遊郭ではそのような状態にあったと言われています。日本だけの話でもなく、今でも違法な行為を続けている人たちがいます。そういったことも性産業をネガティブなものにしている要因だと思います。
大まかにわたしはこれらのことから、「体を売る」ことへのネガティブさが出来ていると思いました。
体ではなくサービスや時間を売っているという話
「わたしたちは時間やサービスを対価にしている」
「体を売っているのではなく、時間や性的なサービスを売っているのだ」という話は、自ら望んで働いている人から聞かれる言葉です。わたしの体感だとよく聞かれるように思います。確かに時間や性的なサービスを提供しているのは事実であり、わたしもそのように感じています。
「自分の時間を120分とか180分とかで区切って、その間にサービスをする」それを売っているのであって体を売っているわけではない。わたしたちは嫌々、働いているわけでもなく、自ら望んで働いているのだというニュアンスを表現するのに「体を売る」という言葉を使わないのだと思っています。
「時間やサービスを売る」ほうがマシ
前項では、「『体を売る』ことに対して、嫌々ではないことを強調するために『時間やサービスを売っている』を使っているのではないか」と書きました。では、「時間やサービスを売っている」という言い方は良い言い方なのでしょうか。
わたしの感覚としては「失礼だから『体を売る』とは言わない」というふうに考えている人が多いと思います。なので、「体を売る」よりはマシな言葉として使われていると考えました。
しかし、それでも性産業への差別や偏見はあります。
性産業への差別や偏見
偏見に関しては以前の記事にも書いているので、良ければそちらもご覧ください。
「好きでやっている人なんていない」「お金のために仕方なくやっている」「働いている人は変態/セックスが好きである」など、言われた偏見はたくさんあります。個人的に言われるだけでなく、国が差別している現状もあります。
「本質的に不健全」だという国
最近、こんな記事が出ました。
持続化給付金の対象外になぜかされている性風俗業者が、違憲であるとして訴訟を起こしたのに対し、国は「性風俗業は不健全で国民に理解してもらえないから給付しない」と言ったのです。
税金を納めて許可を得て営業しているのに「不健全であり、理解も得られない」。これは差別であると思い、わたしは憤りを感じました。
セックスワーク is ワーク
「セックスワーク(性産業)は仕事のひとつだ」と主張する当事者などがいます。わたしもそのひとりですが、しばしば「セックスワークは女性差別/抑圧である」と言う人もいます。しかし、本当にそうなのでしょうか。以下に引用を載せます。
女性差別はいろんなところにあります。わたしが知っている限りでは、「何十年と働いても女性は店長になれない」という制度を採用している飲食店、いまだに化粧やヒールを強要する会社など。アルバイトの面接で「男性しか募集していないので」と断られたこともあり、そのときは驚きました。
女性差別は性産業に限った話ではなく、それこそ性産業への差別的な視点であるとわたしは考えます。
差別しているのは誰なのか
わたしが周りの人に「元風俗嬢」であることを伝えると、驚く人はいても、実は怪訝そうな顔をされることは少ないです。むしろ、積極的に「そういう差別とかしないから」と言う人が多いと実感しています。
しかし、そう言った矢先に「どうして風俗やってたの?」「好きでやってるってことはセックスが好きってことなの?」「大変な仕事ですよね、風俗って」などと言われるのです。
「自分は差別していない」「性産業を悪いとかそういうふうには思っていない」という人が、知らず知らずのうちに差別的な言動をしています。差別しようと思ってする人が少ないように、性風俗に関しても、差別していないと思いながら差別している人が多いのです。
差別しているのは、差別していないと思っている自分自身なのかもしれません。
「体を売る」は悪いことなのか
ここまで「時間やサービスを売るという言い方」や「実際に性産業が差別されている話」などを書きました。最後に考えたいのは、「『体を売る』ということは悪いことなのか」です。
「体を売る」は悪なのか
人身売買や売春などのイメージが強い「体を売る」という言い方は、実際に望んで働いている人たちにとっては「時間やサービスを売る」という言い方に変えたいほどネガティブなものです。また、周りの人も差別的な言い方だから「体を売る」とは言わないように気を付けているというふうに見受けられます。
しかし、わたしは「体を売る」という言葉にある差別的な印象、ネガティブさをそのままに言い方を変えても仕方ないのではないかと思うのです。
性産業への差別を無くすためには、「体を売る」という言葉のネガティブさを変えていく必要があるのではないでしょうか。
なぜ変えるべきか
言い方を変えても中身は変わりません。「本質的に不健全」とする国も、無意識に差別してしまう人たちも、ここに居続けているのです。それを変える必要があるのであって、言い方を綺麗に/上品にすることで得られるものは少ないと感じます。
言い方を変えることで、ポジティブさが生まれることはあると思います。しかし、根本的な部分「無意識の差別」に訴えかけることは難しいのではないでしょうか。
「理解が得られない」などという理由を国に言わせないためにも、ひとりひとりの中にある差別に向き合ってもらう必要があります。
「体を売る」ことは、あなたによって悪とされている
ひとりひとりの中にある差別、無意識の差別が積み重なって「体を売る」ことは悪いことになっているのではないか。これが、わたしが思うことです。
そして、その差別こそが性産業をネガティブなものにし、国に「理解が得られない」と言わせるものにしているのです。例え、言い方を綺麗にしても、頭の片隅に差別的な意識があると無意識に差別してしまいます。
あなたがもし性産業で働いていたら、無意識の差別についてどう思うでしょうか。
他の仕事と変わらず辛いことも楽しいこともある仕事をしているのに、「どうして働いてるの?」と間髪入れずに聞かれたら、何も言ってないのに「大変な仕事だよね」と言われたら、「セックス好きってこと?」と言われたら、どう思いますか?
わたしは嫌です。「他の仕事とは違う」という意識こそが差別的であると思いますし、無意識にそうしてしまうということは実は差別的な目線で性産業のことを見ているということになります。
さいごに
「体を売る」という言葉から、いろいろ考えてみました。無意識の差別に自らアクセスすることは難しいですが、不可能ではありません。わたし自身もそういったことに気を付けたいと思っています。
更なる法改正などで性産業がアンダーグラウンド化し、違法で働く選択肢が増えてしまわないように、ひとりひとりの差別に気づいてもらうことをわたしは訴えたいと思います。
そんなことで性産業が良くなるとは思いませんし、それでは社会は変わらない。それでも、何もせずにはいられないのです。わたしなりに出来ること、考えられることを積み重ねたいです。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。おまけは課金してもいいかなって思ってくださったら、読んでみてください。
おまけーわたしが風俗を好きな理由ー
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