【愛読書】太田光『芸人人語』をもっと読んでほしい

 唐突だが、私には本を好きになったきっかけの作品が、実は二冊ある。

 一冊は以前紹介した『ひらいて』(綿矢りさ)で、もう一冊が今回紹介する『芸人人語』(太田光)だ。

 太田光って、あの太田光だ。爆笑問題で、最近は「炎上」でもお馴染みの、あの太田光。
 この記事を読む人のなかには、もしかしたら著者のことを苦手とする人もいるかもしれないし、あるいは、あまり知らないという人もいるのかもしれない。

 でも、そんな人たちにも、この本は一度読んでみてほしい
 ただ私は、そんな無関心層を取り込めるほど上手いプレゼンができるわけでもないし、端から内容の要約なんてものは諦めているので、そういったものは他に任せるとして。

 ここでは、あくまで個人の経験談に留まるが、私がこの本とどう出会って何を感じたかを語るなかで、少しでもこの本の魅力が、その片鱗だけでも伝わったらうれしい。

 前置きが長くなった。
 何を伝えたいかというと、私はこの本を読んで、少し心の軽くなる思いがしたということだ。なぜ人は生きるのか

経緯

 この本の存在を知ったのは高校生のときで、ちょうど大学受験の最中だった。

 よく学生の時期は「多感な時期」なんて言われ方をするけど、例に漏れず、私もその通りだったように思う。
 いや、今でも卒業できていない気がするけど。

 高校ではいつも一緒にいる友だちみたいなものができなくて、受験に関しても誰かと一緒に勉強するようなことはほぼなかったから、要するに一人でいる時間が多かった。

 そうなると、会話をする相手が自分しかいないから、必然的に自問自答をして、一人で考える時間が増えていく。

 最初は「この勉強が一体何の役に立つの?」ぐらいの問いに留まっていたが、次第に「なんで虫は殺していいのに人間は殺しちゃいけないの?」とか虫嫌いなくせに思い始めたりして、だんだんと連想が深まっていき、気づいたら「なぜ人は生きるのか」「なぜ死んではいけないのか」「なぜ命は大切なのか」「なぜ人を殺してはいけないのか」みたいなことを大真面目に考えるようになっていた。
 「生きているだけで価値がある」なんて言葉では、納得しきれない自分がそこにはいた。

 当時、特に強い自殺・殺人欲求があったわけではなかったけれど、純粋に「なぜ人を殺してはいけないのか」が気になって、実際にネットで検索をしてみたりもした。
 いくつかサイトを見てみても、いまひとつ納得のいく答えが得られることはなくて、そればかりか「そもそもそんなことを考える子どもがどうかしている」みたいな意見も見たりして、軽く落ち込んだりもした。

 またある時は、よく考えたら、自分がいなくても地球は回り続けるし、同じように社会も回り続けるのでは?ならば、自分がわざわざここに居続ける意義って何?みたいなことを考え始めて、そうしたらとても眠る気にはなれなくなって、朝方まで起きている日もあった。

 それぐらい、当時の私にとっては真剣な問いだった。

なぜ人は生きるのか

 そんな具合に鬱鬱とした気持ちを抱えながら過ごしていたある日、『芸人人語』を読んだら、ある一節にこんなことが書いてあった。
 以下、本文引用。

 一時期、「なぜ人を殺してはいけないのか」と質問した子供に、社会はヒステリックに反応した。「質問すること自体がナンセンスで嘆かわしい」「そんな疑問を抱く子がいるなんて信じられない」と嘆くような風潮があったが、私は違和感を持った。「なぜ殺してはならないのか?」という「問い」は、重要な問いだ。それはそのまま「なぜ生きなければならないのか?」という「問い」であって、人類は誕生してからずっとそれを問い続けてきた。ソクラテスやニーチェといった偉人とされる哲学者も、その他の文学者も芸術家も人類が納得する明確な「答え」を出していない。人類はそれを問う為に生まれてきたと言えるほど大切な「問い」だ。
 嘆かわしくもないし、ナンセンスでもない。子供がそれを問うのは生きることの入り口に立ったということだ。

太田光, 2020, 『芸人人語』, 朝日新聞出版, p.50

 自分はこの文をはじめて読んだとき、「救われた」とは言わないまでも、少し心が軽くなったように感じられた。

 それは、単純明快な答えは存在しないという、むしろ救いがないような真実ではあったけれど、あなたの「わからない」ということは至極当たり前なことで、これは先人たちの誰もが問い続けてきた問題なのだということを、言ってもらえただけで私には充分だった。

 生に対する疑いを持ったままでも、私はこの私を受け入れていいと思えた。

 そして、今している受験勉強もその問いに繋がるもので、ちゃんと意味があるものなのだと合点がいった。

この他

 またこの他にも、「愛は人を衝き動かす全ての原動力。憎しみも愛があるからこそ生まれる」のように考えていたことがいくつかあったのだが、その後に当書を読んでみると「なんだ、私の考えていたことがここに全部書いてあるじゃん。それも的確な言葉で。」と感じる箇所が多くあった。

 そういった点で、私と太田光はいわば気が合ったといえるかもしれない。

 しかし一方で、考えを異にする部分ももちろんあって、当書も「これは違うんじゃないか」とか「それはないのでは」とか、自分なりのツッコミを適宜いれながら読み進めた。

 だから内容は、決して一辺倒に肯定できるものばかりではないけれど、かえってそれらも含めて『芸人人語』、いやそもそもは「本」というものがもつ一つの魅力ではないかとも思える。

 さらに言えば「人」に関しても、もともとそういうものではないかと思える。
 この人とは気が合うなと感じたと思えば、ある部分では違う意見だったりして、またある部分では再び同じ意見だったりして、そういう近くなったり遠くなったりするのを含めて、「人を好きになる」ということではないだろか。
 と、まぁ分かったようなこと言うとりますけども。言うは易し。

最後に 

 色々と語ってきたが最後に。著者太田光の何よりも面白いと感じる点は、これほどまでに物を考えてこれだけの文章を書く人間が、いざ本職の舞台に出てきて一番はじめにやる芸が、とにかく大声で意味もなく「助けてくれーー‼」と叫ぶだけという、この落差だ。
 むしろ、この落差に救いを感じる。

 太田光『芸人人語』。ぜひ、共感・違和感のどちらをも抱きながら、読み進めてみてほしい。
 
 第3弾も、出るといいな。

おしまい。

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