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毒母が余所のおばさんになった日。

初めての方はコチラをご覧ください(*˘︶˘*).。.:*♡



プロローグ


2022年2月、息子さんが生まれました。

そしてもれなく新たな私に出逢うことができましたw自己承認が進み、強くなったように思います。4人家族になって幸せも4倍!いや、無限大!!!

また年始早々から、乗り越えなきゃならない壁にぶち当たっていますが、かあちゃんの人生、やっぱりおせっかいを焼くことを趣味にしようと、心に決める出来事もありました。

自分の手の届く範囲だけでも、
ほんのちょこっとだけでも、
誰かのナニカの役に立ちたい。
どこかの誰かも幸せであって欲しい。

ということで?

色々乗り越えて「我儘の極意」を極めようではないかと。

毒親のせいで私の地球(自己肯定感)がしょぼすぎて、HSPであるがために疲れやすく、余計こと「死にたい」に拍車がかかったり助長されたりで、外付けハードをたくさん取り付けてなんとか人生を頑張ってきたけれど、それって旦那さまの真似をしてみたり、「身勝手の極意」を極めようとしていたに過ぎず、結局、私って悟空ではなくベジータだったのか、、、と(意味不明)。

なんだか新年早々、ストンと腑に落ちたかあちゃんです。

グルグルしていたあの頃


コロナ禍の出産に関する我が家の難題は、出産時に娘を見てもらう人がいないことでした。

例えば、

・実家は県内片道2時間弱。両親共に毒親。
・義実家は県外片道2時間弱。コロナ禍のため仕事の関係上移動困難。
・旦那さまにもかあちゃんにも兄弟がいない。
・家族づきあいをしている親しい友人もいない。
・近所に親しい知り合いもいない。
・小学生なので夜間預かりの保育園とかない。
・ベビーシッター、ファミリーサポート、乳児院的なところはHSCの娘には大変だけど、利用できたとしても、結局、娘を送迎してたら生まれちゃう可能性大。

みたいな感じです。

なので娘の預け先は手詰まりで、産気づく前or産気づいた直後に毒母さんを頼るしかなかったけれど(そもそもこんな甘えた気持ちを持っていた幼い私が間違いだったのですが)、産気づく前からだと娘にとっては無謀で可哀想なことだと躊躇していたし、産気づいた直後だと毒母さんが間に合わなくて独りでの出産もありえると覚悟はしていました。

ただ、病院的にはコロナ禍で立ち会う人数など制約かけていても誰か一人は居て欲しいようで、結局、妊娠発覚当初から答えが出ないまま臨月になったんですよね。毎回、我が家のサポート状況を知った複数の助産師さんに、「産気づいたらすぐに来ないと、病院への道中で生むようになることも考えられる」などと心配されていたんです。

毒母さん、汚名返上!?


自宅から病院への道のりは片道15分。

39週の妊婦健診後に、予定日が近くなったから意を決して毒母さんに連絡したんですよ。初産で7時間代だから、今回は陣痛きたら超早いって言われているので、夜中でも我が家へ来れるようにそろそろ荷造りの準備をしておいて欲しい、、、と。そうしたら毒母さん、自ら職場に話をつけて、明日にでも我が家へ来てくれることになったんです!

医療のお陰で出産の際に命を落とすことが限りなく少なくなった日本。それでもかあちゃんの頭の中には「出産は命がけ」というのがあったので、このときだけは思いがけず、毒母さんが毒母であることを忘れてしまいました。

しかし安堵したのも束の間、毒母さんが我が家に来てから3日目には、かあちゃんの予想通りに毒母さんが瘴気を放ち始めました。毒母さんの機嫌をとるために情緒不安定な臨月だけど大人にこやか対応を心がけ、仕事から帰った旦那さまが無理をして車を出し、わざわざ暇つぶしのゲームをみんなで買いに行ったりもしたのですが、それでも4日目の朝には瘴気が強まり、旦那さまが夕方の仕事にでかけた直後、娘のいる前で毒を吐き始めたんです。

毒母さんの話を要約すると、「ここにいてもやることがないし(私が)元気そうだから意味がない。今夜産気づかなければ一旦家に帰って2~3日したらまた来る」とのことでした。

魔王毒母さん、最終形態に変身


まぁ毒を吐くまでは想定内だったけれど、まさかの、この期に及んでの帰る発言に、かあちゃんは途方に暮れましたね。。。このときの毒母さんには、私の感謝、宥め、説得も、そして当時6歳の孫からの驚きと説得にも、最終形態の魔王には通用しないのです。ええ、当然のようにかあちゃんは瀕死状態に陥りました。


勇者(旦那)さまー!!!(何故かククリちゃんの声)

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