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これは安楽死なのか?尊厳死なのか?殺人なのか?

私の両親は二人とも

癌で数年前に亡くなった。


私は一人息子で

同居はしていなかった。

大学を卒業してから

ひとり暮らし、同棲で

結婚という流れ。


なので

両親とは20年くらいしか

同居していないし

別に好きで

同居していたわけでもない。

その両親から生まれたので

自然と同居していたわけだ。


高校生の頃は

早く親を捨てて働いて

一人で暮らしていきたかった。


実際には

私の甘く弱い考えと

両親を捨てられない思いから

大学に入学して

就職して

顔を出したり

声を聴いたりしていた。


まずは、母親が手遅れの大腸癌。

入院当日に危篤。

腸が破裂して

腹膜炎になってしまった。

意識混濁で

手術できる体力がないそうだ。

なにやら薬を

静脈注射されていたが

どんどん血圧が下がり

心臓が止まった。


主治医が心臓マッサージしている。

私と父は

病室内でその様子を見ていた。

さて

どう考えても蘇生は無理な雰囲気だ。

いつ心臓マッサージは終わるのか?

10分ほどやっていたか?


主治医と目が合った。

「もういいです。ありがとうございます」

私は言った。

そこで終了。ご臨終です。

これって何死になるの?

心臓が止まった時点では

病死だろうが、蘇生術を施して

途中で止めて

死んでも病死なのか?


3年後に父親が亡くなった。

肺腺癌が死因だが

抗がん剤が死因かもしれない。


食事ができなくなるくらい

体力が衰えて、その日トイレに

行こうとベッドから出たら

立ち上がれなくなって

私の携帯に電話がかかってきた。

「ベッドの下で

もう動けないんだよね」


妻とヘルパーに電話して

実家に行ってもらった。

私も遅れて到着。

看護師さんに通便してもらって

少し楽になったようだが

主治医からは、いつ亡くなっても

おかしくないと言われ

そのときに父は失神した。

呼吸もつらくなってきているようだ。

意識は混濁していないが

いわゆる自力で歩いたり話したりは

もう無理な状態。

救急車で病院に運ばれる。

主治医からは、点滴もまずいだろうし

飲料も無理だと言われた。

とりあえず脱脂綿を湿らせて

水を吸わせる。

食べ物の補給は一切できないので

あと1日が山と言われるが。


意識は、あるようだが

すでに体の自由が効かない。

呼吸の際も喉に痰が絡む。

足を立てたり延ばしたりを

頻繁にしている。


「苦しんですかね?」

「おそらく苦しいんだと思いますよ」

「痛みは?」

「ないと思います。

もし、苦しいようなら

モルヒネを注射します。

それによって

血圧はもっと下がってきます。

足を組んだり

体をかいたりというのは

体の置き所がない感じなんです。

末期癌患者特有の動きです。

つらいと思いますね」


医者との会話では

苦しいと言っているが

本人は、痛くも苦しくもない

という返答だ。

しかし、ときどき返答しなくなる。

寝ているわけではないのに。


看護師に痰を取ってほしいと言う。

「いいですけど

死ぬかもしれませんよ。

刺激しただけで

呼吸が止まりますからね」

「苦しいんであれば

モルヒネ打ったほうがいいですかね」

「それはこちらでは判断できません。

そうしたいというのなら

そちらの意志に従うまでです。

どうしますか?痰とりますか?」


かなり厳しい話だが

看護師長の言葉のトーンも

はっきり言って血も涙もなかった。


「しばらく考えさせてください。

痰とりはいいです。

しないでください」

「じゃあ、何かあったら

また連絡してください」

「わかりました」


このときの会話は

私には、ショックだった。

うまく説明できないが

とにかく、父の命は息子である

私の手にあるということを

改めて受け止めなければならなかった。


入れ替わりで

妻と妻の母親が病室に入ってきた。

「ごめん、ちょっと外に出てくる。

判断しなければならなくなった。

少し考えてくる」


病院の外のベンチに向かう。

時間は午後3:00だ。

私は一つ一つ理由を探した。

自分の判断の根拠を探した。

それはここには書きません。

そして、決めた。

総てを背負い込まなければと。


病室に戻ると

妻が父になにやら話しかけていた。

「パパ、つらいね。

眠る?眠りたい?お薬もらう?」

そのとき、父はうなづいた。

私はそれを見て心に決めた。

うちの妻に私の役目を

背負わせてしまった。

あれを聞くのは本当は私の役目。

でも、正直、聞くことはできない

と思っていたので

それを

妻が代わりにやってくれたこと

本当に感謝したい。


「ナースステーションに

モルヒネを打ってくださいと

言ってきます」

私は病室を出て、

「すみません、○○号室の○○ですが

主治医の○○先生に

モルヒネをお願いしたいのですが」

看護師に伝えた。


主治医はすぐにやってきて

「皮下注射で

モルヒネを処方しますから

少しずつだんだんと

効いてくると思います。

胎動もなくなります。

痛み止めのパッチもはります」


ゆっくりと注射した。すると

しばらくして息が安定してきて

ぱったりと胎動がなくなった。

眠ってしまったらしい。


私は父の耳元でこう言った。

「また会いましょうね。

今までありがとう。

ゆっくり眠ってください」

父に向かって頭を下げた。

妻も同様だった。


注射が午後3:40で

その後、病室は父の呼吸が

静かに鳴り響くだけになった。

血圧は50だから

生体を維持するのが

困難なレベルになっているそうだ。

ゆっくりと呼吸が止り

心臓が止るのを待つだけになる。


私と妻は逆に

気が楽になったのだろう。

歓談を始めた。父との思い出話だ。

そして、夜の10:30くらいに

私はベッドで寝る。そして、午前の

2:00くらいに妻と交替。

夜中に

心電図を取りつけることになった。

これで、二人が寝てしまっても

ナースステーションで

緊急事態に対応できる。


その後、6:00くらいに

ナースがやってきて、

「一気に心臓の鼓動が

弱くなってきました」

と言った。


ああ、ここまでか。。。

と思っていると

また

心臓の鼓動が強くなってきたらしい。

が、6:20とうとう鼓動がなくなり

医師の確認の元、死亡が宣告された。

この3日間お疲れ様でした。

本当によくがんばりました。

お見舞い客を待ち、私たちと比較的

長い間最後の時を過ごし

意識も覚醒させて

素晴らしい終末を迎えて

旅立ったと思います。

きれいな死に方を

自分で選んだのだろうと思います。

密度の濃い時間を過ごしてくれて

感謝いたします。

自分の親の死をどう扱うか?

そして、自分の死をどうしたいのか?

人生で最も考えさせられました。


さて、私の父にした行為は

安楽死なのか?

尊厳死なのか?

殺人なのか?






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