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厳罰。

 連日暑い日が続いていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は汗だくで坂道を登っています。

 今日は二拠点生活最終日なので、近所の観光名所を訪れました。そこの前はいつも自転車で疾走しているのですが、中に入ったことはこれまで一度もありませんでした。そこでしばらく訪れることができないかもしれないと思い、少し寄り道をすることにしたのです。中には人がほとんどおらず静まり返っていましたが、逆にそのことが厳荘的な雰囲気を醸し出していたので、いつもは感じることがない緊張感を感じました。

 途中階段を登ったのですが、なぜか涙が止まりませんでした。これまでの私の人生のように、頂上も見えずひたすら登り続けてきなぁと思いに耽ると同時に、たった1人だけど観光してもいいんだという喜びを感じて、胸いっぱいになりました。こんな当たり前の日常が、今の私にはとてもご褒美のように思えます。これまで地獄しか見ていなかったから、今はどんな景色も美しく見えるようになったのだと改めて気づきました。

 その一方で、今日は私の知ってる人が逮捕されたニュースを見て驚きました。なぜ、そういう事件を起こしてしまったのかわかりませんが、きっとこの後その人には地獄の日々が待ってるんだろうと、想像すると胸が苦しくなりました。最近、人の過ちに対して厳罰ありきの風潮が強くなってきてるような気がします。マスコミはその行為の結果や数値のみを伝えるだけで、何故そういう行為に至ったのかといういきさつや、あるいはその人のこれまでしてきた善い行いを取り上げたりすることはほとんどありません。起きている現象の一部のみが切り取られて繰り返し報道されることが、厳罰傾向を強くしている要因になっていると私は推測しています。だからと言ってマスコミは、けしからんと非難しても根本解決にはなりません。結局、その情報をリークして自分の欲求を満たす人と、その情報を受け取って自分の欲求を満たす人が存在する限り、このループは永遠に続くのでしょう。

 私はなぜこのループが永遠に続くのか考える習慣を身につけさせることが、教育の役割だと考えています。常に物事を俯瞰して、その現象が起きている背景には何があるのかを考える癖をつけなければなりません。また、それと同時にどんな現象であっても常にそこに愛情を持って理解を示す姿勢が必要だと思います。

 今日の朝ドラでも部下の罪に対して主人公が厳罰を下しました。確かに人が人を裁くことはとても辛いことでしょう。特にそれが身近な人であればなおさらです。しかし、罪は罪として認め、それを償わなければなりません。そして、周りの人は罪を認めさせると同時に、償うチャンスを常に与え続ける必要があるのです。今日の朝ドラの主人公は、部下の再生を信じながら厳しい処分をくだしていました。その根底には必ず愛情があるのです。この姿勢を育むことが教育の役割だと、今日も朝ドラのワンシーンから涙を流しながら学びました。

 明日は3ヶ月ぶりの散髪をします。すっかり地黒・ロン毛になってしまったので、以前の私とは全く違う風体になってしまいました。来週から社会復帰するので、少し身なりを整えてこれから始まる新章に備えたいと思います。

 これから大学教員になるひとには、人に厳しく接したとしても常に根底に愛情がある人になってほしいと思います。そして、自分と自分が大切にしたい人がともに成長して笑顔で語り合える日まで、何事にも愛情を持って諦めずにやり続ける人になってほしいと願います。


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