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私の転職体験記。

 各地で大雪が降りているようですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私はゲレンデに出かけるために慌ててYouTubeでスキーの動画を見て、イメージトレーニングしています。

 日経新聞社さんが転職体験記の記事募集があったので、下心見え見えで記事を書いてみようと思います。長文ですが、もしお時間があればご一読いただけると幸いです。


 以下応募文です。↓↓


 私はこれまで4回転職しています。なかなか壮絶な体験だったので時系列に沿って説明を試みようと思います。

 まず、1回目の転職は新卒採用された企業に入って6年目の頃でした。その会社は私たちが新卒採用の第一期生なので、かなり大事にされながら入社したと今振り返れば思います。しかし、仕事はかなりハードで今の時代であれば間違いなくブラック企業でしょう。しかし、負けん気の強い私は「できません。」という言葉を吐きたくなくて、深夜でも休日でも休みなく働いていました。なので、夜中に奇声を発して病院に連れ込まれることもあり、心身ともにボロボロになっていたような気がします。そんなハードな毎日を過ごしていたので、同期の中では高い評価を得て将来の幹部候補になるぐらいまでのポジションにいたのですが、30歳に近づくにつれて「このままでいいのかな。」と何となく漠然とした不安に襲われるようになったのです。そこで、一度自分を鍛え直そうと学生の頃がずっと行きたいと思っていた大学院に行くことにしました。ただ、当時は今のように社会人入試の制度は整備されておらず、一旦会社を辞めてから一般の学生と同じ条件で入学しました。

 大学院に行くとこれまでの社会人経験を見事に打ち砕かれました。アカデミックな世界で私の薄い経験は何の説得力がないことを思い知らされたのです。その後博士課程に行こうと思っていたのですが結局声もかけらたこともあって、もといた会社に戻ることにしました。今でこそ出戻りも当たり前になっていますがこれも当時では珍しく、何となく会社の人から「なぜ帰ってきたの。」みたいな視線を感じることもしばしばでした。そんなイヤな雰囲気を感じながらも以前と同じように仕事をしていたのですが、ある日上司から呼び出されて「今月末で退職してください。」と通告されたのです。後で聞いた話ですが、どうやら私みたいな大学院に行く人の前例を認めて他の人も行きたいと言い出したら困るからと判断されたようです。ちなみにその通告があったのが5月のゴールデンウィーク後だったので、翌日ハローワークに行っても私が希望するような求人案件はありませんでした。途方に暮れた私は、退職後毎日毎日ハローワークと職業訓練に通う日々を過ごしました。もといた会社への恨みつらみもありましたが、大学院と会社のダブルパンチで自分がいかに実力がない人間だったかと猛省し、もう一度一から勉強し直そうと思いそこから猛勉強の日々を始めたのです。

 そんな風にジタバタと悪あがきをしていると2回目の転職先に採用されました。2回目の転職先は行政の出先機関のようなところだったので、営利企業とはまったく違う文化がそこにありました。一番困ったことは、着任したらいきなり窓口で専門家として市民の相談に乗ってアドバイスをしなければならなかったことです。ノウハウを教えてくれる人は誰もいないので、自分でマニュアルを調べたり、関連ありそうな講座にでたり、専門家の人に根掘り葉掘りきいたりと、とにかく試行錯誤しながら相談対応する毎日でした。それでも数年間こなしてくると何となくコツをつかんできて、それなりに対応できるようになっていました。その姿を見ていてくれたのか、色々とアドバイスをもらっていた別の組織から「うちに来ないか?」とお誘いを受けたのです。

 3回目の転職は、その業界ではトップクラスの組織からのヘッドハンティングでした。2回目の転職したところでは次年度にトップの役職につくことを約束されていたのですが、それをお断りしてより広い世界で実力をつけたいと思い転職しました。3回目の転職したところでは、早い時期にその組織の長として働くことを条件として提示しそれを約束してくれたので転職したのですが、実際は違っていました。最終的にはその組織の長にはなったのですが、そこに至るまでかなりの時間と労力を要することになったのです。その間に色々と悩みましたし、実際に業績の低下も招いたので責任を取って辞めることを考えたこともありました。そんな悶々と悩んでいる時に大学の恩師から「大学院に来ないか。」とお誘いを受けたのです。最初はそんな余裕はまったくなかったのでお断りしていたのですが、それでも恩師から事あるごとに声をかけてもらったので、「これは行かないといけないか。」といつもの負けず嫌いの性格と、大学生のころから何となく大学教員になりたいと夢もあって最終的に大学院に進学することを決めました。ただ、当時組織の長をしていた私が業績を回復することなく大学院に行っているとは言えず、結果的に大学院を修了するまで組織には秘密にしたまま通うことにしたのです。しかし、これが地獄の始まりでした。昼間は仕事をして夜や休日は家事を優先して残った時間で研究をしていたので、ほとんど深夜か早朝しか時間が取れず、睡眠時間が3時間という日々が5年間も続きました。さすがにこんな生活をしていると体が悲鳴を上げてあちこちが破損していきました。一番影響をうけたのが歯だったのですが、大学院に行っている5年間で歯が5本も抜けてしまい、今も抜け続けているのでもう少ししたら全く歯がなくなってしまうのではないかと思っています。心理的につらかったのはすべて秘密にしていたので悩みを打ち明けられる人が周りにいなかったことです。このように心身ともに強烈なダメージを受け続けたので、何度も何度も何度も大学院を辞めようと思いました。それでもやっぱり「できません。」というのが本当にイヤだったので、大学院の博士課程5年目で何とか博士論文を書き上げ、無事博士号をいただくことができたのです。

 そして、現職である4回目の転職ですが、これも不思議な縁で採用してもらうことができました。ちなみに今の大学に就職するまでに32校の大学教員募集に応募しました。そのうち何校かは最終面接まで行きましたが、結局採用されませんでした。そのうちの1つはアメフトで有名なあの大学です。そこにお勤めの教職員のみなさんには申し訳ないですが、正直落としてもらってよかったかなと今では思っています。4回目の転職は今の仕事をしながら活動していたのでこれまでの転職活動ような切迫感はなかったのですが、それでも毎回毎回お祈りのお手紙をいただくとかなり凹みました。そのお祈り手紙は今でも大事にとってあって、もしその大学に呼ばれることがあったらチクリとしようと思っています。恐らくこういう性格だから苦労を強いられる人生を歩むんでしょうね。一方今勤めている大学は面接のときに何となく「ここに採用してもらえる。」直観で感じました。何より面接された先生方のほとんどがいい人だったので、この人たちと一緒に仕事ができればといいなと思って、帰りの駅でパスタを一人食べたことを今でも鮮明に覚えています。そして不思議な夢を見た直後に採用の連絡をいただき、ようやく私の転職の長い道のりが終わったのかなぁと出張に行っていたアメリカの地で一人涙を流しました。

 今の職場は課題もたくさんありますが基本的には満足しています。足かけ20年近くもなりたい自分を目指して転職活動を続けて、夢を実現した人は他にはいないのではと勝手に自画自賛しています。ただ、言えることはどんな苦しくてもその苦しみは必ず報われるということを転職活動をしているみなさんに強く伝えたいです。もし、私の転職活動中に一人でもそんな言葉をかけてくれる人が身近にいたらこんな大変な目に合わなかったような気がするからです。なので、できれば私は転職で悩み苦しんでいる人の応援団になりたいと思います。(実際キャリアカウンセラーの資格を持っていますので。)今の職場で満足している私もひょっとするとまた転職する機会が巡ってくるかもしれません。変化することは不安になることもたくさんありますが、きっとその先にすばらしい未来が広がっていると信じてこれからも自分が成長する機会があれば、新しい環境に積極的にチャレンジしていきたいと思います。

 「できません。」と言えない自分とともに。






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