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私の幸せライン!

「隣の芝は青い」などとない物ねだりの例えはいろいろあるが、逆の例えはあまり聞かないような気がする。
しかし普通では喜ぶようなことでないことも嬉しいと思うことで、幸福感は上がると信じることにした。
ない物ねだりをするのではなく「我が家の芝は青い」と思うようにしたのだ。


小さな幸せを喜べる日々

些細なことが幸福感を呼ぶことも多々ある。
不幸を探してもキリはないが、自分には必ず幸せも存在する。
自分の人生を他人と比較すること自体が愚の骨頂であることが分かっているからだ。

不幸を自慢する人と会ったら

朝夫婦でウォーキングをしていると同じ地区の人とお会いすることがある。
久しぶりの方なら少し足を留めて世間話をする。

「いつも幸せそうで羨ましい」と言われるから「なぜですか?」と聞くと、ご夫婦でそうして仲良くされているからなどと返される。
たまに「見るからに裕福そうですね」などと言われたりするが、口に出して言わないまでも「あなたの方が絶対裕福なはずでしょう」と思うこともある。

中には自分の苦労話を始める方までおられるが、なぜそんな話をされるのかと考えることがある。
おそらく自分は苦労してるんだということを認めてほしいのだろうと解釈している。
私が定年退職と同時に捨てた承認欲求だ。
そこで、そんな苦労話を聞いた時は「大変でしたね」と認めてあげるようにした。

「お幸せそうですね」とか「裕福そうですね」などと言われた時は敢えて否定せず「ありがとうございます」と言うようにした。

その人たちが私たちより不幸な訳でも、そうかといって絶対的に幸せな訳でもない。
誰も同じだ。
その人なりに幸せに感じることも心配事も持っている。

概ね日本人は心配事の方を強く意識しすぎて不幸だと感じ、幸せなことは見過ごしているのだそうだ。

幸福センサーを敏感にして人生を過ごしたい

今日は父の日だ。
先ほど娘から食品の詰め合わせセットが届いた。
中に「お父さんいつもありがとう」というメッセージカードが入っていた。

娘が書いたカードではなく食品会社が父の日用に入れたものだ。
それが分かっていてもこんなに嬉しいことはない。
結婚して仕事や家事に忙しくしているはずの娘が忘れずに気を使ってくれることではなく、優しい大人に成長してくれたことが私にとっての幸せなのだ。

親ばかと言われようが、敏感にこの嬉しさを素直に感じることができる幸せだ。
娘だけではなく、遠くに住んでいる息子からも父の日のプレゼントが届いた。

私は母子家庭で育ったから父親を知らない。
そんなこともあり子育て中は父親としての迷いや不安もあった。
父親を知らずに育ったのはある意味不幸だったかもしれないが、今はこうして父親としての幸せを充分に感じる人生を送っているのだから世界一幸せな父親だと言えるだろう。

子どもたちが優しい大人に育ったのは私だけの力ではないが、そのような感謝がまた次の幸せをもたらすことにも繋がりそうだ。

このような贈り物も人によって感じ方は色々だろう。
何もそこまで大げさに感情を高めることではないのかも知れない。
しかし嬉しいことに敏感に反応することによって心配事とのバランスを幸福側に傾けることができそうだ。

そうでなくても年齢が高くなるにつれて心配事が増えるのは世の常だ。
これまでなら見過ごしていたようなことにも敏感にセンサーを働かせ幸せを見つけたいと思っているところだ。

自分なりの幸せラインを探す

人と比較して全て自分の方が恵まれているということなど、誰であれあり得るはずもない。
仕事に恵まれ、能力に恵まれ、家族に恵まれ、お金に恵まれ、友だちに恵まれ、健康に恵まれるといったようにだ。

そのうちのひとつでも恵まれていれば幸せなのだ。
お金は無くても健康であれば、それがどれほど幸せなのかということを自覚することだ。

そのくらいは教えてもらわなくても誰もが分かっていることだ。
しかし分かっていても、ついない物ねだりをしてしまうのが私のような凡人なのだ。
だからこうしてNoteを使って戒めているという訳だ。

今日一日小さな幸せがひとつ見つかれば充分だ。
自分には自分なりの幸せもある。

例えば毎日やっていることが報われた瞬間だ。
スキルが上がったと感じた瞬間は特に嬉しい。
しかしこのようなことは稀にしか起きない。

だから私は生活の中の一般的に起こりえる普通の感情の下に線を引いた。
ハードルを下げたことでこれまでなら普通の出来事に喜びを得ることができる。
何もない日は、窓を開けて入ってきた風を涼しいと感じるだけでも幸せだと思うようになったのだ。
これも健康の証しだからだ。

日本人の平均的な感覚ではなく、自分なりの幸せラインを見つけると幸福度は一気に高くなった。
だから父の日のような幸せは特別感が際立つ。
そして今日一日健康で過ごせたことにも感謝できる。

そんな幸せ感覚を身に着けるために引いた私の幸せラインは低い。

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