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50歳の自分へ

66歳の定年退職者が50歳の自分へ言いたいこと

なぜ65歳も過ぎて今更「50歳の自分へ」という書き出しなのかと言うと、15年間をさかのぼって反省材料にしたいからだ。
Noteデビュー記事なので自己紹介も兼ねて書いてみた。


健康寿命と人生設計

まだ現役のサラリーマンだった50歳の頃は会社での責任も重くなり、更には子どもたちも大学生で子育てでは最大のお金を必要とした時期だった。
それだけではなく同居していた母が初期の認知症で妻を巻き添えにするなど家族の危機でもあった。

そのことを話せば1冊の本になるほどの出来事なのでここでは差し控えるが、自分の将来を考える余裕など1ミリの隙間もないほどだったことを思い出す。

分かっているようで間違っていたまぼろしの人生設計

この時、自分の将来についてじっくり考える余裕はなかったが、それでもおぼろげに自分の人生を想像していた。

身近な先祖の寿命から考えても、おそらく自分の健康寿命は75歳くらいだろうから60歳過ぎて早めに定年退職しなければ健康な内に第二の人生を楽しめない。
もしそうなら定年退職を遅らせるほど黄金の15年は削られていくに違いないなどと思っていた。

しかし自分の将来についてしっかり考える余裕がなかったというのはただの言い訳に過ぎない。
確かに50代というのは人生においても一番激しい年代だったが、これまでと同じように惰性で生きていても定年退職後も何とかなるだろうくらいの気持ちだったのだ。

1. 定年退職のことを知らずに人生設計できない


私の場合は実際に定年退職して初めて定年退職の実情を知ることになった。
先に定年退職を迎えていた会社の先輩から聞かされていた話は、真実味を感じることが出来なかったのだ。
その時は「自分は他の人とは違う」と思っていたのだ。

例えば「定年退職したら誰も相手にしてくれなくなった」とか「定年退職したら1日に1回も電話が鳴らない」などだ。
会社という組織から退いたのだから分からなくもないが、それはあまりにも極端な話に感じたのだ。
長年営業職で培った人脈は何も仕事だけの付き合いではない。
仕事を休んでプライベートで旅行に行ったりした仲間は定年退職後も変わりなく付き合ってくれるはずだなどとなんとなく思っていたのだ。

しかし真実は諸先輩方の話が正しかった。
現役中は1日平均20回程度は電話が鳴っていたので、返って電話が鳴らない方が煩わしさも消えてスッキリするだろうとも思っていた。

実際に定年退職して電話が鳴らない日が何日も続くと、まるで社会から見放されたように思えてくる。
会社でNo2と言われていた先輩が弱々しい声で「定年退職したら誰も相手にしてくれなくなった」とつぶやいた言葉が定年退職から3ヶ月経って蘇ってきたのだ。
定年退職して組織から離れるということはひとりになることだ。
それまでの人脈に頼ることも期待することも出来なくなるということをもっと早くから知っておくべきだった。

2. 定年退職で失うものと得るものを知っておく

サラリーマンで培った人脈を失うのは今書いた通りだが、定年退職で失うのはそれだけではない。

もちろんサラリーも失う。
当たり前すぎて考える気にもなれないだろうが、これが何を意味するのかもっと真剣に考えておくべきだったと定年退職後に反省することになる。

定年退職の前後で考え直さなければならないお金の価値観の話も長くなるのでここでは省略する。

定年退職して失う三つめは居場所だ。
現役当時は当たり前のように出勤して自分のデスクを陣取り、多くの時間を職場と言われるオフィスで過ごしたものだ。

そこにある仕事というやることが四つ目の定年退職で失う日常だ。
会社は日常的にやることを提供してくれた居場所でもあったのだ。

もう一つ定年退職で失う大きなものは責任だ。
会社での責任はもとより家族を養う責任も失われる。
つまり定年退職とは誰からも頼られることがなくなるということなのだ。
社会生活においても人生においても、これまでは当たり前だったことが定年退職で失われることをもっと早くに知って対策をしておくべきだと思った。

そしてその失うもの全てを代償にして得るものが自由だ。
煩わしさやしがらみなどの縛られているものから解き放たれて自由になるのが定年退職だ。

3. 自分の健康寿命を査定して定年退職の時期を決める

私が自分の健康寿命を75歳と考えた理由は先ほど書いたが、なぜ健康寿命が人生設計にとって重要なのかと言うことだ。
もちろん定年退職後の人生が最後の人生になることは誰もが分かっているはずだ。
世間では最後の人生と言わずに第二の人生などと言うが、紛れもない最後の人生だろう。

しかし私を含めた多くの人は、その最後の人生を真剣に考えようとしていないのではないかと思えて仕方ない。
「寿命など誰にも分らないから考えても仕方ない」とか「考えてどうなるものでもないだろう」と私も50代の頃は思っていた。

何が言いたいかというと、せめて50歳くらいからでも健康を意識して将来にそなえていれば健康寿命があと5年くらいは伸びたのではないかと今更ながらに思うのだ。

仕事のストレスを開放すると自分に言い訳しながら、暴飲暴食やタバコを定年退職までやめなかったことを後悔しているのだ。
健康寿命が75歳と80歳でも人生設計は違ってくる。せっかくなら人生最後の黄金の15年を丸々使い切って死にたいものだ。

いや、欲を言うなら20年でも25年でも黄金の人生を楽しむに越したことはない。
もちろん今からでも人生設計の健康寿命を変更したい気持ちは充分にあるから、ウォーキングやない脳を精一杯使おうと頑張っている訳なのだ。

4. 人生設計に家族を組み込む

亭主元気で留守がいいと昭和人は言っていたが、定年退職後にその言葉は当てはまらない。
家を留守にしてもサラリーを持って帰ることができないからだ。

定年退職後に居場所を失うと書いたが、特に男性の居場所は家にもないと考えた方がよさそうだ。

リビングに少しでも長居しようものなら「粗大ごみよりたちが悪い、粗大ごみは邪魔になっても喋らない」と言われかねない。

「それはお前の家だけだろう」とお叱りを受けそうだが定年退職してから家に居場所がない人は少なくない。
特に現役の頃、仕事を理由に家族を蔑ろにしてきた人は要注意だ。
50歳からでも遅くはない、特に奥様には優しく接しておく方が身のためだ。

これは決して男性だけに言いたいのではない。
女性も定年退職すれば同じことだ。
定年退職後は夫婦でギスギス暮らすのではなく、仲良く暮らすことが心豊かな人生に繋がるのは言うまでもない。

要は夫は妻、妻は夫を頼る意外に頼る者も頼られる者もいないと言うことだ。

5. 50歳に戻って人生設計をやり直すなら

戻れるわけではないが、もし50歳に戻って人生設計をやり直すならと書いたのは、今50歳前後の人は一度立ち止まって将来の自分の人生を考える切っ掛けにしてほしいからだ。

定年退職で失うものも分かっていれば、今からそれを補う手立てを考えておくのも悪くはない。
人脈、サラリー、居場所、やること、責任などだ。
どっちみち定年退職後にはこれらを補おうと奮闘することになるのだから、手を打つなら早い方がいいというだけのことだ。
それをしないということは生き甲斐、即ち生きる理由や喜びを失くすことにもなりかねないということだ。

やりたいことを見つけようと思っても簡単には見つからないから、50歳の今から少しずつ探ってみようと考えるだけでも今後の人生が変わると信じているのだ。

人生設計と言うほどの大それたものではなくてもいいが、定年退職は今考えている以上に惰性だけでは遣り過ごすことのできない人生の分岐点だということを伝えたいのだ。

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