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村長の引継ぎ⑦

《若かりし頃》

 役場の宿泊部屋に寝転びながら、外から聞こえてくるクビキリギスのジージーという鳴き声を聞いているうちに昔のことを思い出していた。

 私は十五歳までこの村で育った。小中学校は山のふもとだったのでなんとか通えたが、高校は寮に入らざるを得なかった。農業高校はどうにか通えるので、村の連中は中卒か農業高校出が普通で、自分のような普通高校は珍しかった。親も村の近所の連中も自分の行く末を心配して、いつも話の対象になっていた。

 寮では電話が難しかったので、毎月初旬には母から手紙が来て中旬には返事を出していた。一日かければ戻れなくもないが、普通高校に来たからには勉強の時間を確保しておきたかったし、交通費の捻出が難しかった。それに特待生として入り学費免除だったので、成績は下げられなかった。

 ただ卒業すれば戻らざるを得ない道義を感じていた。親父が病身で半日畑に出ればいい方だった。しかしお袋が大丈夫だからと自分の勉学を応援していた。弟もいるので畑は耕していけると。
 級友の半分以上は大学進学に向けて頑張っていた。私の成績なら国立大学も行けそうだった。

 三年になり進路面談も多くなり、一度母親が何とか学校に来てくれて、三者面談を受けた。先生は熱血教師でもなく、剛君の成績なら国立に受かると思いますが、家の事情もありそうなので強く言えませんし、とやんわり話す様子を母親が食い入るように見つめ、先生の顔を正面にとらえて、少し黙った後に、大丈夫です、と言い切った。

 先生は私から家の事情を聞いていたし、小此木村なら両親のためにも農業を手伝った方がいいかもしれないとも思っていた。必ずしも高学歴が幸せとも限らないというのもあった。ただ勿体ないとは言ってくれていた。
 母親がそんな風に言う姿は初めて見た。いつもなるようになるといった周囲に逆らわない性質だったし、近所や親戚からも早く帰らせないと戻ってこなくなるよ、と言われていると弟からも聞いていた。

 近くの駅までお袋を送りながら、大学は奨学金でなんとかするから、落ちたらあきらめるから、と言って手を振った。翌々日段ボール一杯の野菜が二箱届き、ひと箱は先生にというメモが入っていた。村では宅急便屋も滅多に来ないので、ふもとまで運んだに違いなかった。

***

 そうして、無事大学に合格し、農学部に進み、県庁に入り、各地を転々としているうちに親父が亡くなり、葬儀の席で、村長から相談があり、学のある剛君に次期村長を是非ともやってもらいたい、親父さんもそう申していたし、見渡しても君しかいないと念を押され、三十中頃に故郷に戻った次第だった。

 真面目な青春ではあったが、一度大学時代に酒を飲んで調子にのって線路を走り、鉄道警察につかまってこっぴどく怒られたことがあった。大学の寮では毎晩酒盛りがあったのだが、生活費のために道路工事のバイトをしており、たまたま休みのときに寮の先輩につかまって泥酔してしまった晩だった。肉体労働で人一倍体力はあったので、酔いを醒ますのに電車のように線路を走ったのがいけなかった。
 駅員が上半身裸でレールを走る男を発見し、驚いて緊急通報を出したのだった。それ以来、特急剛号と言われるようになって周囲にも溶け込んだが、相変わらずバイトと大学の往復で大学時代は過ぎていった。

 大学から県庁へと、果物の品種改良に携わっており、特に品種改良された桃の生産拡大を支援していた。新たな品種は微妙な環境差でうまく育成できないものもあり、病気に強い品種という実験結果があっても油断ならなかった。
 そのため各地での生産指導はその土地の土壌検査から始まって、次世代、次々世代を末広がりにする工夫が必要だった。
 また、一旦うまくいっても新しい品種が売れるとは限らず、ご当地キャンペーンなどの広報活動や、そのための様々な販路調整や事務処理対応をたんまりやっていた。

 そこへ、親父の葬儀の席で山形さんより先の話があり、冗談半分にとらえて県庁勤めを続けていたが、ある夏の朝、雨上がりの虹が出ていて、窓がしばらく眺めていたが、虹の輪のずっと先に地元の山々があることに気が付き、は!と頭に電気が走ったのだった。

 既に三十五歳になっており、彼女ができそうになると、長期出張が始まるといった繰り返しで、独身のままだった。
そのため家財も少なく部屋はスッキリしており、村への引っ越しは軽トラ1台で十分だった。

***

 仕事仲間に見送られ、再び故郷の地に立った。

 周囲は、それを当たり前のように、二十年ほど遅れて帰ってきたかのように迎えてくれた。お袋も年を取ってくたびれており、弟は私が帰ってきて、一部荒れ地になっていた畑を再度耕せると喜んでいた。
 弟は既に幼馴染みの近藤智子さんと結婚して同居していたが、長男の私が帰ってきたら、近藤家に夫婦で住もうと計画していたらしかった。
 私が村長になったら当面は役場に住むというと、いやいや結婚したらどうすんだ、いい人は結局街では見つからなかったのか、役場は古くて汚いぞ、といった話に膨らんでいった。

 母は私が村長になることを嬉しがっていた。
 役場の議員で村長になりたがるものもおらず、まずは議員に当選してから村長という段取りだったが、山形さんはもう退任することにしており、立候補すればそのまま新村長ということになっていた。
 他の議員より若いので謙虚にするんだよ、という母の言葉もあったが、県庁で苦労した経験もあり、そこは大丈夫だった。

 外の世界を経験してきて、村の素晴らしいところと、遅れているところがわかっていたので、村長としての抱負も漠然と持っていた。

【村長の引継ぎ】
最初の話:
村長の引継ぎ①《着任の日》
前の話:村長の引継ぎ⑥《村の運動会》
この話:村長の引継ぎ⑦《若かりし頃》
後の話:村長の引継ぎ⑧《新たなゴミ施設》

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