上京の頃
東京の予備校に受かって、私は母と下宿探しをしていた。東京のことは全く分からず、予備校で紹介された安い下宿を数か所回った。
中野にある下宿は大家さんが母屋にいて、庭に向かって廊下につながっている一部屋に東大生が住み、その向かいの一部屋が空いているということだった。駅から歩いて近かったので有力候補だった。
大家さんは年配のほっそりした婦人で、玄関で話をしていると、急に廊下の柱に寄りかかってしまった。医師だった夫が亡くなり一人暮らしとのことだった。母と私はその倒れそうになったことに驚いた。
下宿中の東大生の部屋の入口で彼とも話すことができた。ここは静かで勉強に最適です、と丸っこい眼鏡で丸っこい姿勢の彼は椅子に座ったまま話した。その帰り道、古いビルの二階のベランダに干している下着が黒ずんでいた。道路の粉塵をたんまり吸ったように見えた。
二軒目は池袋から私鉄に乗った先だったが、予備校から遠かったのと、下宿の大家さんの愛想が悪くて、すぐに候補から外した。その帰り道には、下水に大きなネズミがいて、それが丸々と太っていて、ゆっくりと別の下水の穴に入っていったのを目撃し、東京に住むことが怖くなっていた。
三軒目は大家さんとは離れたところのアパートで、古い建物だったが各部屋に小さな洗面所が付いていて自炊ができそうだったし、裏手に風呂屋とコインランドリーがあって生活に便利そうだった。母は日帰りで来ており、そこの空いている一階の部屋に決めることにした。
住み始めてみると、壁が薄くて、同じような学生が住むそのアパートの騒音は相当なものだった。私は騒音の主を特定しようとした。二階にラジカセのボリュームを最大にして騒いでいる連中がいて、私は勇気を出して「静かにしろ!」と窓から怒鳴った。
向かえは学校のグラウンドで、昼は学生の声がこだまし、夜はその塀に向かってボール投げをする少年がいて、その繰り返す音が我慢ならなかった。夕方その子が遊び始めた頃を見計らって注意しに行った。
夜は何者かが足の上を素早く通り過ぎた。最初は毛布のかかり具合だろうと思って足を出してみると、その上にも同じ感触があり、驚いて裸電球をつけると、三匹のゴキブリが明かりの中で静止した。
私は栄養のためスキンミルクとミックスベジタブルを毎日摂っていた。予備校までは三十分ほどで、その帰り道にスーパーに寄って最低限の食材を買って帰った。
昼も夜も、アパートのすぐ前を通る連中の声や、そこら中から響く物音で勉強に集中できなかった。アパートを見学したのが休日だったことを悔やんだ。
その周辺には緑がなかった。田舎育ちには自然が欲しかったので、ときどき通学の電車を途中下車して、木々の葉が生い茂った公園沿いを散歩した。
部屋にはときどき宗教の勧誘で、慇懃な青年が教本をもって立ち寄るようになっていた。みかん箱を挟んで二人で正座して、彼はその教本をゆっくりと読んで聞かせた。毎週一章ずつという話で、彼は夕食後の時刻にやってきた。
北方領土返還のためということで、募金を呼び掛ける粗野な男が部屋のドアを開け、皆が払っているという名簿を見せ、千円をもぎ取っていった。新聞の勧誘もきたが、ドアの隙間からテレビがないのを確認して舌打ちして帰っていった。
父が入院していたのもあり、実家の母に公衆電話で様子を聞いた後に、財布を忘れたのに気が付いて、大急ぎで戻ったが、ほんの僅かな隙に、それはなくなっていた。
ある日の深夜、アパートの前で怒鳴り合いの喧嘩があり、一人の男が外壁に寄りかかったらしく、部屋の窓が大きく割れてしまった。
私はもうここにはいたくないと思った。窓をガムテープで修理したが、隙間風でパタパタし、昼に予備校から帰ってくると、なんともみすぼらしい部屋になっていた。
私は引越しを決めた。
引越し屋が来る前日、夕方には荷物をまとめ終わり、部屋の真ん中でぼんやり座っていた。窓の隙間から大きな蛾入ってきて裸電球に当たり、暗い部屋の中で私の影が揺れていた。
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