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データだけでできたペルソナは死ぬのでは?
画像引用元:エフ・エム・ジェー マガジン
「ペルソナの性格の根拠は?」
とあるサイトレビュー会にて、上司から言われた言葉。
商材は伏せるが、今回のターゲットは千葉県在住の20代後半女性。控えめで庶民派、費用を抑えるためには検索する時間も惜しまないタイプと設定していた。
思わず言葉に詰まるも、「都内暮らしを選ばない=家賃を抑えることから、都内に住む人との差別化を図るために庶民派と設定した」と伝えた。
「千葉県民にそんなイメージはないけどな〜」と部長。「若い女の子の何がわかんじゃい」と思いながらも、完全に私の妄想で立てたペルソナに説得力を持たせられず、設定したペルソナからサイト構成にまで自信をなくした。
世のクリエイター達は妄想力に優れていると思っていた
性格にまで根拠は?というが、性格なんてペルソナ本人も気づいていないだろう。私は人よりお金に対してシビアで、人より時間をかけて調べるほど優柔不断だ!なんて誰が自覚してるんだろう。
この世にある数々の人を魅了してきたコピーは、ライターが身近な友達を想像して書いたものだと思う。
「あいつにこう質問したらどう答えるだろう。」「あいつに何を見せれば足を止めて見てくれる?」クリエイターはそうやって友達に憑依し、コピーを書いてるんだろう。
数字で語れない妄想にこそ光るものがある。
ルミネの広告だって、強めの赤リップにはね上げラインの女の子が切ない恋をしながら強く生きたいと願っているなんて誰が想像つく?そんなことデータになってないだろう。
おしゃれな格好をして渋谷を歩く女の子の少し悲しげな眼差しの意味を死ぬ気で考え、SNSで女の子の悩みを漁って照合させて、あの眼差しの意味を仮説立てた結果ではないか?
駆け出しクリエイターの癖に一丁前にひねくれた考えを持っていた。
そんな考えはとある本に出会ったことで、感情的思考vs論理的思考の決着がついた。
感覚的思考vs論理的思考
世界を動かしたいなら、世界の「好き」と向き合う必要があり、世界の「好き」と向き合うには、自分自身の「好き」と向き合う必要がある。
数々のクリエイティブディレクションを経験してきた福田さん。
なんとも勇気が出る言葉だ。感覚市場主義にとっては超安心できる言葉だった。
しかし、数々のクリエイティブディ(略)、さすがに甘くなかった。
クリエイティブ思考の真骨頂は感覚的IN &OUTと論理思考の高度なバランス、統合力ということに。
企画経営者の中には、感覚的な議論だけで重要な経営判断をするなんて、という方もいらっしゃる、というのが福田さんの見解。というかそりゃそうだ・・・。だからこそ、このバランスを操ることがクリエイターの真骨頂なのだそうだ。
そう考えると、クリエイターって面白くない???
マーケター・デザイナー両方の思考を当たり前に持って、当たり前に創る。天才か。
さらに、感覚と論理という真骨頂の企画4ステップとして
1.時代知覚(誰も気づいていない時代変化に誰よりも早く気づき)
2.仮説(大胆な仮説を立て)
3.コンセプト設計(ユニークなコンセプト)
4.感覚表現(誰も思い付かないすごいデザインをする)
つまり2と3を論理思考中心で組み立てつつ、自分の「好き」という感覚を織り混ぜ、4で100%の感覚をぶつけてアウトプットする。
そうなると私は「感覚の使い所を間違っていた」ということだ。
ペルソナ=時代知覚。まだ感覚を使うところじゃなかったということだ。
言語化という名の再現性
正直、この4ステップは教えられたフローとして当たり前にやっている。
でも改めて言語化してみると腹への落ち方が違うもんだ。
私はクリエイティブという名のセンスの塊みたいな言葉が嫌いだ。
「服装ださい、センスない、おもんない」関西人という免罪符で死ぬほど言われてきたから(ちゃんと友達ですw)、自分の創るものに全く自信がなかった。
でも今の仕事に就いて、「あなたは先天的にクリエイティブ脳を持ってる」って言われてちょっと自信がついて、自分のやりたいことを形にするためにたくさん走り回った。
そんなセンスがない分行動量でひたすらカバーする自分は、地道な言語化が必要だ。
独りよがりのクリエイティブにならないために、明日からも自問自答しながらひたすら創っていく。
福田さんの本、読んだ方ぜひ感想教えてください!
多分理解できていないところたくさんあるので、色々と議論がしたいな。