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#16「ひと粒から始まる長い旅」

さとゆみさんの連載「今日もコレカラ」を読み、感じたことを書く。引用リプじゃおさまりきらない、グルグル余韻の言語化トレーニング。

今、自分が著者になって思うことは、もうどんな手段でもいいから、読んでほしい。誰かに借りても、図書館で借りても、ブックオフで買ってくれても、道端で拾ってくれてもいい。入手ルートは何でもいいから、一人でも多くの人に読んでもらいたい。これが本音である。



源氏物語だって、枕草子だって、初版はたった1部だったのだ。 


一生に出会える人数は限られている。

家族・友人・職場・親戚・近所の人。 SNSやコミュニティを含めても、人類からしたらきっと1ミクロンにも満たないよね。


本になると、さらに出会う数は限られる。なぜなら本って、「読もう」と思って初めて"出会い"のスタートラインに立てるから。手にとったとしても、「コレは小難しそうやわ」と自ら手放す本もある。

そう考えると、「星の数ほどある中で、出会える奇跡」的なクッサイフレーズも、ちょっとだけ理解できる。


出会う本によって、大きく人生が変わることもある。良くも、悪くも。

ほな、どうやって自分にプラスの本を見つける?

難しいことは分からんけれど、「好き」の先にぶつかるものは自分のリズムに合っている。そんな気がする。

✳︎

恥ずかしながら、「Work Is Life〜宇宙一チャラい仕事論〜」が発売されるまで、近藤康太郎先生の存在を知らずにいた。

近藤先生の本を知ったのは、編集Lillyさんの投稿。Lillyさんを知ったのは、さとゆみさんの「本を出したい」がきっかけ。

トークイベント後の出版記念パーティーで、Lillyさんの考え方に惹かれた。

この人が手がけた本ならば、と購入。

宇宙一チャラい仕事論で射抜かれ、「三行で撃つ」「百冊で耕す」で惚れ込み、他の本にも手を出している。

手に入る限りの著書を拝読したら、大宅壮一文庫(雑誌のアーカイブも閲覧できるみたい)や国会図書館(これまでに出版された本※エロ系は除く がそろっているんやて)に足を運び、過去の連載も読むつもりだ。

知らないままだと、絶対に後悔するから。

✳︎

やはり、本を広めるのは「人」なんだ。

そしてつい最近、Lillyさんのブログ「Daily Lily 本と人生を編集する日々」で、出版に込められた思いに触れた。

百年遺すつもりで、本を作った。

「千年の読書」に、なる。なんて、欲はさすがにかかないけれども、百年後も読まれるに値する文章読本にはなった。自負は、ある。

著者の近藤康太郎さんは、私の心算など知りはしない。でも、榛原の勝負便箋に、単行本書き下ろしの依頼状を書いたときから、私はひそかに戦ってきたつもりだ。この人の文章を私が死んだあとにも遺したい。

そして、この人の文章を百年後に遺せる人間がいるとしたら、それは、私しかいない。そう思ったから。

「わたしにしか、書けないものは、ある:哲学的文章読本『三行で撃つ』」より


近藤先生は「事故」と表現されていたけれど、「波がきたら乗ってみる」と。そこまで言わしめるのは、Lillyさんへの信頼があってこそなんやなぁ。

はじめ著者を泳がし、のち、愛ある粋な遊び心で原稿を容赦なく絞りとり、文章の女神を呼び出してくれる編集Lillyこと田中里枝さんに。

「Work Is Life〜宇宙一チャラい仕事論〜」の謝辞より


著者や編集者からしたら、手に届くか、届かないかも分からない本を出すのは「賭け」といえるだろう。

「どんな手段でもいい。多くの人に読んでもらいたい」

損得を超えたひとりの思いが1人、また1人と火を点けていく。


わたしにできることは?

  • 感想を書き残す

  • できるだけ多くの図書館にリクエストする

  • 縁した人に、自分の言葉で思いを語る

いま思いつくのはこれぐらい。
地道やけど続けていこう。



少しでも多くの人に、この思いをつなぐために。

本を遺すのは読者である。
読者はリレーの最終走者じゃない。次の読者につないでくれるのが読者なんです。この美しいリレーがいつまでも終わらないように。

パーティー後、Lillyさんから寄せられたメッセージ


▼5月25日の午前7時ごろまで読めます!こちらもぜひ♪















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