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不自由さに「自由」を見出す

近藤康太郎先生の新刊「Work Is Life 〜宇宙一チャラい仕事論〜」が、2024年4月26日に発売される。イベント参加者の特典で4月18日に手元に届き、その日のうちに読了した。

「チャラい仕事論」と聞き、おふざけを連想する人もいるかもしれない。しかしこの本は正反対、例えるならば「チャーラー、ヘッチャラー」の、あのアドベンチャー。194ページで冒険できる。著者の人生をたどっている気分になる。そんな1冊だ。

最初から、楽しい仕事ができるわけがない

近藤先生の直球どストレートなメッセージが、ズドンと心に刺さる。同時に、今までうまく言葉にできなかった思いを代弁してもらったような、爽快感を覚えた。

「あなたは、楽しい仕事ができていいね」

昔から、仕事の話をすると十人のうち九人はそう返す。私は違和感を覚えながらも「ありがとう」とお礼を言う。確かに「今」仕事は楽しいけれど、最初から楽しかったわけではない。そんな反発心を抱きながら。

「見る目、なさすぎやろ」と思った人事

教員1年目は、思いっきり畑違いな家庭科専科(5〜6年生)を任された。さらに3〜6年生の書写指導もセット。3月下旬に言い渡され、4月上旬にはスタートする。しかも私、大の面倒くさがりで家庭的の「か」の字もない。頭は真っ白、顔はきっと真っ青だった。

それでもやるしかない。教材もワークシートもほとんどなかったので、1年かけて全て手作りした。裁縫セットを持ち帰り、自宅でなみ縫い・本返し縫いといった基本を練習。習字も同様に、とめ・はね・はらいなどの筆づかいをひたすら練習した。

「やるしかないから、やる」

そこには、「楽しいか、楽しくないか」なんぞなかった。選択肢はひとつ、やるしかないのだ。やらなければ、その道が閉ざされるだけ。やりたいことをするための通過点。そんな感じ。

「楽しさ」に気づく

やるしかないから続けていくと、「楽しさ」が見えてきた。

子どもたちに教えるために勉強し、授業をしながら自分も学ぶ。1回勝負の担任とは違い、専科は3クラスの学年なら3回同じ授業ができる。

1回目の授業から見えてきた子どもたちの反応を踏まえ、2回目の授業をアレンジする。

なにこれ、めっちゃ授業力を鍛えられるやん。それも毎日、自動的に。すごくない?

1か月が経過したころには、あれほど嫌だった家庭科専科も悪くないと思い始める。

習字も同じく、やっていくうちに水書板(手本見せるやつね)に「こんな字、やるでー」ドドーン!!と書く楽しさに気づく。

「小学校全科といえども、家庭科・書写は苦手やな」と思っていた私にとって、家庭科・書写専科の経験は武器になった。

自由がない?甘ったれるでない

私が大好きなのは、アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」を引いて語る近藤先生の考え方。

好きなことをさせてくれない。望むポジションにつかせてくれない。そんな泣き言こくな。爆発するのは牢獄にいるときなんだ。

自由がないからこそ、知恵が働くし、工夫を凝らす。抑圧され、自由を渇望し、その思いがのちに創造力となって爆発する。

「Work Is Life 〜宇宙一チャラい仕事論〜」

この文章を読みながら、「ショーシャンクの空に」「ライフ・イズ・ビューティフル」の2作品を思い出した。

「ショーシャンクの空に」は、無実の罪で逮捕・投獄された主人公が知恵を働かせて脱獄を成功させる。

一方の「ライフ・イズ・ビューティフル」はナチスドイツに迫害されたあるユダヤ人家族の話。

まさに撃ち殺されようとする状況で、子どもを不安にさせまいと「笑顔で劇を演じる」父親の姿に泣きじゃくったのを覚えている。

この本を読むまでは、2作品に共通するのは「絶望から希望を見出す力」だと思っていた。もちろん間違いではないだろうが、この力は崖っぷちだから生まれる「創造力」ともいえる。

とことん「自由」を奪われたバイト

学生時代、生活費・学費を稼ぐためにアルバイトをしまくっていた。教職課程なので、専門学校なみに授業がギチギチ。

特に2回生のときは、アルバイトの時間を確保することすら難しい。そんなとき、先輩に紹介してもらったのが泊まりがけのホームヘルパーの仕事だった。

利用者さんは同年代の大学生で、筋ジストロフィーを患っていた。土曜日の夕方から日曜日の朝まで、1人暮らしをするアパートに行き、食事・入浴・洗濯などの介助をする仕事。

利用者さんの指示通りにご飯を作り、ビッシャビシャになってお風呂介助をし、落ち着いてからコンビニで買っておいた自分の食事をとる。娯楽は何もないので、休憩時間中に資格の勉強をした。

そのうち、資格の勉強も禁止される。携帯は音が鳴らないようにしていたけれど、バイブ音が気になるから電源を切るように言われる。ネックレスをしたまま入ってくるな、おしゃれな服を着るな。

✳︎

次から次へと自由が奪われていく状況で、最後に残ったのは「思考」だった。

仕事が終わったら何をしよう、あれを食べよう、思いっきり寝よう、などなど。真っ暗かつ静かな部屋で、さまざまな「楽しみ」をめぐらせる。

あれやこれや禁止できても、人の思考だけはいつの時代も自由だ。自由自在の思考こそ、AIにはない人間の強さといえるだろう。

つまらん仕事もやって、今がある

十数年が経った今、「楽しい」仕事をしている。どうせやるなら楽しい仕事がいいし、仕事相手も選んでいる。

ただ、もしも目の前に「つまらん仕事」しかないなら、迷わずやるだろう。つまらん仕事の先にだって、きっと楽しみがあるから。むしろ楽しい・楽しくないなんて、「今」の自分が決めるモノサシでしかない。

やってみたら、案外楽しいことなんてゴロゴロ転がっているんじゃないかな。どうせやるなら楽しみ尽くそう。仕事も、人生も。









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