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オンラインで生きる母①〜家族の不協和音〜

今、私は苦しんでいる。0歳と3歳の子育てをしながら「子供・夫・両親・自分」が平和に楽しく生き生きと過ごす方法を模索している。

オンラインでたくさんのことを学び、つながった友達や大切な先輩、先生、仲間がいる。オンラインサロン、オンライン勉強会、オンライン起業研修・・・。睡眠時間を削りながら家族のために、自分のためにともがく日々。

だけど、「母なのに何してるの?」「今それやることなの?」「子供が大きくなってからではダメなの?」と夫や両親に言われれば言われるほど、適切に説明できない自分が、もどかしく・ぶつけようのない感情が空回る。



1、母しか育てられないのか?


3歳の娘を産んだ時。長い不妊治療を終えて「ようやく自分から産み、物理的に離すことができた」と安心した。高度な医療技術があっても母体で育てることが何よりもいいらしい。それをなんとかやり切った。

元気に生まれてきてくれたので、あとは夫も両親も手伝ってくれるだろう、いやむしろ私はやりたい放題やってもいいんじゃない!?そんな淡い期待を抱いていた。

しかし、実際は母体の検査と同時に行われる新生児検査。1歳児検診では、子どもの検査もされるが、母が元気かどうかチェックが行われた。もちろん育児鬱やノイローゼ、その先にある事件や事故を未然に防ぐ前提で始まっているのは頭ではわかる。

ただ、そこで弱音を吐けない。吐いても結局誰も助けてくれない気がして。


2、甘えられない母

日本の制度は整っている。

子育てサービス、行政の相談期間、無料電話など。そして子育て世代への補助も増えてきた。

ただそこに十分に甘えられない、安心でして心を開けないのである。

それはなぜか。

「みんな無責任に意見を言って、話を聞いて、最後はママがんばってね〜!」

私にはそう感じた。(※そんなことは口にしないが)

一時的な悩みは晴れる。ただ、その後の変わらない現実が辛いのも事実である。

だから「素直に書いていいよ〜」とか「困っていることない?」って聞かれても、そこまで困ってもいない「離乳食があまり進まなくて」「いやいや期が酷くて」って言ってしまう。その場を凌ぐために。


素直になれれば・・・

辛いと言えれば・・・

そんなこと何度も思った。何万回と思った。

わかってんだよーそんなこと!!!と、ブチギレたくなる日々だった。

死のうとは思わなかったけれど、「ああこうして命を絶つママもいるんだろうな」そう察したことは何度もあった。


3、幼い頃の記憶

ありがたいことに、私自身は親に叩かれたことはない。だから今のところ我が子を叩いたことはない。だけど兄は長男として、昭和の父親にビシッと教育されていた。その時は別になんとも思っていなかったけれど、悪いことをすると叩かれるのではという意識は生まれた頃からあった。

厳しい父親も、娘である私には甘かったので「守ってほしい」という思いから「いい子ちゃん症候群」でいたのかもしれない。

そして母は私と同じように「自分が頑張れば、自分が堪えれば家庭は平和だろう」という意識の人だったし、その時代では珍しい女性ながらにバリバリ働く人であった。そうなりたくない、寂しかった子供時代を埋めるように「もっと幸せで平和な家庭を築きたい」思うようになってしまっていた。




4、令和ママの苦しみとは


これは私なりのデータでしかないが、第一子が女の子のママは「自分と同じようにならないように」と苦しむ気がする。子供時代に埋められなかった寂しさや辛さを埋めるように。言葉使いにきを使って「優しいおだやかな子供になるように」と自分を押し殺す。

お友達に怒っちゃダメ、叩いちゃダメ、優しくね、ありがとうだよ、、、、うまく伝えられずにからまわる、どんどん自分が蝕まれていく。

そして第一子が男の子のママは「思うように育てられない辛さ」で悩む気がする。そして、夫との関係でギクシャクしているようにも感じる。(もしかしたら夫からすると息子に自分の女を取られたような感覚だろうか?FURINとかもこのケースが多いのか・・・?)


・・・②に続く・・・




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