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それでも僕がラオスに行く理由

僕は大学4回生だ。関西の私立大学で社会学を勉強している。

昨日、葉田甲太氏の講義を受けたことをきっかけに、彼がモデルになっているノンフィクション映画『僕たちは世界を変えることができない。』を観た。

その映画を観ていく中で様々な考えや思いが僕の中で湧き出てきた。それらの考えや思いを言葉にしたくなり今このnoteを書いている。いつもは、背伸びをして難しい言葉や堅苦しい表現を使って文章を書いているけど、このnoteは等身大の僕の言葉で、正直に、素直に、書こうと思う。


コロナ禍での大学生活

2020年の春、僕は大学生になった。第一希望の大学に入学でき、念願が叶ったとはまさにこのことだった。

しかし、2020年の春と言えば、新型コロナウイルスが社会に蔓延し始めた時期だ。月日が経つにつれその深刻さは増していき、僕の大学生活にも大きな変化をもたらすことになった。入学式延期、新歓禁止、オンライン授業、外出自粛…。

瞬く間に出会いの機会は奪われ、気がつけば一人自宅の部屋で慣れないパソコンと一日中にらめっこする毎日だった。

訳がわからない毎日だったが、とにかく教授から送られてくる授業動画を視聴し、コメントペーパーを出すということを繰り返し行なった。

そのような毎日を送っていると、1ヶ月が経ち、半年が経ち、1年がが経った。理想とはかけ離れた大学生活を送っている現実に焦りや怒りが募った。


「何か変えたい」


この一心で、様々なコミュニティに参加した。高校生の時から起業ということに興味があり、まずは起業を志す学生が集まるコミュニティに参加した。内容自体は勉強になることも多かったが、香ばしい雰囲気が肌に合わずそのコミュニティからは身を引いた。

また、少し特殊なゼミにも参加した。キャリアゼミと称されるこのゼミには、学年学部問わず様々な学生が参加し、講義を受けたり、ディスカッションをしたり、卒業生から話を聞いたり、ビジコンをしたりと幅広いスタイルのコンテンツがある。僕がこのゼミに参加して一番良かったと思うのは、出会いだった。

担当の森先生には授業外でもお世話になり、インターンで困った時や就活で悩んでいた時にもアドバイスや励ましの言葉を頂いたりした。また、このゼミで友達になった学生と定期的にご飯に行ったりと今でも関係が続いている。

さらには、ビジコンで優勝したビジネス案を有志のメンバーで社会実装しようする試みもあり、先輩からの誘いを受け僕はそのメンバーの一人になった。このような出会いは僕にとって貴重だった。

日常のコミュニティは偏ってくるが、このように少し様相の違うコミュニティに身を置くことは刺激的で学びも多かった。

また、池上彰氏から国際情勢を学ぶという短期の授業にも参加したりもした。とにかく、参加できるコミュニティ(環境)に飛び込んだ。


「でもまだ足りなかった」


「まだ足りない」というのが素直な感情だった。まだ刺激が足りなかった。留学するのはどうだろうか。距離的にも文化的にも、遠い環境に一定期間身を置くことで得られるであろう恩恵を考えると心が躍った。

しかし、留学に行くには多くのハードルがあった。金銭的なハードルもあったが、ここでもまたコロナが僕の挑戦を阻んだ。海外渡航は規制されていて、言うまでもなくこのような状況下では大学の留学プログラムは全て延期になっていた。

次に考えたのが、インターンだった。インターンという言葉の響きがあの時の僕には魅力的に映った。ただ、周りを見渡してみると、インターンを称して、友達に携帯を売っていたり、マルチ商法的なことをやっている学生もいた。僕は、このようなことはしたくなかった。

インターネットでインターンを調べると、「圧倒的成長」「コミット」「高収入」などの言葉が並び、そのような言葉を前になかなか一歩踏み出せなかった。

そんな中見つけたのが大学が募集していたインターンシップの募集だった。大学が募集しているから大丈夫だろうという安心感があった。20近くの企業や団体がありそこから一つ選ぶことになった。

最終的に決めたのは、宮城県石巻市にある水産加工会社だった。理由は大きく4つあった。

① 大学の授業で地域社会学を専門とする矢部教授が教鞭をとる、コミュニティ論という講義で、まちづくりや地域創生について学んだことをきっかけに地方に興味を持ち、地方に行ってみたかったから。

② アルバイトしている飲食店が水産物を扱っていて、水産業に興味があったから。

③ 日本で働く外国人労働者について、かつてから問題意識があり、その現場を見ることができると思ったから。

④ 最後に、関西で生まれ育った僕にとって東北は距離的にも遠く、文化的にも遠いので、そのような環境に身を置くことでは多くのことを得られるのではないかと考えたからである。

長くなるので、インターンの詳細は簡単にまとめたいと思うが一言で何をしていたかと言うと、インターン生2人で組織開発のプロジェクトの立ち上げを行なった。

このインターンを通して、様々な人と出会い、話をし、多くの学びを得た。毎日がとにかく刺激的で、それらを咀嚼することが大変な程だった。常に高揚感を感じているという、これまで経験したことのない濃密な1ヶ月を過ごすことができた。

関西に帰ってからは、プロジェクトの振り返りを個人的に行なった。組織開発を専門に研究している教授に連絡をし、僕たちのプロジェクトに対して意見をもらうということをした。実践を知っている分、理論を学ぶのが楽しかった。湧き出てくる知的好奇心に従い、組織開発についての本や論文を読んだ。

また、社会や会社に貢献するためには、「想い」だけではなく、明確な「スキル」が必要だということも、このインターンを通じて学んだことだった。

そのため、大学が提供しているAI人材育成のプログラムを受講し、実用的なスキルの習得に努めた。このように、新たな学習の意欲に繋がったこともインターンに参加して得られた大きな恩恵の一つだった。

挫折経験とそこで得た学び

また、福島県南相馬市の会社でもインターンシップをした。すっかり東北や地方でのインターンシップの虜になっていた僕はインターン生募集の投稿をFecebookで見て参加せずにはいられなかった。

また、正直な動機も併せて書いておきたいと思う。

この時僕は大学3回生で夏だった。多くの学生は就職活動サマーインターンに参加する時期である。僕は大手企業のサマーインターンを10社ほどエントリーしたが、全て落ちてしまった。これを機に夏休みをアルバイトと遊びに全振りすることもできた。

実際、大学に入学してからコロナ禍の2年間、僕は満足に友達と遊ぶことができず、その様子を見かねた母は「この夏は友達とたくさん遊び〜」と僕に口うるさく言っていた。

でも、そんな夏休みを全て使いインターンをすることにした。友達とバカになって遊ぶことは楽しいし、遊ぶことの重要性は理解しているつもりだが、その時の僕にとって最重要ではなかった。

宮城県でのインターンシップを経験し、もう一度あの経験ができると、期待に胸を膨らませた。また、インターンの内容がリサーチペーパーの執筆であり、大学で多くのレポートを書いてきたのでリサーチペーパーを書くことに対して自信があった。僕にとって絶好のインターンだった。

結論から書こうと思うが、このインターンは挫折経験そのものだった。大学で書いている理論を並べるだけのレポートと、インターンで求められたリサーチペーパーには大きな違いがあった。そのことを当初の僕は気づいていなかった。ほとんど書き進められずに2週間が経った。

また、そんな矢先コロナに感染してしまった。リサーチペーパーを書きたいけど、力不足で書けない。報酬をもらい、居住費や交通費も負担してもらっているのに、その額に全く報いることができないという事実に一人自宅で苦しくなった。

コロナを言い訳に報酬もいらないと言って関西に帰ろうと飛行機を探したこともあった。

このような状況に置かれた僕は諦めの気持ち半分、地域経済についてリサーチしていたがこの分野でリサーチペーパーを書くのは難しいので分野を変えたいと上司に伝えた。

一人の上司は代案を提案してくれた。僕は、解放された気持ちになり、その代案に乗った。しかし、一人の上司はそれを認めてくれなかった。ある日、僕と上司二人でオンラインミーティング開いてくれた。議題は「なぜ僕のリサーチがうまくいかないか」についてだった。僕のそのミーティング内で、ほとんど発言せず、上司二人のディスカッションを眺めることしかできなかった。この時の僕もまだ他力本願だった。

デスカッションがそろそろ終盤に差し掛かった時に上司の一人(謙介さん)がぼそっとこう言った。


「問題の本質は川上さんがやらなかっただけなんじゃないかな」


独り言のようにぼそっと言われた。この言葉は僕にとってすごく重たかった。しかし、この言葉は不本意ながら腑に落ちた。そして、この時初めて自身の考え方や心構えの甘さに気付かされて目が覚めた感覚になった。

この言葉をきっかけに僕は変わり、「とりあえずやってみる」ということを自身の中で掲げ、トライアンドエラーを繰り返しながら書き進めた。最終的には1万字程度のリサーチペーパーを執筆することができた。一方では、自治体職員の方からリサーチの手法に対して厳しい意見を頂いたりもしたが、商工会の方には完成度の高いレポートだと評価していただいたり、コミュニティ論でお世話になった矢部教授にも良い研究だったと評価してして頂くことができたことも事実だった。

僕は、不本意だった上司の言葉をきっかけに挫折を乗り越えることができた。この時僕は


「逆境が自分を強くする」


ということを身をもって実感した。逃げ出したいと思う時もあったが、諦めず行動することで、その壁を乗り越えることができるし、その壁を乗り越えた僕には少しかもしれないけど成長したという手応えがあった。

人から見ればちっぽけな経験に思われるかもしれないが、この(挫折)経験は同時に、僕にとっては大きな成功体験でもあった。

インターンが終わり関西に帰った私はとにかく挫折経験ができる環境を探した。その末に行き着いたのが、大学が提供している国際ボランティアプログラムだった。

このプログラムは日本の大学の留学プログラムの中でも最難関だと言われている。また、プログラムに参加するまでには、計画的に関連の講義を受講したり、海外フィールドワークに参加することが求められる。

社会学部の僕は全くこのような講義を受講してこなかったし、海外経験もほぼない。そんな僕がこのプログラムに参加することは、はっきり言ってお門違いだった。でも、開発途上国に5ヶ月間も派遣してもらえるこのプロジェクトは僕が求める挫折経験ができる環境がそのものだった。このプログラムを通じて、挫折をし、学び、成長したかった。

参加を諦める理由はたくさんあった。例えば、このプログラムに参加するには、事前研修があり日程的な問題から就職活動に支障が出る可能性があるということや、卒業論文の執筆も派遣までに終わらせないといけないなど。確かに、参加することで取らなければいけないリスクはあった。

でも僕は参加することを決意した。決意してからはプログラムを担当している教授の研究室何度か行った。そこでは参加したいと想いを力を込めて訴えた。結果的に、そこまで言うなら選考を受けてみたらと言われ選考を受けた。志望理由書を書き、英語でプレゼンをした結果、派遣候補生になることができた。

派遣先の国にラオスがあった。聞いたことのない国だったため、魅力的に映った。でも、なぜか直前で不安になり、マレーシアとタイを第一希望と第二希望に書いた。ラオスは第三希望だった。運命か何かわからないが、結果的にラオスに派遣されることになった。

それからは、国際ボランティアゼミというゼミで国際社会について、国際金融について、開発途上国について、人間の安全保障について、平和について、ASEANにつて、JICAについて、ラオスについて、派遣機関についてなど「国際ボランティア」に関する様々なことを一から学んだ。

また、これらの派遣準備と並行し、就職活動も行なった。派遣準備と就職活動の両立は覚悟していたものの、想像以上に大変だった。苦戦したが、なんとか派遣までに就職先も決めることができた。

派遣まで3ヶ月をきった。どんな困難が待ち受けているかわからないけど、どんな困難を前にしても逃げ出さない自信はある。逆境を乗り越えた先の自分は強くなるということを知っているからだ。実際に困難を目の前をした時にこんなにも楽観的にいられるかはわからないけど、困難に直面し諦めそうになった時には、このnoteを見返し自身を鼓舞したいと思う。

「僕が最後に伝えたいことは、守りに入らず失敗してきてほしいということです。いい意味であなたたちは役に立たないと思います。でもその中でしっかりと頑張って、能動的にプロジェクトに参加して、思ったことははっきり口にして、失敗しまくって、ハレーションを起こしまくってきてください。そして、そこで学んできてください」(昨日の葉田甲太氏の講義にて)




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