写真を撮ることで、自分にとって心地よい距離感を保つ
私たちは、日常生活をスマホを通して観察しています。写真に残そうと、動画に残そうとするのは、私たちは記録をすることでしか記憶を永遠に保つことができないからです。でも、僕は撮ったその瞬間から死に近づいていくと思っています。特にスマホで撮った写真は増え続けるので、記憶の導線は曖昧になっていきます。だから、僕はカメラを始めるまでは、スマホで写真を撮ることに懐疑的でした。「見る」ことよりも、「撮る」ことが目的化してしまうことで当たり前の社会になり、消費の速度が早すぎると感じています。常にタイムラインを見ながら、トレンドを追い、常に見えない誰かのモノマネをする。それが果たして、文化的に続いていくものになるとは思いません。僕は「撮る」こと以上に「見る」ことを大切にしたいから、カメラで記録し続けています。「見る」ことは、人それぞれ感性というフィルターを通して、世界観を構築しています。写真・映像・絵画・音楽などの手段を通して、表現することが私たちを人間たらしめています。
僕にとって、それが写真で表現することだっただけに過ぎないのです。あくまでも表現の手段であり、目的ではありません。写真を撮ることを目的にすることは、本当に危険だと思っています。なぜなら、この数年でSNSが写真表現を拡張したことにより、瞬間風速力で勝負する写真が良い写真であるかのように、私たちのスマホのタイムラインを埋めるようになったからです。もちろんそれだけの写真の価値が高まったことの証明ではありますが、そこに文化的な営みがあるようには思えません。今の消費速度からすると、文化を構築するよりも、いかに流行の波に乗ってマネタイズするのかに視点が移っています。お金が無ければ生活はできませんが、果たして私たちの日常は豊かになり、幸せの感度は高まっているでしょうか。特に、日本では休むことが悪であるかのように思われてしまうことが多いです。
そういう僕も写真を始めるまでは、仕事を優先してキャリアを積み上げることが人生の幸せになると思っていました。その考えを壊すのは、かなりリスクの大きい行動です。今までの固定化された常識に縛れていることが影響しているからです。それを捨てるということは、日本の完成された社会システムから逸脱することも意味します。
今の僕は会社員を辞めて、フリーターなのか、フリーランスなのかもよくわかりません。収入が激減したのにも関わらず、可能性が広がっていくことにワクワクしています。何者にもなれるかもしれないし、何者にもなれないかもしれません。この不安は、未来がわからないからやって来るものです。でも、未来と過去を行き来しながら、今いちばんやりたいことに対して、向き合うことの方が幸せの感度は高まっていくと思います。会社員をやっていると、誰かの悪口を耳にします。誰かの悪口を言いながら、仕事をやっていても生産性も効率も感性も下がっていくと思います。だって、社会をより良くするために、お客さんのために、と掲げているのに、社内の透明性が担保されていないのがよくわからないです。より良いサービスを提供するために、社員の心理的安全が一番大切なことです。僕の場合は、性格的に会社員には向いていないだけなんです。本当にそれだけ。
僕のプライベートは、超のつくインドア派なので、仕事以外で外出することなんてありません。自宅にやることといえば、ただひたすらに映画を観続けていました。映画を観ることは、もはや自分の人生に必要不可欠です。でも、映画を観ることだけでは世界は広がっていきません。僕はずっと表現者で在り続けたいと思っているので、見たものをどう自分の表現に落とし込んでいくのかを考えなければいけません。映画は、旅に似ています。言語、文化、人種、国、ジャンルを超えて、映像という共通言語を通して、現実世界をどう生きていくのかと問いかけています。映画を観ていると、数百本に一本の確率で、これは自分の物語にしか思えないって瞬間が誰にでもあると思います。私たちは、その一本を心の支えにして現実に立ち向かって生きています。今年観た映画で、僕の人生にとってかけがえのない一本に出会うことができました。それは、『映画大好きポンポさん』です。
この映画について語りたいことは、山のようにあるけれど、それは年末にnoteで2021年の映画を振り返ろうと思うので今回は割愛させていただきます。予告だけでも、熱量が伝わってくる。また、映画館で観たい。
脱線に脱線を続けて、ようやく今回のテーマである『写真を撮ることで、自分にとって心地よい距離感を保つ』についてまとめます。まず大前提としてあるのが、写真は誰でも撮ることができるということです。わざわざカメラを買う必要ないです。あなたの手元に常にあるスマホで十分です。心地いい距離感を見つけることが目的で、写真を撮ることが手段です。それを間違えないようにご注意を。僕がスマホで写真を撮らない理由は、スマホは本当に便利な道具であるからです。便利であるが故に、自分の目で世界を捉えることに集中できません。写真を撮っている間に全然関係ない通知が来たら、今しか見ることができない景色を心に残すことができません。映画館で映画を観る時と同じで、写真を撮る時はスマホの存在を忘れたいです。カメラで写真を撮るという行為は、映画館で映画を観る行為に近いです。そうやって、刻々と過ぎ去っていく今という瞬間を見逃したくないです。自分の表現で勝負できる瞬間のために準備をします。僕がカメラを持っている時は、感性が刺激され、より研ぎ澄まされていく感覚があります。写真を撮るために洗練されたカメラは、まさに血と汗と涙の結晶であり、カメラによって写し出される写真には魂が宿ります。
普通に生活をしていたら気にも留めないようなことに、無性に愛おしく感じてしまいます。日本には、春夏秋冬があるので、季節の巡りでたくさんの感情が目まぐるしく変化します。それを写真で記録していくことは、小さな幸せを噛みしめて、幸せの感度を高めることにつながります。それが巡り巡って、誰かの生きることを肯定していければいいなと思っています。まずは今日という日を愛おしく感じて、明日も生きてみようかなと思うだけでいいんです。そうやって、少しずつ自分が生きやすいと思える心地いい距離感を保つことから始めましょう。
自分のスタイルに合わせて、これからも写真を撮り続けていきます。
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