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「HSS型HSP」の僕が見ている世界

今回の記事は、前回のnoteからの続きになります。下記の記事を読んでいただくとともに、ここに綴られる言葉の表面をなぞって、理解したと思わないでください。どうか、想像力を持って、他者に寄り添うための心を在り方を捉え直すきっかけになれば幸いです。

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HSPとは

HSPという言葉をご存知でしょうか?

おそらくHSPという言葉は、耳にしたことがあるという方は多くいるのではないでしょうか?それは、数年前に、『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本』がベストセラーになったからです。また、中田敦彦さんのYouTube大学で取り上げられたことで、HSP気質の人は、社会的に理解を得られるようになったと思います。

簡単にHSPについて、まとめておきます。

HSPとは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び頭文字をとって「HSP(エイチ・エス・ピー」と呼ばれています。
HSPは環境や性格などの後天的なものではなく、先天的な気質、即生まれ持った性質であることがわかっています。
統計的には人口の15%~20%。5人に1人があてはまる『性質』であり、稀ではありませんが、裏を返せば、約8割の人はこの性質にはあてはまらないため、HSPの特性は共感を得ることが難しく、HSPでない人たちとの差に自己嫌悪を感じることや、まわりに合わせようと無理をして生きづらさを感じやすくなる性質といえます。

HSPの生まれつきの特性

①深く情報を処理する
場や人の空気を深く読み取る能力に長けていますが、情報を読み取りすぎるために必要以上に疲れてしまう原因にもなります。

②過剰な刺激を受けやすい
HSPの人は外部からの刺激に敏感なため、人混みや物音・光、食べ物の味やにおい、身につけるもの、気候の変化、人が発するエネルギー等、五感で受ける刺激に対して過度に反応する傾向があります。さらに、相手の感情や周りの雰囲気、気候の変化や電波(電磁波)、目に見えないエネルギー(人が発するものも含む)に対しても敏感に反応しやすいとされています。

③共感しやすい
親や自分の周りの人の感情を読み取り、自分を合わせることが多いのも特徴の一つです。また小説やドラマなどで、作品に強く感情移入することもあります。

④心の境界線が薄い・もろい
心の境界線とは、自分のテリトリーもしくは自分が自分であるためのバリアのようなものです。HSPの人はこの心の境界線が薄くてもろいため、容易に相手からの影響を受けてしまいます。その性質は、人の気持ちを敏感に感じ取り、深く共感する一方、相手に対して過剰に同調したり、相手の気分や考えに引きずられるなど、本音がわからずに自分を見失ってしまいことがあります。

⑤疲れやすい
HSPの人は刺激に敏感であるがゆえ、疲れやすいという特徴を持っています。いつも周りに気を遣っているため、楽しいことであっても疲れてしまう傾向があります。
疲れやすいのは「何かをしている」時に限りません。HSPの人は普段から無意識に周りの刺激をアンテナのように拾い集めているため、人混みにいる時や、周りの人のネガティブな感情に巻き込まれている時にも大きく消耗してしまいます。

⑥自己否定が強い
HSPの人はその繊細さから、対人関係において余り相手を責めることをしません。良心的で優しく、相手のことを優先する傾向があります。
その半面、相手のことを気にするあまりに些細なことでも「自分が悪いのではないか」と自分を責め悪い方向に考えてしまう傾向もあります。
ネガティブ思考で自分に自信がないため、周りからの怒りの標的にされることも多く、自分の本音を隠してしまうことから人との関わりが苦手という特徴があります。

つまり、HSPとは人よりも感度の高いアンテナを常に張っている状態なのです。そしてこの感度のいいアンテナは、小さな仕草や言動で相手の気持ちを汲み取ることができたり、色々なものに深く感動できたりしますが、反面様々なことを敏感に感じ取り過ぎてストレスの要因になるのです。日本人は国民性から、HSPの割合が海外の人より比較的高いと言われています。

上記に列挙した言葉はあくまでも要約しただけに過ぎないので、HSPに関する本を読んで勉強したり、HSPであることをカミングアウトしている方に話を聞いてみたりするなど、理解を深めていくことが大切です。

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他者によって綴られた言葉を自分の言葉で置き換えることが、今の日本社会の教育の段階において欠けていると感じる場面が多いです。多様性、個性という言葉が時代の流れで取り上げられるようになって、多くの方が意識的になったと思います。しかし、社会全体では言葉だけが独り歩きして、この数年何も変わらず、現状維持を貫く姿勢を貫いている方がまだまだマジョリティであることが現実です。さらにコロナ禍によって、社会の分断がさらに進行しており、生きづらさを感じる場面がより浮き彫りになっています。このことに関して、僕は社会学の専門家ではないので、これ以上の言及は控えさせていただきます。ただ私たちの日常の延長線上にあるのが、社会です。日常を切り取るということは、社会を知っているか知っていないかで、情報の密度が変わってきます。その第一歩として、ブレイディみかこさんの本を読んでみてはいかがでしょうか。(個人的には、コロナ禍で起きたBLMの世界的な動向を学ぶことも必要だと感じております。これはハードルが高いので、まずは身近なことから捉え直すことから始めていきましょう。)

では、なぜ僕が「HSS型HSP」であることをカミングアウトすることにしたのか。それは、HSPだと思い込んでこれまで対処してきましたが、うまく自分を表現できないことが多くなり、最終的に数ヶ月足らずで会社を辞める選択をせざるを得なかったからです。その経験を通して、改めて自分自身と向き合うことになりました。その中で、自分が見ている世界がHSPの中でもさらにマイノリティに属することを知りました。それを知ってから、少しずつ生きやすい方向に進んでいくことが、自分自身の幸せにつながっていくと実感できるようになりました。僕の見ている世界を理解して欲しいとは思っていません。でも、ここから綴られることが、僕という人間の本質につながっていることです。写真や映像で表現する者として、常に誠実でありたいと思っています。写真や映像には、意識しなくても撮り手の内面世界が反映されます。嘘をつけばつくほど、どんどん表現は歪んでいきます。撮るという行為は、常に正面の世界を切り取ります。つまり、常に自分自身と向き合い続けることを意味します。

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前置きが長くなりましたが、僕が「HSS型HSP」であることにも意味があります。一人ひとりには、それぞれ生きるための使命があると思っています。与えられた役割から解放されて、自分の人生を生きるために。

「HSS型HSP」が見ている世界

「HSS型HSP」であることを自覚したきっかけは、『その生きづらさ、「かくれ繊細さん」かもしれません』という本との出会いです。

5人に1人がHSPであると述べましたが、そのうちの約30%、全人口の約6%がHSS型(エイチ・エス・エス/High Sensation Seeking)HSPだと言われています。別名「刺激追求型HSP」とも呼ばれ、傷つきやすい面を持ちながら、行動力もあるため周りに理解してもらいづらいのが特徴です。

この矛盾した二つの内面を同時に、一つの身体に存在している状態できるでしょうか。人が言った些細なひと言の裏を読み取ったり、人の表情や心の動きを察知したり、その場の空気や雰囲気、音などたくさんの情報を常に頭の片隅で処理し続けています。そのため、圧倒的に疲れやすい体質でもあります。

さらに人間関係をうまく構築できないです。本音と建前を使い分けるのが下手で、基本的に裏表がないからです。また、自分の弱点を指摘されることを避ける性質を持っているが故に、人との距離を必要以上につくってしまいます。傷つきやすいからこそ、無意識的に人との距離をつくってしまい、人間関係をうまく構築できないと思うことが多いです。

HSS型HSPが認知されにくい理由としては、本質的に一般的な常識の枠組みに自分を戻そうという強い力が、その人を形成しているからです。HSS型HSPであるから気づくことができる着眼点、発想力、感情の起伏、思考回路が常識を逸脱していることをわかっているからこそ、うまく同質化する道を歩もうとします。せっかく持ち合わせている才能を発揮できないのは、自分で自分を自滅させる感受性の豊かさを内包しているからです。動揺しない自分を目指すのではなく、動揺することを前提に対策することが、HSS型HSPの生き方なのです。

HSS型HSPがその才能を活かすためには、四つのカギがあります。
(1)複雑さを紐解く:二足のわらじをはく
(2)現在:本当の感情を見つける
(3)過去:過去を完了する
(4)未来:未来予測、ぐるぐる思考を止める

※本書からの抜粋

HSS型HSPは、なにをやっても器用にこなすことができます。与えられた時間は大概余ってしまい、その時間をつぶすことに苦痛を感じてしまいます。結果が出たとしても満足できないですし、いくら身を粉して働いても、お客様が増えたとしても、自分の自信につながりません。

そして、HSS型HSPは感受性の豊かさによって、職場にいる人たちの思惑や心の声を感じ取ってしまいます。些細な変化だとしても、本人が思っている以上にネガティブな感情の影響を強く受けてしまいます。特に反応しやすいのは、圧のある人以外にも、注目を集めたがる人、支配したがる人です。これらの人たちが職場にいるだけで、穏やかな心の状態で仕事ができなくなってしまいます。

HSS型HSPが生きやすくなるためには、心の底から感じる幸せを探し続けることです。HSS型HSPの好きなことは、一般的な娯楽とは違うことが多いです。その娯楽は、「興味の赴くままに調べる」、「学ぶ」、「情報収集する」などのいわゆる「知識欲を満たす系」のことが多いです。可能であれば、そうした心のオアシスをSNSで発信することが、精神的にかなり良い方法です。自分の好きだと思うことを日々SNSで更新することで、自身の繊細さを認め、自己受容を促します。

実は、HSS型HSPが生きていて本当に良かったと感じる瞬間は人間関係からです。HSS型HSPは人に嫌な思いをさせないように、という目的のために行動しています。だから、誰にも嫌われない人付き合いができる才能があります。基本的には、大勢で祝ったり、残念がったり、悲しんだりするのが苦手です。HSS型HSPの感覚からすると、じっくり聞いてから喜びを分かち合いたいし、心から思うことを言葉で伝えたいです。

HSS型HSPは、人と深くつながることを心の底から求めています。自分の本当に好きなことを見つけて発信していくことで、ありのままの自分を受け入れてくれる人とのつながりを手に入る可能性があります。注意すべき点は、繊細で傷つきやすいにもかかわらず好奇心旺盛であるということです。それを少しずつ、自分の本当の気持ちを言葉にして伝えていくことで、生きやすさにつながっていきます。

そして、HSS型HSPが目指すべきところは、全員が納得するためではなくて、生きづらさを抱えているたった一人の人のために「ブレない生き方」を届けていくことです。

僕が見ていた世界①(高校卒業までのダイジェスト)

僕は、小さい頃から人とは違うということを強く認識しながら生きてきました。3人兄妹の真ん中っ子であること、左利きであることも少なからず僕という人間を形成する段階で影響したと思います。常に兄と比較されながら人生を歩まなければいけなかったし、妹が産まれてからは僕に対する良心の愛情が薄くなっていくことも感じてきました。だから、僕は誰にも迷惑をかけてはいけない、自分でできることは一人でやることでしか自己受容することができませんでした。

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僕は小さい頃から両親に「何を考えているのかよくわからない」とずっと言われ続けてきました。自分のことは自分が一番わかるという神話をずっと信じ続けてきました。しかし、頭の中でぐるぐる考えれば考えるほど、自分のことが余計にわからなくなりました。自分はダメな人間なんだと、一日の中で考えない日はありませんでした。失敗しないように、今日はうまく求められている人間像を演じることができたどうかで、自分を評価してきました。僕が唯一安心できる時間は、自分の部屋にいる時か、一人で自転車を漕いでいる時でした。いつも電車で学校に向かう時は、自分の励ますプレイリストで固められていました。月に一回アルバムを10枚レンタルして、WALKMANに取り込んで、自分の精神状態に合わせて180°曲調が変わる日もあった。高校時代から必ず流していた曲は、GOING UNDER GROUNDの「さかさまワールド」、「流線形」、the pillowsの「確かめに行こう」、ナオト・インティライミの「LIFE」、leccaの「Higher」が鉄板でした。これらの曲を聴いていないと、自分は本当にギリギリの精神状態でした。誰からも理解を得られないことに対する孤独と学校で毎日同じ人と顔を合わせなくてはいけないことに対する違和感。僕は、ずっとサッカーをやってきたので、スクールカーストの上位の地位を確立したが故に、学校でも部活でもいつも同じ集団に属することが苦手でした。集団行動が本当に苦手で、最大でも3人で行動するのが限度でした。高校までの18年間は、どこにもいくことができない虚無感と誰かに決められたレールの上を歩かなければいけませんでした。それが義務教育だと言い張り、数十年変わらない同じカリキュラムをやらされて、前時代的なシステムの中で、同質化することを求められました。スマホの画面の中の世界でも、他者の目線を気にしながら、自分の立ち位置を確立するしかありませんでした。そんな日々を超えて、僕はなんとか高校卒業を迎えることができました。もっと事細かく高校までに感じてきた違和感を言葉にすることもできます。あの頃の記憶があるから今の自分があると思っていますが、これ以上自己否定話をしていても精神的に疲弊していくだけです。それよろも大学生になってから好転した日々を知ってもらいたいです。

僕が見ていた世界②(フットボール冒険記ダイジェスト)

僕は、サッカーをやるために大学を選びました。それは、高校時代に2年間怪我をしていてほとんど試合に出ることはできませんでした。今振り返ってみると、その当時はサッカーでしか自己を表現できないと思い込んでいました。サッカー以外、何をやっても長続きしないことを知っていたからです。しかし、いざ大学のサッカー部で何回か練習会に参加した時に、ここで4年間サッカーをやったとしても、高校3年間と同じ繰り返しになる未来がハッキリとイメージしてしまいました。この先の自分の将来を考えた時に、サッカー部に入ることが必ずしもプラスに働かないと感じました。決してサッカー部を批判しているわけではなく、あくまで僕にとっては、という意味です。

サッカー部入部を辞めて、始めたことはフットサルサークルの立ち上げでした。ところが、思った以上にサークルの運営に労力を割くことになった。まず、苦悩したことは、練習会場の確保でした。コートサイズやアクセス面、活動日、サークルの所属人数など様々な面で問題がありました。結果は、失敗の連続。金銭的な負担と、活動場所が大学から離れているというアクセスの問題もあって、初めは30人以上が在籍していたサークルメンバーは徐々に減っていき、20人を下回っていきました。赤字は膨らむばかりで、運営に追われて自分自身がサッカーを出来ていないという焦りが募るなか、サークルを辞めようと何度も思いました。ですが、そこを乗り越え翌年、チラシと新歓企画の効果で、5日間の体験入会に155人を動員することに成功し、70人以上が入会してくれました。しかし、このサークル活動は最終的に失敗と言わざる終えません。人数の肥大化によって管理出来なくなったこと、僕が新歓の期間を終えたら辞める決断をしていたこと。

そこからは、7人制サッカー「ソサイチ」でプレーすることを選択しました。その当時、大学のゼミの先生からの薦めで、学部ブログを前後編で掲載させていただきました。少しずつ人生と社会のレールから外れていく自分がいました。海外遠征に参加してから少しずつ僕は、フットボール以外で自己を表現する道を模索と探索を始めていました。スペイン遠征を最後に、自分は競技でプレーすることを辞める決断をしました。

僕が見ている世界の変化(留学に向けて)

スペイン遠征を終えて、フットボールに一区切りつけました。大学3年生の夏休みに入る頃には、就活や卒論のことを考えるようになりました。何社かインターンシップに参加したけれど、そこで得られる情報は分かりきっている当たり前のことばかりで、僕が欲しいのは自分の想像や常識を超えていくような面白いことでした。この時期に就活をしても、内定をもらうための自分を演じることに強烈な違和感を感じました。今までも人とは違う道を歩んできた自負もあるし、僕はどんな道でも歩んでいける変な自信がありました。誰かに決められたルールの上を歩いて、言われたことをこなす方が楽に人生を歩めるし、世間一般が言う安定を求めることも理解はできます。でも、それが言葉にできない生きづらさのような得体の知れないものにつながっていて、そこから抜け出せない日常を送ってしまいます。僕自身も大学4年になれば、何も考えずごく当たり前に就活をして、内定をもらい、卒論を書いて、卒業するだろうと想像できてしまったときに、やれるときにやりたいことをやらなかったら一生後悔すると感じていました。それで、自分の納得のいくまでやりたいことをやりきるまで就活をしないと覚悟を決めました。

そう思ったら、まずはとにかく行動してみました。卒論の構想を考えたときに、映画のことについて書きたいと何となく思っていました。今までの自分の考え方の柱になっているのが、スマホからの情報です。SNSの情報を鵜呑みにして生きるようになってしました。まずは、そこからの解放されるために映画館に足を運べば、強制的に遮断できます。2019年の夏から始めた映画館で映画を観る試みは、今の僕の生きがいになっています。(僕の映画論は、後日noteでまとめますので、今回は割愛します。)映画で得られた情報をきっかけに、さらに知識を深めたいと思ったら本を読むようになったし、信頼できる情報を見るようになりました。その思考の繰り返しのなかで、自分自身がどういう考えを持って、人生を描いていくことの面白さを知りました。そして、大学4年からマルタに留学することを決断しました。この選択は正直不安もありました。これから先の自分の人生を想像できなかったり、両親に迷惑をかけてしまうことだったり。でも、失敗や成功のことは考えていなかったです。まずは、この挑戦を心の底から楽しむこと。そのなかで、自分のできること、やりたいことを一つずつ言葉にしていきたいと思いました。

では、なぜマルタを選んだのか。それは、日本人が少ないこと。ヨーロッパの英語圏のなかで、比較的費用が安く抑えられること。フィリピンやセブ島とかだと、安くは済むけれど、ありふれている感じがしました。しかし、マルタにいくことをゴールに設定していないので、期間は約2ヶ月。限られた時間のなかでの方が、より集中して取り組めます。長ければ長いだけ、ダラダラしてしまい、本質の部分からどんどん遠ざかっていきます。マルタ留学のことを卒論で書くことにもなったので、この留学の意味合いも人生の大きなターニングポイントになるはずでした。それだけの覚悟を持って、決断をしました。

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僕が見ている世界の反転(コロナ禍)

しかし、留学する直前の3月に、新型コロナウイルスが世界中で大流行して、僕の新しい人生を歩む権利すら奪われていました。全てが「無」になりました。フットボールを辞めて、留学に向けて、約半年間を休む間もなく、全力で走ってきました。その糸がぷつんと、切れる音がしました。緊急事態宣言も発令されて、1ヶ月以上一人暮らしの自宅から出ることができなくなりました。

でも、その期間があったことで、今の僕という人間を構成する本当にかけがえのない自己と対話する時間でした。そこで、自分がHSPであるかもしれないということを初めて認識したし、留学の記録用で買ったカメラの世界にのめり込むきっかけになりました。卒論は、コロナ禍で起きた世界的な社会の大きな変化「BLM」を起点に、黒人の歴史と文化をブラックムービーを50本から読み解くことに挑戦しました。

大学のゼミの先生から、薦められた『 「文化」を捉え直す : カルチュラル・セキュリティの発想』という本が僕の考え方の根底に流れるようになり、本質を捉える視点を持てるようになりました。

大学卒業までに、映画館と自宅で観た映画の本数は、1000本に到達しました。10000時間の法則を耳にした人たちが、量より質が大切と言います。僕が思うには、質を高めるためには圧倒的に量が必要です。質が高いかどうか判断するためには、量をこなさなければ、判断する基準を養うことができません。文化は、一日で形成されることは無いのです。一日一日と流れる日々の中で、少しずつ着実により良い方向に進んでいくのです。目先の結果に囚われすぎて、点でしか物事を考えなくなっていきました。時代の変化は物凄いスピードでやってくるのに、僕らはその変化の波に乗り切れていません。その都度、その都度、点と点をつなげることを怠ってきてしまったことで、文化への眼差しが失われつつあります。

また、コロナ禍で『遅いインターネット』という本を読みました。消費の速度が早すぎる現代社会に対する警鐘を鳴らし、生きづらさが蔓延している社会をどう打破していけばいいのか。あえてインターネットの消費を遅くすることで、インターネットの在り方を問い直すきっかけを与えてくれた一冊です。

一回目の緊急事態宣言が落ち着いた頃、留学用に買ったカメラが自室の片隅で埃が被っていることに気がつきました。どこにも旅には出れないから、僕がバイトでお世話になっているフットサル場が2021年8月で閉店することを思い出して、何らかのそこに存在していた証を残したいと思うようになりました。それは、コロナ禍で人間は自然の流れに逆らって生きていくことは無謀に思えて、いかに共存しているかと考えるようになりました。僕は元々写真で何か表現したいという欲求よりも、今ここに存在しているものを記録にしていくことで、結果的に過去と未来を繋いでいくことに意識が向くようになりました。他者と比べたり、売上を上げるために心を置き去りにしたり、不幸自慢してみたり、肩書きや名声に縛られたり...。いかに僕自身が空虚なものでしか心の隙間を埋めることができなかったのだと思います。ここまで僕が緩やかに変化しつつあるのは、歯止めが効かなくなったアクセルを良い意味でも悪い意味でもコロナがブレーキをかけてくれました。立ち止まって考える時間の大切さや幸せは日常の見方を変えていくだけで、実は身近なことを丁寧に、ゆっくりと時間をかけて積み上げていくことだと気づかされました。僕がその心境に至るまでに固定概念を少しずつ解いてくれたのが、映画でした。映画には、ありとあらゆるジャンルが同じ土俵に存在して、国境と言語も超越する可能性のあるメディアだと思います。そして、誰しもが映画によって心を動かされ、自分の人生を歩むためのきっかけを見出していきます。この期間に僕の人生ベストの1ページを彩る作品に出会えました。今回は、数ある中から厳選した2本を紹介します。どちらも映画館という閉鎖空間で鑑賞して、自分の魂に刻み込まれました。

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一本目は、『フリーソロ』というドキュメンタリー映画です。

概要
地面から垂直に切り立った数百メートルもの高さの岩壁を、非常時の命綱となるロープや安全装置を一切使用することなく、おのれの手と足だけを頼りに登っていく。そんな最もシンプルゆえに美しく、最も危険でもある究極のクライミング・スタイル“フリーソロ”。その驚くべき魅力を、余すところなくカメラに収めたドキュメンタリー映画が誕生した。ナショナル ジオグラフィック ドキュメンタリー フィルムズ製作による映画『フリーソロ』は世界各国で大反響を巻き起こし、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどでドキュメンタリーとしては異例の爆発的ヒットを記録。さらに全世界で45の賞にノミネートされ、本年度アカデミー賞® 長編ドキュメンタリー賞受賞をはじめ、2018トロント国際映画祭観客賞、2019英国アカデミー賞を受賞(共にドキュメンタリー部門)など、 20賞受賞の快挙を成し遂げた。冒頭から目を疑うような光景が続出し、誰もが手に汗を握り、息をのまずにいられない驚異の傑作、その全貌がついに明らかになる。

もう一本は、「バジュランギおじさんと、小さな迷子」というインド映画です。

概要
インド人青年と、声を出せないパキスタンから来た少女が、国や宗教を超えて織り成す2人旅をあたたかく描き、世界各国でヒットを記録したインド映画。幼い頃から声が出せない障がいを持つシャヒーダーは、パキスタンの小さな村からインドのイスラム寺院に願掛けにやってきた。しかし、その帰り道で母親とはぐれてしまい、1人インドに取り残されてしまう。そんなシャヒーダーが出会ったのは、正直者でお人好しなパワンだった。ヒンドゥー教のハヌマーン神の熱烈な信者であるパワンは、ハヌマーンの思し召しと、シャヒーダーを預かることにするが、彼女がパキスタンのイスラム教徒だと分かり驚がくする。長い年月、さまざまな部分で激しく対立するインドとパキスタン。しかし、パワンはシャヒーダーを家に送り届けることを決意し、パスポートもビザもない、国境越えの2人旅がスタートする。

他にも取り上げたい映画はたくさんあるので、少しずつnoteを通してお伝えしていきたいと思っています。今回は紹介まで。

ここまで約1万字かけて、僕が見てきた世界の断片を集めてきました。ここまで読んでくれた方はわかるとは思いますが、僕にとって写真の原点は、「フットボール」と「映画」なのです。写真を撮るのが好きというよりも、写真を通して自分の見ている世界を表現していくようになったのです。実際なところ、本格的に写真に向き合うようになったのは、会社員を辞めてからです。実際、映像を作っている時の方が、楽しいです。

コロナ禍に入ってからは音楽性も大きく変化しました。amazarashiの「終わりで始まり」、高橋優の「美しい鳥」、ヒグチアイの「わたしはわたしのためのわたしでありたい」、羊文学の「ハイウェイ」、ケツメイシの「流れ」をよく聴いていました。最近は、Karin.、ROTH BART BARON、アイナ・ジ・エンド、ハンバートハンバート、くるり、カネコアヤノなど、僕が表現したい世界観に近い楽曲を聴くようになりました。黒人文化からヒップホップも少しずつ勉強するようになったし、ジャズも聞くようになりました。日本をもっと知るためには、視野を広げたり狭めたりしながら、視点を増やしていきます。最近は、その点と点がつながっていく瞬間が心地いいです。今まで見えていなかったことが見えたり、自分の表現が深化していく過程を楽しめるようになりました。

僕が見ている世界の違和感(会社員)

コロナ禍に突入したことで、順風満帆に思えた日々が唐突に終わりを迎えました。第一に大学卒業を迎えたこと。第二に4年半お世話になったフットサル場が閉店したこと。第三に海外留学の機会を逃したこと。未だにその3つの喪失が僕の心に空洞のようにポッカリ空いたままです。いくら写真や映像を撮っても満たされることはありません。この世界には永遠に続くものなんて存在しません。自分なりに折り合いをつけて、終わりを受け入れて、新しい物語を始める必要があります。僕は、人生の中でもかなり大きな決断をして、会社員になりました。会社のことを事細かく書くと迷惑をかけてしまうので、ざっくり説明します。自由にやらせてくれる環境という条件で入社したのに、基本的に会社の意向をこなすことを優先しなければいけなかったからです。会社員なら当然のことと思いますが、僕は入社前にきちんと自分の考えを伝えて、会社の新規事業を任されていました。そして、副業OKな会社だったので、写真や映像もやっていくことも伝えていました。新卒の中でもかなり良い待遇でしたが、休みの日のために仕事をやること、休みの日も仕事のことを考えてしまうことが自分の生活スタイルとまったく合いませんでした。どんどん自分を追い込んでいくことになりました。そうなっていくと、目に見えない不安が頭の中をぐるぐる回り、仕事の能率が低下するばかり。全然仕事に身が入らなくなっていき、自分がこの仕事をなんでやりたいと思ったのかよくわからなくなっていきました。

家に帰っても落ち着けるような状態ではありませんでした。休みの日に写真や映像を撮りたいという欲求も無くなってしまい、無気力になっていきました。東京から地方に移住したので、映画館の絶対数が少ないので僕が観たい映画を観るのにも苦労しました。仕事を優先してしまった結果、自分の人生を生きていくことができないことに葛藤しました。退職を伝えるのも、今日言おうと決めて毎日仕事に向かいましたが、結局二週間かかりました。

会社に仕事を辞めることを伝えてから先のことは、全然考えていませんでした。とりあえず、この環境から逃げることが第一優先でした。それと、フットボールに関わる仕事なら続けられるかなと、未だにぼんやりしたままの状態です。実は、このnoteの再開も僕のメンタルヘルスケアの一環です。HSS型HSPであることを認識したことで、適度に自分の考えていることや見ていることを発信した方が精神衛生上良いからです。何かを決めることが苦手ですし、一つのテーマに絞って専門性の高い情報を提供するのも、自分が向いていると思えません。それができていたら、僕はここに言葉を綴ることも無ければ、仕事も辞めていないです。

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この1ヶ月でわかってきたことは、僕は純粋に写真や映像の表現する世界が好きなんだと思いました。趣味でやっていると言うのは、しっくりきません。趣味は、映画鑑賞と夜な夜な海外フットボールの観戦です。写真や映像をやっていると、「趣味でやってるんだね」とか、「それで食べていけるの」と、何度も聞かれました。その質問をされる度に、その人が求めている答えに合わせてしまう自分がいます。実際、そんな質問する人は僕の制作した写真や映像を見ることも無ければ興味も無いんだと思います。僕がどれだけ言葉を尽くして、ここまで書いてきたことを説明したとしても、「意識高いね」と言われておしまいです。だから、SNS上で僕のことを理解してくれるかもしれないあなたに向けて、ボールを投げ続けていくしかないのかもしれません。

今、僕が見ている世界(HSS型HSPの眼差し)

僕がHSS型HSPであることに意味があると冒頭で述べましたが、僕の使命は僕が見ている世界を通して、「生き方」を問い続けることなんだと思います。今、新しい環境で生活をしていますが、まだまだ適応できていないというか、ここは僕が暮らしていきたい場所ではないという感覚があります。しばらくは今の環境を拠点に活動していきますが、一年以内に引っ越しをしている可能性は大いにあります。波を感じれる場所、自分のスタイルに合う映画館が近くにある、都心へのアクセスが良い、などなど、実は心地いい条件全てを満たす場所は存在しません。今の環境は二週間で結論を出さなければいけなかったので、かなり妥協せざるを得ませんでした。生きていくということは日々様々な壁にぶつかり、他者と交流しながら、自分という存在を理解していくことの連続です。僕がHSS型HSPであることも、一人でずっと考え続けた緊急事態宣言下でも認識できなかったことからも言えます。自分で自分のことを理解したと思わない方が良いのかも知れません。他者とのコミュケーションを通して、再定義と再発見を繰り返し行いながら、自分の良いところも悪いところも受け入れて、寄り添え合えるような余白のある世界を作っていきたいですね。仕事の中でも、もう少し余白あった方が思考の柔軟性も発想も変わってくるし、何よりも心地いいと思える環境が増えてほしいですね。心理的安全が一番大切です。

ぜひ、『ほどよい量をつくる』の世界観が当たり前になってほしいです。

僕らの記憶は曖昧なもので、今という時間を通り過ぎた瞬間から忘れていきます。記憶とは、断片的であるし、ダイジェストのようなもの。良いところだけを切り取ることもできるし、不幸自慢することもできます。結局は、その人の主観からしか描くことできないので、物語として面白いかどうかで消費されていくことに寂しさを感じます。勘違いして欲しくないのは、誰もがダイヤモンドのように輝く瞬間があります。それには、個人差がありますが、どんな生き方を選んだとしても、自分自身が過去を振り返った時に、受け入れていくことができればいいんです。それを否定するじゃなくて、肯定してあげて、たくさんの生き方を認めてあげるだけで、ほんの少し明日も生きてみようかなと思えるのです。SNSの世界と現実の世界とのギャップで苦しむことがあると思います。僕も未だにSNSの世界が苦手です。それでも、本来の僕で在り続けるためのルールを設けて、SNSを運用するようになってからは、この世界にはまだ希望があることを知りました。SNSの世界で感じた希望を現実の世界でも、還元していくことが求められていると思います。なんでこんなに優しくて温かい世界が存在しているのに、現実の世界では他者の靴を履こうとしない人が権力を握っているからです。だから、僕らは言葉を、物語を、絶やしてはいけないのです。苦しくて、逃げ出したくなる日もあります。その時は休んでもいいのです。逃げていいんです。自分の幸せを奪う権利は誰にもありません。休んだら、また戻ってくればいいのです。逃げたら、また新しい人生を歩めばいいのです。

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これから、僕が見ていく世界(願いと祈り)

ようやく僕が見ている世界を開示できたのかなと思います。周りくどい言い回しがあったり、章と章がつながっていなかったりして、非常に読みにくい構成になっています。できる限り噛み砕いて言葉を紡いできましたが、わかりやすさは薄いと思いません。1から100まで説明する方が親切だと思いますが、僕はこれを読んだ人が考える余白があった方が良いと判断しました。他者の言葉を自分の言葉に置き換える習慣を身につけて欲しいという願いを込めています。僕は、どんなに人から裏切られるようなことがあっても、基本的には人のことを嫌いになることはできません。出会い方が悪かっただけかも知れませんし、価値観の相違や対話の欠如の可能性もあるからです。僕は、他者との距離を取ってしまうので、見方によっては近寄り難い印象を与えていると思います。だから、まずはこういった場を通して、自己開示することで僕という人間に興味を持つきっかけになればいいなという祈りも込められています。

日本語って難しいなと常日頃感じることがあります。英語と違って、日本語は意味が固定化しやすい印象があります。僕は、複層的に対象を観察するために決めつけるような言い回しは控えるようにしています。はっきりとした答えを知りたがる人は多いと思いますが、それよりも自分なりに出した答えを捉え直し続けていき、人間としての器を磨いていくことにも目を向けて欲しいと思います。それが短絡的な消費の連鎖から抜け出し、円環する文化に回帰していくことにつながります。素直に自分の新しい一面を発見できたときに、HSS型HSPの特性を活かしながら感じたことを記録していこうと思っています。僕がこれまで書いてきたnoteも全てつながっています。

人は変われると思えば変わっていけるだろうし、変わらないと思えば変わっていけない。変わるとか変われないとかで評価軸を決めるのではなく、ありのままの姿でいられることに価値を見出していこうと思います。僕が撮る写真にも自分の表現したい「なみ」という形があります。海の波、人の波、町並みの様に、時代の流れを読みながら変わるものと変わらないものがどう写っていくのかを考えています。『デジタルでフィルムを再現したい』という本をヒントにオールドレンズで写真を撮るようになりました。この記事に挿入されている写真は、全てオールドレンズで撮影したものになります。光をどう捉えるかで、写真の解釈は無限に広がっていきます。SNSによる爆発的なバズるような表現を求めるよりも、自分のスタイルを貫くように流れを大切にしています。良い写真を撮らなくちゃと思えば、変なところに力が入ってしまいます。いかに自然の流れに溶け込み、「なみ」を切り取っていくことに注力しています。

終わりに

やりたいことはたくさんのあるので、できる時にできることをやっていきますのでこれからよろしくお願いいたします。



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