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「始めたことは続けなければ意味がない」の嘘


大嘘だ。

始めたことはやめて良い。

それが例えばスイミングスクールでも、日記を書く習慣でも。

それより大事なのは「一度試してみること」だ。

たとえば僕は今日、ドラムの教室を体験予約した。ドラムを叩くことに興味があるからだ。

だけど別に、いきなりドラムを本格的に習い始めなくても良い。体験なのだから当たり前なのだけど。

仮に今後、正式にドラム教室に入会したとしても、別にすぐにやめたって良い。

必要ある時に必要なことをし、不要なことはやめる。「適宜取捨選択」が生活の肝だ。

「始めたことはやり遂げなさい」はどこから生まれたのだろう?

本当に不思議だ。

たとえばドラムで言えば、やり遂げるなんてことは生涯ない。プロのドラマーでさえ究極にたどり着いた人はいない。

もし「始めたらやめない」やり方であれば、いちどドラム教室に入会したが最後、生涯通い続けることになる。

どんなに飽きても、どんなに他にやりたいことが出来ても、我慢してドラム教室に通い続ける。果たしてそれは満足の行く人生なのだろうか?

過度に一般化された哲学は有害だ。

そもそもこの考えが生まれた発祥が分からない。

たとえばこれが終わりのある物事なら分かる。

資格の勉強であればいったん合格すれば終わりだ。だけどこの哲学を一般化して、終わりのない物事にまで当てはめるのは妄想だ。

そしてこの世界の多くの物事は「終わりのないこと」なのである。

健康面の習慣は?仕事の勉強は?

確かに続けなければ意味がないこともある。

趣味ならばいつ始めていつやめても良いが、自分のモチベーションに関わらず「続けたほうが良い習慣」もある。

絶対に必要な物事であれば、絶対に続けた方が良い。

だがもし続かないようであれば、それはそもそも目指すものが間違っているのかもしれない。方法が間違っているのかも知れない。

たとえば運動をするにしても、家に帰って改めてトレーニングをするのではなく、

とりあえず、継続を考えず「一度やってみる」アクションをオススメする

何か新しい物事を始める時は、続けることを考えずに一度やってみる。そして、自分が楽しめるかどうか、続けるに値するかどうかをまず判断するのだ。

「続ける決断」の前に、そもそも「続けるか否かの判断」をすべきだ。そして、その判断はまず試してみなければ分からない。

一度試さないと経験ができない。経験がないと判断ができない。つまり継続するか否かも決められない。そもそも始める前に「続ける」決断をすること自体が無理なのだ。

当たり前のことだと思うだろう?

だがそうでない人を僕は知っている。この哲学に関わらず、過度な一般化でがんじがらめになっている人は多いのではないだろうか。

僕らは何らかの誤った一般化に縛られているものである。

自分だってそうだ。考えれば「いちど試してみなければ分からない」のに、つい試す前にあれこれと考えてしまうことが決してゼロではない。

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