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多感症

この間、COOTIEのコーケンと遊んだ夜の事。
目的地の前に寄ったバーで待っててくれたんだが、そこでたまたまケースケサイトーに出会した。

そこで呑むつもりはなかったが、
なんだか楽しそうなグルーヴが生まれていた事と、
コーケンとの会話に熱が入り長居する事になった。

ちなみにケースケサイトーは大学時代の友人との送別会で盛り上がっていたのだが、
その盛り上がりが僕ら2人にも影響し、
さらに数名は何でもない僕ら2人とも共鳴してしまった。

出会いは素敵だな。
ケースケサイトーが面白いもんだから、
やっぱその周りも面白いんだよ。
「生きてる事がエンターテイメント」みたいな人から、
「行きたかったから来月から海外に住む」みたいな自由奔放な思考の人まで居て刺激的だった。


僕らも交えてケースケ&ケースケフレンズと会話している中で、
またケースケサイトーが僕の頭の中のモヤモヤを言語化した。
彼はこう言った。

『ゆうまくんはね、多感症なんだよ!』

僕がソフィー(確か)というエンターテイナーと木村拓哉主演の映画について話をしている時に、
僕がなんでもかんでも答えるもんだからソフィーにケースケサイトーが僕のことを説明してくれたのだ。

『多汗症じゃなくて、多感症ね!』


実はこれに対しては相当な自覚症状がある。
人の話を聞いても、映画を観ていても、音楽を聴いていても、何をしてても多くを感じる。
つまりややこしい頭の作りの人間。

ストックが多いんじゃなくて、纏まんないだけ。
仲のいい人達は僕が喋り出すと、途中で笑い出すんです。
めちゃくちゃ喋ってしまったり、「なんでそんなこと知ってるの?」みたいな反応で、
「また山下佑馬がなんか言い始めた」みたいな事によくなるんです。


ちょっと前まで悩みだったけど、
今となってはケースケサイトーによる言語化と、コーケンが笑顔で話を聞いてくれる事で、
僕の特殊能力になりました。
オオハシという名古屋の友人に関してはさらにややこしい解釈で包んでくれています。

そこはポジティブに行こう。
実はこの類でこの前先輩と長電話してたら、
何故か僕が相談に乗るみたいな流れになって、
その人の事をコンセプト化し、比喩表現をした時に、
『又吉みたいな事言うね。』と言われた。

又吉が独自の感性や読解力で、とある物語や文章に新たな解釈を見出すという不思議な事をしていた。
恥ずかしながら最近知ったが「インスタントフィクション」というチャンネル内のシリーズを時間がある時に観てほしい。


今僕はBRUTUSの映画特集をコンビニで買ってきて読んでいるところである。
なんでnoteを書いているかって、18ページで既に上白石萌歌さんが共感性の高いコメントをしていたから。
好きな映画に出会うと繰り返して観てしまうらしい。
おススメしている映画には「理解できない美しさがあって、もっと知りたくなるから。」もコメントをされている。

あぁ〜。
なるほど〜。
そうなんだよな〜。

と声が出た。
で、本を閉じた。
そしてnoteを書いている。



・多感症
・新解釈
・理解不能


僕を形成する言語かもしれない。
多分しばらくの間これはホットワードになるだろう。

・僧侶の如く様々な人の様々な話を聞いて、いろんな事を感じてみるのも面白い。
・物語という決め事の裏にある本質を理解した上で、新たな目線の解釈を持ってもいいんじゃない?
・結局人間は全員が同じ細胞を持てるはずないから、理解不能なのが当たり前。

言い換えるとこんな感じです。



一回読み返したけど気持ち悪いな。
でもホットワードだから仕方ない。


わかりやすく例を出します。

僕は写真に自分の経験やこの目で見たものごとに対して、自分の哲学をのっけたり、勝手な解釈で表現するのが好きです。


Osteoleucoのライブにて。
ライブが始まった時に1番楽しそうで、1番踊ってて、1番声出してた2人の観客の写真。
僕にはオステオの2人と同じくらいこの空間で輝いていたように見えた。
その2人はライブが終わってもずっと楽しそうに踊っていた。
この時のフィルムは誤って感光してしまったんだけど、その感光が彼らのオーラに変化して、輝かしさを増した。
もう会わないと思うけど、次もし彼らに会うなら「ありがとう」って言いたいくらい気に入っている。



と、こんな感じで考えなくてもいい事を考えて、
感じなくてもいい事を感じて生きて行くのが楽しいのです。

自由に生きよう。

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