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人新世の「資本論」:第2章
本日も、朝活読書会を開催。
第2章で学んだことや感想をメモ程度に、まとめたいと思います。
第二章のざっくり要約
グリーン・ニューディール:緑の経済成長
→ディカップリングにより実現させるべし
→ディカップリングには限界がある
→「脱成長」を目指す必要がある
■新政策案:グリーン・ニューディールの問題点
第1章では、豊かな生活を求める代償として、人間だけでなく環境からも膨大な犠牲を払わせる結果となっていること、そして、これ以上、資本主義により悪化する環境危機を無視できない状況に置かれていること、について書かれていました。
そこで、第2章ではその解決策として大きな期待を集めている、「グリーン・ニューディール」という政策プランについて述べられています。
グリーン・ニューディールとは「地球環境に優しい」と考えられる、再生可能エネルギーや電気自動車の開発に投資を行うことで、地球環境に配慮しながら経済成長も維持しよう、とする政策です。
SDGs/持続可能な成長をゴール!
→新たな新技術を開発
→巨額の投資
→雇用の増加
→有効需要の増加
→好景気 (+環境への配慮もできている?)
しかしこの「緑の経済成長」を求める限り、環境負荷は避けられないと言われています。
「経済成長の罠」がそこには潜んでいるからです。
緑の経済成長により、雇用が生まれ、景気がよくなれば、結果、さまざまなものへの需要が増えます。高まる需要に応えるために、資源の消費量は増加し、結局、二酸化炭素の排出量が増えることになります。
では、経済成長をやめてしまえば?と思うかもしれませんが、そこには「生産性の罠」も潜んでいるため、簡単には経済成長を諦めることができません。
効率化を重視して、雇用を減らしてしまえば失業者が増えます。資本主義の中で生き抜くことができない失業者。政府は、この失業者の割合の高さを自国の重大な問題として取り上げ、雇用を守るために市場に経済規模の拡大を要請します。
この、そして、求められた経済成長を達成した時には、再び「経済成長の罠」に陥ることになります。
■実現困難なディカップリング
グリーン・ニューディールを推し進める策として重要視されているのが、ディカップリング。
ディカップリングとは、日本語で「切り離し」・「分離」を意味します。経済成長を追求する際に生じる環境負荷を新技術によって「切り離そう」(ex:二酸化炭素の排出量を減らそう)とすることです。
ディカップリングには「相対的ディカップリング」と「絶対的ディカップリング」があります。
GDPを増加させるためには、二酸化炭素の排出が避けられませんが、
「相対的ディカップリング」とは、新規技術や効率化によって、GDPの上昇に対して、二酸化炭素の排出量を緩やかにする・下回らせること、を言います。
「絶対的ディカップリング」とは、GDPの上昇に対して、二酸化炭素排出量の絶対量を減らすことを減らすこと、を言います。(例:電気自動車、海外とのオンライン会議、太陽光発電)
環境問題に取り組むためには、結果的に、二酸化炭素を排出してしまう相対的ディカップリグでは対処が不十分です。2050年までに気温上昇を1.5℃未満に抑えるためには、「十分な絶対的ディカップリング」を実現させる必要があると言います。
しかし、このディカップリングには限界がある、と筆者は述べます。
①「見かけ上の」ディカップリング
先進国で相対的ディカップリングが成功しているように見えても、経済成長が著しい新興国での二酸化炭素排出量を考えると、世界全体で見れば、その効果は無いに等しい状態です。
さらに、先進国で相対的に二酸化炭素の排出量が減っているように見えるのは、全くの幻です。
先進国での需要を補うための、新興国での生産活動や輸入の際に生じる二酸化炭素の量を考えれば、相対的ディカップリングさえも実現できていない、と言えるでしょう。
②効率化が環境負荷を増やす
筆者は、再生可能エネルギーへの投資が増えるにもかかわらず、化石燃料の消費が減っていない、と言う事実を述べています。
技術の進歩や効率化によって、物の値段が廉価になれば、消費の需要が増加します。
「環境にいいから!」と、安くなった太陽光発電を買い、浮いたお金を片手に、電気自動車で不急の物欲を満たしにいくかもしれません。はたまた、飛行機で海外旅行かも、、
これでは、「相対的ディカップリング」が「絶対的ディカップリング」の妨げになっているという事態が生じてしまいます。
③リカップリングの発生
二酸化炭素を排出する有害なものとの縁を切る代わりに、代替資源とのリカップリングが進んでいます。このリカップリングにも恐ろしい現実が潜んでいます。
電気自動車を作る際に欠かせない、リチウムイオン電池。このリチウムイオン電池に欠かせないのが、レアメタルやコバルトといった希少な資源。
レアメタルやコバルトの生産は、過酷な労働環境にもかかわらず驚くほどの低賃金で働く人々に支えられています。
私たち消費者は、目の前にある「地球に優しい」とされる電気自動車がもつ「本当のコスト」に気づかなままに買わされているのです。
■技術楽観主義も危ない
排出量の「削減」する代わりに、大気中の二酸化炭素を「削除」する技術開発も進んでいます。ネガティブ・エミッション・テクノロジー(NEF)です。
しかし、この方法も結局は、第1章で取り上げた資本主義の特性「転嫁」を大規模に行なっているだけである、と筆者は述べます。
バイオマス・エネルギー(BE)を可能にするためには、膨大な土地が必要ですが、その土地の確保は周辺国に押し付けられるのでしょうか。バイオマス・エネルギーで得られるベネフィットは、膨大な土地を用意する時に派生する問題を上回るほどのものなのでしょうか。
大気中の二酸化炭素を地中や海洋に貯蓄する技術(CCS)には、大量の水が必要とされます。気候変動問題、飢餓問題があり、これからますます貴重になる水を、排出量の50%を占める世界の10%の富裕層の人たちのために使ってもいいのでしょうか。
■解決策は「脱成長」!?
プラネタリー・バウンダリーを唱えたヨハン・ロックストームは「緑の経済成長は現実逃避でしかない」と言います。
「1.5℃未満に抑えること」と「経済成長」の両立は不可能と言えるでしょう。
筆者は、この「1.5℃未満に抑える」目標を達成するためには、1970年代後半までに生活のレベルを落とす必要があると言います。
1970年代、、、私は1990年代生まれであり、全く想像ができない世界です。
今の便利な世の中になれてしまった現代の人たちが、果たして再び不便さに寛容になれるのでしょうか。
「成長」と言う言葉に関わる限り、環境への負荷は避けられない問題であることはよくわかりました。
しかし、「成長」を辞める際に生まれる膨大なコストも、理解ができます。
筆者は、解決策の一つとして「脱成長」を掲げています。そして、次章は脱成長がどのような方法で行われるべきか、に焦点をあて読み進めていきたいと思います。
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