見出し画像

珈琲屋の娘

実家は長い間喫茶店をしていた。
離婚した父からの慰謝料として
私が小学3年生の時に開店したその店は
母の大好きな珈琲を専門にしたもので、
その後40年近く営業された。

喫茶店などほとんどない地域に開店したので
みんな物珍しかったのだろう。
開店のために隣町から転校してきた私の、
最初のあだ名は店の名前だった。

しかし1日に何杯も珈琲を飲み、
珈琲に詳しい母は、娘の私には珈琲を禁じた。
カフェインが入っていることが
理由だったようだ。
珈琲の香りが満ちている店で
たまにカフェオレを飲ませてもらう程度だったが、
大して珈琲が好きではなかった私は
そこまで疑問も不満もなかった。

先日、母と電話で話していると
「あんなに珈琲豆を扱っていて焙煎したり挽いたりしてたのに、アナタには何も教えてあげなかったね」
とぽつりと言われた。

「ママ、私にカフェオレしか飲まさんかったじゃん」
「私は喫茶店の仕事をアナタにさせたくなかったんよ」

そういえば毎日のように喫茶店の経営は大変だと
聞かされたことを思い出す。
自営業の大変さを散々母から聞かされたせいで
私は自営業には全く興味はない。
今後も何か店を開いたり、
会社を興したりすることはないだろう。
そんな大変な中で、女手一つで私を育ててくれた母には感謝しているが。

今でも私は珈琲が得意ではない。
味も、濃いか薄いかくらいしかわからない。
珈琲よりは紅茶やハーブティーの方が好きで、
珈琲を飲むならばやっぱりカフェオレにする。

珈琲屋の娘でよかったことは
サイフォンで珈琲が淹れられるようになったことだけだ。
たまに店の手伝いをしていたら
なんとなく身についた。
サイフォンで珈琲を淹れる店も少なくなり、
特技の欄にも書けないことだが、
それが私の、たったひとつの、
珈琲屋の娘の証だ。

(了)












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?