思う日々 #1
今さらの話だが、母と喧嘩をしている。
もう数ヶ月になるだろうか。
毎週月曜に必ずかけていた電話もやめた。
きっかけは(きっと母にとっては)ささいな事であった。
私がいつもの月曜の電話でNISAの話をした後、数日してラインが来たのだ。
「先日のお金の件絶対株なんか買わないように積み立てニーサなんかダメ今詐欺がはやつているうまい話に乗らないように」(原文ママ)
言っておくが、母は株をしたことがない。
NISAのことなんかこれっぽっちも知らない。
それよりも何よりも
私は自分の生活に入り込んで指図しようとする、
(母からすると子どもの事を思って、だろうが)
そのラインの文章にその日無性に腹が立ったのだ。
今までも何かを話すと、知識もないのにすぐに自分の思うようにさせようとするので、私は極力話す内容を選んできた。
例えば、私たち夫婦の定年後の話をすると
資格を取れとかなりしつこく話す。
いろいろと資格は持っているから、もうその話はしないで欲しいと言っても、暫くするとまた資格の話をする。
(ちなみに母はほとんど資格を持っていない)
そこにこのラインだ。
なんかもう優しい娘するの嫌になった。
いつまで私はこのひとから走れ走れと尻を叩き続けられなくてはいけないのだろう。
これが正直な気持ちだった。
女の怒りはポイント制と言われるが、
まさしくポイントが全てたまったと思った。
心の糸がぷつりと切れた私は、
しょうがなく返事をした。
「私が親から望んで欲しいのは、娘にはただ元気で笑って毎日楽しく過ごして欲しい、ということです。暫く話をしたくないので電話もしません。ラインもブロックします」
少々胸が痛んだが、
これ以上、私の生活に口を出してほしくはない。
娘の役割はもう疲れた。
これが5月末の結論だった。
しかしながら、これは親がまだ元気だからできることなので、もしも母が弱っていたら、言う事を
イライラしながら適当に聞いていて、突然怒鳴ってしまったかもしれない。
それよりはまだマシなのか。
それから数ヶ月経ち
つい先日、母から封書が届いた。
読んでみると、子離れできてなくてごめんなさい、
いろいろ反省しました、という言葉と共に、
お墓についてのことが書いてあった。
82歳の母は私が12歳の時に父と別れ、
今現在、京都の実家で
再婚した同い年の継父と住んでいる。
近くには継父の独身の姉と妹が住んでいて、
彼らに他に身内はいない。
つまり、私は今後4人分の葬式をださなくてはならないのだ。
墓の問題は非常に重要である。
幸い、自分達でなんとか計画を立てているようだ。
(あくまでポックリ逝く前提のようだが)
今後4人全員が介護が必要な状態になったら、
私はどうすればいいのかと時々ゾッとしている。
私自身はひとりっ子で子どももいないので
夫が先に亡くなったらまさしく天涯孤独である。
死んだら身体がしゅーって煙か何かになって
自動的に消えないかななんて思っているのは
私だけではないだろう。
私は母親になったことがないので
親の気持ちはわからない。
連絡を絶ったあと、愛着障害に関する本を読んだら当てはまり過ぎて笑ってしまった。
自分が人として未熟なのはわかっているのだが、
今まで母からされたこと、言われたことが蘇ってきて、どうしても母に優しく接していた元の自分に戻れない。
アレコレ考えていると
親が離婚して傷ついていた際、娘の傷を癒すこともせずに男(今の継父…だけじゃないけど)と付き合って、嫌がる私をその付き合いに巻き込んでいた母を許せていないことに気付いた。
(ハッキリ言って継父のことは好きではない。この人がいなければ、なんて数え切れない程思ったし、母が男を見る目のないことを呪った)
さてこれからどうするかな、
これが今のところの気持ちである。
考え込むのは好きではないし
もうなにが正しいのかもわからないので
多分この面倒な気持ちは一旦手放すだろう。
まだ少し時間はある。
また進展があったら、続きを書こうと思う。
(了)
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