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とある新潟の(ソフトウェア)エンジニアのキャリア

これは生まれも育ちも新潟の40代目前のエンジニアのキャリアの一端です。

新潟にもこういったエンジニアがいることで、こういうキャリアもあるのかというものを知ってもらえたらと思い、慣れない文書を書いております。


新卒入社したSIer

大学院卒で入社したSIerは県内では大手で業界の人でなくても、聞いたことあるなというくらいの企業でした。
地元でもTV CMを打っていて露出はわりと多い企業でした。
入社理由はそういったネームバリューなのと、入社前の長期のインターンでお世話になっていたこと、そこで一緒に働いていた人とまた仕事をしてみたいと思ったからでした。

Rubyとの出会い

インターンでRubyとRuby on Railsに出会い、インターンで触ったことで後のエンジニア人生に多大な影響を与えたといって過言ではありません。
当時インターンで配属された部署が先進的な技術を試してみようという部署だったのもあって、手探りながらも自分を磨きつつ、Railsで社内システムを構築してみるというかなり実践的なインターンでした。
後に入社して自分が設計・実装していたシステムを社内システムとして実際に使うことになるとは思いませんでしたが。

入社してから

配属されたのは、自治体を相手にパッケージを販売している部署でした。
インターンで配属されていた部署の配属を希望していましたが、当時人手が欲しくて、手っ取り早くコーディングできる人が欲しいとのことで、該当部署に配属されました。
当時はVisualBasicで書かれたシステムの保守や導入、カスタマイズを行っていましたが、Ruby(on Rails)をやってたころのギャップで時代遅れ~なシステムを扱っている部署に配属されたものだと思っていました。
実際その通りなのですが。

そこで、入社1年目からまぁ、よくあるデスマのオンパレードで当時よく潰れずにやってたものだと思います。

途中Javaで書き換えようとかいろいろありましたが、そこでの経験で後に役立ったのはOracleで得たデータベース設計やSQL、の知識でした。
これはほかのRDBMSでも応用が効き、実は一番収穫があったのではと思っています。

結局入社してから退職するまでその会社でRubyを仕事として触ったのがほんの数回。仕事以外ではちょこちょこ触っていたといった感じでした。

初めての転職

結局新卒で入った会社はモロモロありまして転職することなります。

辞めるにあたって

私は初めての転職に至って、準備らしい準備をせずに退職しました。
※:ノリと勢いだけで辞めました。
それまでには、一応転職活動だったり、大学職員の試験を受けてみたりやってみましたが、結局退職した翌週に次の転職先が決まったのでラッキーでした。(あと今となってはですが、大学職員に合格しなくてよかったかな~と思っています。)

次の職場

次の職場は同じ県内の別のSIerでした。
グループ企業の案件を主に扱っていましたが、外販も始めようとしているところで、その第1弾としてJavaで作ったパッケージのリリース前最後のテストフェーズからジョインとなりました。
と言っても、リリースしてからそのパッケージを、自分が退職するまでメインで担当することになったのですが、前職でのJavaの経験があるってことで当時はそこまで苦労せずにやっていけました。

新規事業の連続

入社後、さまざまな新規事業にかかわることになりました。Salesforceのエンジニアをやったり、BIツールのプリセールスやったり、さまざまな事業に首をつっこむことになりました。
ここでは様々なサービスの存在やMicrosoftのAzureに触れ、クラウドサービスに本格的にかかわることになりました。
これもまた後のキャリアにはプラスになりました。

LINEのプラットフォーム連携

そして、一番大きいのはLINEのBot開発でした。当時Messaging APIが出始めたばかりで、グループ企業にも入社当時触っていたJavaのシステムでLINEのMessageing APIと連携した機能をリリースするということで、そのプロジェクトにアサインされ、そこでLINEのMessagingAPIの可能性に触れはまっていきました。
ただ、当時一人プロジェクト&ノウハウがなかったため、ひたすら実証実験を繰り返しながらなんとか形になっていたのを覚えています。
このLINEの開発経験が次の職場へつながるキーとなりました。

ベンチャーへの転職

最初の転職から3年弱程で次の企業への転職と相成りました。
現状への漠然とした不安と、組織での雰囲気が最悪なまでに悪化していることもあって、やばそうなニオイがプンプンだったため、次のところへ移る決心をしました。

全然違う文化・働き方・人

入社したベンチャー企業は渋谷のイケイケベンチャー(の新潟開発拠点)。今までとは違った文化・働き方でした。
ベンチャーグループ企業の新規案件に最初から関わり1~2か月でシステム作って立ち上げることをひたすら繰り返す企業でした。うまくいくかはともかく、とにかくやってみる精神で動いていました。
お給料の原資に自社のマイニングで得た暗号通貨があったり、超ニッチだけどお金のニオイがする事業に参入したり、まぁ色々でした。
私もLINE関連のシステムや様々な企業のWebサービス開発、モバイルアプリ開発を行ったり、はたまたゲームの制作とかもやったりとよくわからない人種でした。

商談先からのお誘い

そんな中地元企業から名指しで自社の基幹システムの開発の依頼のお話があり、商談に発展していきました。
その中で、自社の方針と、お客様のやりたいことのギャップがすごい状況の中、自分だったら、こういった形で、お客様のやりたいことを実現していくかな~という漠然とした思いでモヤモヤしておりました。
そんな矢先、「昨日商談させていただいたyukyu2ndさんですよね?」という連絡が転職サイト経由で来ましたw
まったくの偶然ですが、商談相手(採用担当も兼ねていた)からのオファーでした。
実際に来て、社内で一から全部やってほしいというもので、相当悩みましたが転職することにしました。
私としても受託(グループ内の新規事業の立ち上げ)をしていくなかで、グロースするところには中々関われずにいたので、自社の事業をひたすらグロースするためだけに、力を注げるのは魅力に思えました。

初めての事業会社への転職

転職したのは新潟の不動産ベンチャーで社内SEとしての転職でした。
そこでは、上場に向けて、基幹システムの構築や社内体制の構築は必須と言われており、対応が急務でした。
私自身は社内SE業は初めてで何をしてよいかわからないなりに、社内の便利屋さんとしてスタートしました。
この辺のお話はこちらに詳しく話していますので、参考までに。


初めてのリファラル転職

不動産ベンチャーはその後、紆余曲折あり退職することになります。
その際にきっかけとなったのは、地元のエンジニアからのお誘いでした。
私よりも先に、私の現職で働いており、フルリモートで東京の事業会社に働いており、前職で私ができなかったことも経験できそうとのことで、お世話になることになりました。
自分では想像もしていなかったリファラル転職です。
今の会社の転職については前回の記事で書きましたので、そちらをご参考までに。

https://note.com/yukyu2nd/n/n8e08638069b0



まとめ

新潟ではかなりおかしなキャリアを歩んでいるエンジニアではないかと思います。改めて振り返ると再現性は無いキャリアだな~とも思っています。

ただ、その時の自分の状況を何とかしたいと思って行動したことなので、結果的にはすべての転職がそのタイミングでは良かったかなと思っています。

とりあえず、今は自分ができることをその場所で精一杯やっていこうと思います。
現職では前職では果たせなかったやりたいこと、私のミッションを完遂するまでです。

つたない文書ですが、このようなことをやっているエンジニアがいるということを知っていただけたらなと思います。


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