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102:心の変化


音楽が好きだ。好きが高じて、諸々の事情もあって、DJまでしてたくらいだ。インスタ趣味アカウントの繋がりには音楽ラバーがたくさんいる。

けどここ数年、彼らのインスタのストーリーから楽しかったはずのフェスやイベントの風景を覗き見てみても、以前のように心が動かない。躍動しない。いいなぁ、とは思う。楽しそうで羨ましい。動けない自分が切ない。しかしじゃあ本当に心の底から自分もそこにいきたいのか、と問われると
『No(別に)。。』なのだ。

体調のせいだと思っていた。
うつには『以前まで楽しいと思えていたことが楽しく感じなくなる』という症状があるからだ。実際羨ましすぎて見るのが辛い時期もあった。インスタのアプリ消してみたり。
でも、今はそういう訳でもないのかも。

昨日は自分の中でも特に興味が持てそうなイベントが被っていた日だった。コロナが落ち着いてフェスも徐々にできるようになったこのタイミングで、天気にも恵まれて、皆んなここぞとばかりに各自興味があるフェスに参戦していた。
私はそのどれにも結局行こうとは思わなかった。一緒に行く人がいなかっただけでもあるけど、その友人を探そうともしなかった。
昨日はひたすら家でごろごろ過ごしていた。ストーリーをスワイプすると楽しそうな様子が次々目に飛び込んできた。

それでも感情が動かない。

薄々気づいていたけど、昨日改めて実感して、驚きと、寂しいような、虚しいような複雑な気持ちになった。
自分がとてもつまらない人間になった気がする。家でゴロゴロしてていいやなんて。陰な感じがするというか。
それに私は変わらずその音楽ラバーな友人たちが好きだ。なのに私が好きなその人たちと『楽しい』の共有ができなくなってしまった。感情を共有できなくなってしまったこと。それは関係が遠のくサインに思える。当たり前っちゃ当たり前なんだけど、人好きな自分にとってこれはキツイことだ。分離不安というか。。さみしい。

でも私はやっぱり音楽ラバーではあると思う。そこに変わりはない。だから全然会えてないしその空間にも行けてないけど音楽ラバーな人達とも繋がっていたい。これからどう関わればいいのかな。『楽しい』を共有できなくても仲良くしていけるのかな。

次、自分があの時のような高揚感を得られるのは一体何をした時なんだろう。もう『高揚感』を得ようとする必要もないのかな。今の私の『楽しい』はなんなんだろうな。

昨日はこんなことを思った日だった。
もやもやしながら寝て起きて、昨日よりは頭の整理がついたのでこの文章を書いておく。

すごくごちゃついた文章になっちゃったな。

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