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カウンセリングと縦社会

カウンセリングをはじめると、初期に体調を崩すという話を以前どこかに書いた。
なぜ初期かというと、最初のころに「インテーク面接」と「心理アセスメント」というステップあるからじゃないかと思う。このタームでは、心理士がクライアントの問題や背景を把握するために、現状や直近の話だけでなく、家族関係や子供の頃を含めた過去の経験(主に傷つき体験になる)、その時に感じていたことなどを語ることになる。
(※カウンセリングにも色んな手法があるので、すべてがこの限りではない。少なくとも私はこうだった。)
この過去に蓋をしたパンドラの箱をわざわざこじ開けるという行為が、心身に大きく負担になるらしい。
多分ほんとにそうで、実際に自分も体調が悪くなったと思うし、まぁ、なんのために蓋をしていたのかってことだ。
人間が強く生きるための「忘却」という機能を侮ってはいけない。

それでもこのプロセスは重要になる。
カウンセリングを受けるような(私のような)人間というのは、過去のどこかの躓きから考え方がズレてしまっている事が多い(心理学用語ではこれを「認知の歪み」といったりする)。
辛いことがあって感情を閉じ込めた結果、感情の表出が苦手になっていたり、自分の感情を認識する能力自体が落ちていることもあるらしい。
勿論トラウマの問題だけでなく、クライアントの持って生まれた資質も起因する。例えば発達障害の人はコミュニケーションの問題などからトラウマを負いやすかったり、もともとの気質として感情の整理が苦手だったりもする。

何にせよ「傷ついてしまった」こと「今生きづらいと思っている」ことは事実で、カウンセリング的治療ではそれをいったん紐解き、
本当にそうだったのか?
(原因はあなた(or相手)だったのか?)
本当はどう感じていたのか?
どうしてほしかった(orどうしたかった)のか?
など、感情や行動を整理しなおす必要があるのだと思う。
また同じルートを辿ってしまわないように、、

ただ!これは非常ーーーに難しい。
何年も、下手したら何十年もかけてつくった思考の癖を修正するのは予想よりはるかに困難だ。これが自分なんだと開き直る人も多い(それで本人が満足かつ人に迷惑かけないのなら勿論OKだけど、でもやっぱ人生のどっかで苦しくなるんじゃないかなぁとは思う)。そもそも、猫背だとか、脚を組みがちだ、みたいに脳内の癖は可視化することができないので、どこが自分の癖なのかを自己認識するのが難しすぎる。
だからカウンセラーは対話を通じて、(思考が)猫背になってませんか? 脚、また組んじゃってませんか? とこちらの認識を促すのが仕事なのだと思う。
猫背になってるぞ!背筋伸ばしなさい!というのは恐らくカウンセリングの範疇ではない、そうなると「コーチング」の世界になる。
治療を急いでいる人はバチっとコーチングを受けるといいのかもしれない(リバウンドもありそうだけどね、、)。私はそういうのも必要だとは思うのだけど、動画や本だけでいいかなというのが本音だ。心がついていかないというか。。縦社会が基本苦手だ。。もっというと高圧的な人間がどうしてもムリだ。。!
「アイツなんかゆーとるな」と縦社会ノリをさらりと受け入れ受け流せるような人間ならそもそも心病まないよな、とも思うし。

反面、カウンセリングは優しすぎてカタツムリのような速度での治療になっている気がしてならない。やっぱコーチング要素もあった方が良いのかなぁ。適度なら受けてみたい気もするけど、、自分にとって適度なレベルのコーチングというのがまたわからないんだよな。。

根本的に変えられる部分と変えられない部分というのは残念ながら、ある。

結果的に時間はかかってしまうけど、直接人と相対して受ける分にはカウンセリングの方が自分は向いているかなぁと今の所思っている。


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