捕鯨船乗船記1997 千葉県和田浦
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捕鯨船乗船記1997 千葉県和田浦

Yuko Iida



「鯨を獲る人」を撮ったときのこと
                 飯田裕子

1997年のある日、まだ私は当時37歳、東京在住で、船橋の実家に戻っていたときのこと。
「千葉県沖にいる鯨」という新聞記事を目にし、目から鱗が落ちるほどにとても驚いた。
鯨というのは、どこか遠くの大海原にいるもので、テレビ番組でしか見たこともなくとても遠い存在。
その鯨が千葉県の沿岸にもいるという事実にドキドキしたのだった。

それも、和田浦という外房のサーフィンのメッカで、今も捕鯨もしていると書かれていて、さらに興味を持った。
もっと深く知りたい….
当時仕事をしていた雑誌(新潮社のSINRA)に取材の企画を提案し、ライターの女性と共に取材に入る算段をした。

捕鯨に関する取材にあたり、まだ国際的にも今ほど風当たりは強くなかった和歌山の太地町へ行った。
そして、運よく和田で操業している勝丸という船の船長さんから「和田で操業するときに乗船取材をしても良い」とのお約束を頂く。

その3週間後の早朝、和田港から勝丸は出港。前夜和田泊し、鯨のタレを頂いたこと、

女将さんが「黒い肉で見栄えは悪いんですが」と話していた。こと、そして何より、30歳代であった私は緊張し、よく眠れなかったことを覚えている。

房総沖に夏に群れがやってくるというツチ鯨は動きが俊敏ですぐに深く潜水し、50分ほど海面に上がってこない性質なので、船もスニーカーのようにフットワークが軽い小さなもの。
捕鯨船と連想するとガックリくるほど頼りなげに見えた。

和田港を出港し、太平洋のうねりの中で、私は寝不足ですぐに船酔いをしてしまう。
カメラを片手にデッキで伸びていると、「中の畳の部屋で休め」と船員さんからの指示。
見れば、マストの上では、大波に揺られながら2名の船員さんが鯨の潮吹きを見つけるべくウオッチ。
私やライターさんが顔面蒼白になっている姿を見て、笑っている。

長丁場の傍には、どら焼きまでマストの上で食べている!
海の男、圧巻である。

40分ほどして最初に9頭の群れ発見!

すぐに船の中に伝令が飛び、一気に緊張感がみなぎる。
しかし、ツチ鯨の群れはあっけなく潜水。

尾鰭の跡が静かな海面に輪を描いて漂っているだけで、梅雨明けま近の湿度の高い海原が広がっていた。

「大島海域に変更、移動!」と伝令。
1時間以上船はゆく。
私はいよいよ酔いが回り、眠り入ってしまった。うつらうつらとしている中、船内の台所で味噌汁の匂いも漂い、船員さんたちの昼食タイムだった。

「大丈夫かい?」と時折船員さんが声をかけてくれる。その返事すらままならない。

大島沖に到達し、予想は的中。
「13頭の群れ発見!」マストから伝令が飛ぶ。
私も倒れていられない。長いレンズをつけたカメラ片手にデッキに上がる。
砲手さんも船首の砲台にスタンバイする。
鯨の群れがプカプカ海面に漂う。船はエンジンを落とし、まるで息を潜めているようにしながら群れに近づく、


「プハ~ッ!」「プハ~ッ!」
鯨の潮吹きの音が近くに感じる。
あの、野生哺乳類最大の鯨の群れが真近にいる。

ふと一番船に近い鯨1頭が海面から顔を上げてこちらを見ている。
目があった。
私はファインダーの中を見つめながら、相反する2つの感情が心中交互にぶつかり合っていた。
「何顔あげてるの!早く逃げて!」と鯨に。
「早く的確に射止めて!」と砲手さんに。

ズドーン!!爆音が一瞬海にとどろき、群れは海に潜り、消えた。

砲手さんは「ヨシ!」という表情で汗を拭う。

鏃から繋がるロープがスルスルと船から海へ延びてゆく。

あの顔を上げていた鯨だ。
でも….、なんでわかっていただろうに…..、どうして….?逃げなかったの?

あの視線、目があった瞬間がそのまま脳裏にフリーズしている。
私の勝手な解釈かもしれない。勝手な物語を作り上げているのかもしれない。
その視線はまるで「命、捧げますよ」とでも言っていたような優しい目だった。

群れを守るため?
こちらを見て、こちら側に来るという了解的な感覚か…。頭の中が錯綜する。

船の上では船員皆、暗黙の了解で無事仕留めたことを知る。
私もただスルスルと延びてゆくロープを見つめていた。
砲撃をうけた鯨は海中へ逃げるべく体力が尽きるまで潜るのだろう。
船の上では、船員さんたちは。ややリラックスした様子で船首に座りタバコをふかしている。今までの緊張が少し解ける。
でもまだ仕事は終わっていない。鯨がロープから離れて逃げる場合もあるだろう。

でも、砲手さん初め、みな適中したことを確信して安堵しているようだった。

かつて人類の、男性が、ずっとずっと昔からマンモス初め狩りをして部族の食を射とめ、命を繋いできた、そんな連綿と続く営みの所作、表情。


20分以上経った頃、鯨は静かに海面に上がってきた。

まだ息があるが、体力は消耗していた。船員さんたちは手際よく最後の息のねを薙刀で射止め、青い海に真っ赤な鮮血が広がった。


鯨は目を閉じ、そして、大きな身体は船の脇に抱き抱えられた。

和田港への帰路、私は鯨が添えつけられた船ベリに座り

「ありがとう、ありがとう」と、鯨の魂、漁師さんの技に言いながら、潮風に吹かれていた。
緊張が解け、船酔いもいつしか治っていた。


鯨の魂がこちら側(人間世界)に来る。


そういう考え方は、私が20代後半から撮影し、通っていたネイティブ・アメリカン(北米南西部)の思想でもあった。
猟をする時、その前日から祈りをささげ、明日やってくる動物(例えば鹿)のスピリットと対話する。
感覚が削ぎ済まされてくると、山道のあの曲がり角を曲がったら、前夜コンタクトした魂の鹿と出会うと予知できている。
なので、猟では一切焦ることはないという。


日本でもアイヌ民族が「イヨマンテ=熊送り」の儀式をするように、仕留めた動物は手厚く歓迎され、その肉や皮を恵として余す所なく人間の営みの中で大切に使う。
輪廻転生という思想が仏教にあるが、地球と共に生きてきた人々の文化の中では、動物の肉は人として生き続けるという思想もある。

鯨と日本人との長い付き合いにも通じるような気がする。

和田のつち鯨は無事に和田港に到着し、12時間港内に係留され肉の発酵を待つ。
その間、和田の人々の間には「鯨があがった」とクチコミが巡り、ソワソワ、ワクワクしてくる。


夏の大きな恵みが浦にやってきた!
鯨は海の化身。


人が鯨を食べることは、海のエネルギーそのものをありがたくいただくということ。そう思えてならない。


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Yuko Iida
写真家YUKO IIDA(飯田裕子)として活動し、40年!世界〜国内を旅しつつ取材撮影を続けています。