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MyStory最終章~社交ダンスとこれからの私

社交ダンスに出会い、社交ダンスを踊ることをいつも優先して生活をしてきた私。40歳目前になってくると「いつまで踊れるのか」「私からダンスをとったら何もないのではないか」ということが頭をよぎり、どこかモヤモヤするようになる。
だが、杞憂だった。今現在アラフィフになっても現役選手として踊ってるし、社交ダンスを通していろんな経験を積んできたことがわかったし、社交ダンス講師の仕事を通してやりたい事ができた。それまで、スタジオに来て下さる生徒さんのダンスライフをより楽しくより快適にしていけるように日々レッスンをすること、そしてそこにスパイスとしてパーティーや講習会などのイベントを開催することだけが社交ダンス講師の仕事だと思っていた。それが少しづつ変わっていった。


社交ダンスのチカラ~父からのメッセージ

2011年3月の大震災。ダンスのような趣味・芸術・スポーツは完全自粛モードになる。自分の仕事は「生活に必要ではない」「真っ先に不必要になる」、そう残念に思った。
だけど、徐々に芽生えてきた気持ちは違った。身体を動かすことは気持ちを元気にする大切なこと。私はそうした場所を提供するんだ、レフレッシュしてまた頑張ろう!と明日への活力を提供するんだと身が引き締まった。スタジオで開催するイベントを増やした。
この辺りからスタジオのブログが単なる趣味のような日記から徐々に気合を入れて情報発信をするように。スタジオでの活動を知ってもらおう、身体の使い方を知ってもらおう、そんな記事が多くなってきた。

2013年、父が肝臓がんで亡くなる。発覚からわずか半年。父よりも母の体調が先に悪くなりそちらを心配していたし、心のどこかで父はスーパーマンだと思ってたから、まさに青天の霹靂だった。
私の住んでる川越と両親の住む葉山の往復生活が始まる。父が亡くなり、母を川越に連れてくる。母の病名が「進行性核上性麻痺」という難病だとわかると同時に介護生活がはじまる。その後、母は施設に入所し亡くなる。
この6年はこんな短い文章で片付けられない。やる事が沢山あって、命の危険という心配が絶えなくて、いつも緊張していて・・・でもそんな時でもたとえわずかな時間でも私は踊っていた。最初は不謹慎だろうかと罪悪感を感じながらだったが、リフレッシュして「また頑張ろう!」と勇気と元気が湧いてくるのが心の底から感じ涙が出た。それから胸をはってダンスをした。
ココロが落ち込んでしまう時に身体を動かすとリフレッシュするよ
音楽にのって人と触れ合って踊ると心強くなって元気に次に進めるよ
どんな時でもわずかでいいから自分の時間をとることは大切だよ
社交ダンス講師は不必要な仕事じゃないと心から思っている。

亡き父が癌発覚直前に参加してくれたスタジオの7周年記念パーティー。ホテルに250名ほどのお客様。この時に父がくれたコメントは今でも覚えている。
「祐子と肇ちゃんはいい仕事をしているんだな」。ご出演の皆様が目標をもってキラキラ輝いて踊ってる姿を見て、その手助けをしている私達を誇りに思ったそうだ。どちらかと言えばパーティーに付き合いで来てくれてた父がそんな事を言うなんて驚きだった。
「いいダンスだったよ、まだまだいけるよ」。これもまた意外でパートナーとびっくりして顔を見合わせた。15年ほど中国武術をやり、身体の使い方などにはちょっと見方が厳しく滅多に褒めることのない父が褒めたのである。
この二つの言葉はその後の自信になっている。


アラフィフの星

長年いた競技団体を移籍したことで、かえって私達はいろんな経験をすることができた。

その一つが年齢別の世界選手権へのチャンレンジ。ずるずるとこの年齢まで競技選手をやってきて、この年齢だからこそ出場資格のある競技会に出てみたいと、二人の夢が一致した。
2016年、ルクセンブルクでの世界選手権初出場は印象深い素晴らしい体験だった。何しろ二人で海外に行くのが初めてで、しかもJapanジャージを着て日本人が誰もいないところに乗り込む。
私達は2つの年齢別セクションに出場し、どちらも表彰台にのぼり国旗を掲揚した。
嬉しかったのはそれだけではない。
「君たちの踊りの好きだ」「君たちが優勝だと思った」「そんなこともあるさ、気にするな」「子供たちと写真を一緒に撮ってください」・・まったく面識のない日本人に観客や選手が声をかけてくれたり応援してくれた。
決勝の舞台で「One couple from JAPAN!」とわざわざ私達を最後にコールして敬意を払ってくれた。
表彰式後、選手同士のキス&ハグの嵐に私達も当然のように加わった。
その他大勢じゃなくて、その場にメインキャストとして存在している感じ。年齢別の小さな競技会とはいえ、現地まで行ったからこその成果と体験。
そして日本でも40歳近辺の選手から「励みになる」「勇気が出た」たと言ってもらえた。自分達の存在が誰かの励みになるなんて考えてみたこともなかたが、なんと素敵なことではないか。

もちろん日本では年齢別ではない競技会がメインだ。そんな中、アラフィフダンサーとして踊っている。純粋に自分達のチャレンジであり、誰かの励みになったらいいとも思っている。「アラフィフの星」。いつまでやれるかわからないけれど、そう思っている。

社交ダンスで社会貢献~母からのギフト
難病になってしまった母との日々。かえって私は沢山のギフトをもらった。
「進行性核上性麻痺」は、体幹から衰えていき段々動けなくなり発症から約5~6年で死に至るという脳神経系の難病、当時これといった治療法がなかった。母は家でも座ってることがないくらい動き続けてる人で、人のために何かをしてあげたいという気持ちが人一倍強い人だった。そんな人が意識がはっきりしたまま徐々に手足をもぎとらるように動けなくなるのである。本人のどこにもぶつけれらない悔しさを思うと何も言えない。その当時の私は必死だったのでそんな余裕がなかったのが悔やまれる。
とにかく、転倒防止をして少しでも長く自分の足で歩けるように、リハビリをしたいと母とブルースを踊った。社交ダンスの入門ステップのブルース、太極拳をしてバランスの良かった母がひどく苦戦している様子はとてもショックだった。一緒に手をとって踊るだけでなく、その前に拘縮している身体をほぐすための準備運動で工夫。動いた後はやはり歩行は改善する。
私の社交ダンス講師という経験で、手をとれば母のバランスを感じコントロールすることができ、音にあわせて踊ってもらえる。そして、社交ダンスがなぜ介護予防・認知症予防になるのか、何の要素が介護予防・認知症予防に役立つのか、身をもって体験させてもらった。これは、これからちゃんと伝えていきたい内容だ。

母が施設に入ってから、母の施設で社交ダンスのデモンストレーションをボランティアで踊らせてもらった。施設からのリクエストでもあったが、母にデモンストレーションを見せてあげたい!という気持ちが強かった。どんな曲を選んだら喜ぶかな?と、選曲・演技構成は今までやったことのないデモンストレーションになった。そして、昔の楽しかった事を思い出すのはとても幸せな時間なのだと教えてもらった。特に、「ふるさと」にのせて、ご利用者の方々の歌声も混ざって踊ったワルツはとても感動したのを覚えている。

こうして母の病気と向き合ったおかげで、「社交ダンスで社会貢献」という目標が増えた。これは母からのギフトだと思っている。


交流サロンを作りたい
「社交ダンスで社会貢献」と少々堅苦しく書いてしまったが、社交ダンスの様々な要素を切り取って伝えていくことでそれは可能なのではないかと思う。それと同時に、私はラテンダンスが得意だし大好きなので、ラテンダンスを気軽に楽しむ人を増やしたいという野望もあるのだ。
ラテンダンスは、1人でも踊れるし狭いスペースで十分だし音楽が楽しい。私は競技ダンスも好きだが、遊びでラフに踊るのもすごく好き。20代の頃はサルサも通っていた。もっと気軽に楽しんでもらいたい。
しかもラテンダンスは女性らしいしなやかな曲線のあるボディメイクにも役立つ。ボディメイクは立ってる時の美しさだけじゃなくて日常の所作や動きの中でしなやかさが出てこそだと思っているからオススメしたい。
この二つを叶えてくれているのが、地元川越でのつながり。
「地域に根ざしたダンス教室」をイメージしていたわりに、地域の横のつながりを作ってこなかったのに気が付いた。それが約5年前。川越に来て7年はたっていた。
ちょうど競技団体を移籍して競技会一辺倒だった生活からゆとりが出たからかもしれないし、40代突入というちょうどいい年齢だったのかもしれない。
川越近辺の人が楽しめるダンス交流会を開催したり、川越まちゼミや川越オシゴト女子の集いに参加したりして川越でお仕事をしている方と交流したり、ちょっとずつだが輪が広がってきた。
私の愛するスタジオは、駅近で便利で広くて明るくて気持ちのよい場所。そのスタジオに、たくさんの笑顔が集まったらいいな、他のジャンルの方達ともコラボできたら面白いなと思うようになった。身体やココロの元気のための地域の交流サロンにもなったら最高だ。
そして2020年5月。コロナの影響でオンラインでラテンダンスで身体とココロを健康的にリフレッシュできるような場所を作ってみることにした。まだ規模は小さいがオンラインでの輪も広がっていって気軽にラテンダンスのエッセンスを楽しんでくれる人が増えたら素敵だ。


「身体とココロのヘルシーライフ応援ラテンダンサー」おかだゆーこ。
社交ダンス講師という立場で、これからどんな事ができるのか楽しみである。
素敵な仲間と出会い、輪が広がることを祈って。

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