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【Vol.6】ペイ・フォワード⑦:みんなちがって、みんないい

さて、過去の章を通じて、「なぜ日本人女性が海外に流出するのか」について、議論を進めてきました。

海外在住日本人女性の1人である私から見ると、主に以下の理由が考えられるのではないかと思っています。

【なぜ日本人女性が海外に流出するのか】
理由① 日本人女性が活躍しにくい
理由② 日本の賃金が低い     
理由③ 多様化を受け入れるハードルが高い
理由④ 英語やその他の言語を学ぶ環境が整っていない
理由⑤ ワークライフバランスをとりづらい
理由⑥ 社会に出てからのワクワク感がない
理由⑦ 子育て世代やママさん世代の声が政治に反映されていない

前章にて理由①・②について触れたので、本章では、理由③の「多様化を受け入れるハードルが高い」について考察してみましょう。



多様性を受け入れるハードルが高い

●「周りと同じがよし」なニッポン

私の個人的な印象ですが、日本では子供の頃から、「周りと同じがよし」という考える傾向があるように思います。出る杭は打たれるのを好まないというか。

まず小学生になると、皆一様に、ランドセルを使い始めますよね。最近では少しずつ色やデザインの選択肢が増えてきましたが。

嗚呼懐かしい、ランドセル。(画像出典:SEIBAN)

そして中学・高校に上がると、今度は制服が待っている。私が通った公立中学校では、学校の制服はおろか、髪を結ぶゴムの色、靴下やスカートの丈まで決まっていました。

大学生になり、一瞬自由を堪能したかと思うと、3年生で待っているのが就職活動。ここでは、染めていた髪を一斉に黒髪に戻し、同じようなリクルートスーツを来て仕事を探します。

ザ・リクルートスーツ。(画像出典:MeetsCompany

そして、就職、結婚、出産。

我が子をお受験させたいとなると、今度はお受験ママ用の地味で無難なスーツが待っています。このようなレールを引かれていると、自分を表現するのはなかなか難しいですし、それが当たり前になってしまいます。

● クッキー・カッター

英語で、「クッキー・カッター」というスラングがあります。
直訳すると、クッキーを手作りするときの生地の抜き型のことなのですが、型にはまった個性のないものを表現するときにもこの言葉を使います。

機械的にクッキーの型をパカパカと生地に押していき、まったく同じサイズのクッキーができあがっていく…そんなイメージです。私は日本のシステムを見るたびに、クッキー・カッターだなあと思ってやまないのです。

それが居心地いいという方は何の問題もないのでしょうが、

「もっと自分を表現したい」
「私らしくありたい」

と思う人にとっては、窮屈に感じるのかもしれません。

これからの将来を担う若い世代の人達に、「この国だと自由に自己表現ができないから、海外に行ってしまおう」と思わせてしまっては、非常にもったいないなぁと思うのです。

今後更に多様性の意義が問われていく中で、これからの日本、もっと自由に自己表現ができる環境を整えてもいいのではないでしょうか。

同じクッキーがどんどんできていく、クッキー・カッター。


童謡詩人、金子 みすゞさんの歌にもありますが、「みんなちがって、みんないい」と私は思うのです(無秩序に何でもOKにしなさいというわけではありません)。

いまや、コンビニやレストランの店員さんの名札を見ても、日本以外の名前の方に出会うことも珍しくありません。スポーツ選手を見ても、日本人の名前や外見ではない方々もどんどん増えてきています。そして、日本代表のチームメンバーとして素晴らしい活躍をされています。

これからの日本では、ますますこのような多様化が進んでくるでしょう。イスラム教の象徴であるヒジャブを頭にまとった女性が同級生や同僚になる機会もあるでしょうし、お付き合いしている相手が同性なの~、という友達も珍しくなくなるかもしれません。

● イスラム教徒の生徒に教えてもらった「多様性」

私が教えているテキサス大学ダラス校では、アメリカ人はもちろんのこと、さまざまな文化や宗教をバックグラウンドに持つ学生が共に学んでいます。

毎年、春のラマダンの時期になると、イスラム教徒の学生達が一斉に断食を始めます。ラマダン中は、日の出から日没まで、水も含めて何も口にしてはいけないそうです。

ある日、学生の一人が、「先生、僕たちと一緒に1日だけ断食をやってみない?」と提案してきたので、興味本位で1日限定で一緒にやってみました。

これがまあ~、大変だった!
水も口にできないというのがこんなにツライとは。

日が沈むと共に、その日のラマダンの終わりを示す象徴的作業としてドライフルーツのナツメの実を1粒食べるのですが、それを学生からもらって口に入れた時、命をもらったような気がしました。

その日のラマダンの終わりに食べる、ナツメの実


それにしても、ラマダン中はサプライズの連続です。

祈りの時間になると、授業の真っ最中であっても、突然クラスのイスラム教の学生達が一斉に立ち上がり、教室をぞろぞろと出ていきます。最初はビックリしましたが、今では「そっか、今ラマダンだもんね」という感じで動揺することなく、淡々と授業を進められるまでになりました。

ちなみに学生によると、祈りの時間は携帯のアプリでチェックするそうです。何ともイマドキですね。


私のクラスには生徒が50人ほどいるのですが、ある日のラマダン中に、イスラム教の学生1人が、マクドナルドのハンバーガーをクラス全員に(50人分なので50個!)持ってきた日がありました。

何事かとビックリしてその学生に聞いてみたら、ラマダン中は食べ物のありがたみを皆でわかちあい、他人によい施しをすべき時期なため、クラス全員にハンバーガーを買ってきたというのです。もちろん学生達は皆、大喜び。私も1つ、ありがたく頂きました。

このように、自分の理解や常識を超えた場面に出会うなど、「多様性」を受け入れるのはサプライズの連続かもしれません。でもオープンマインドな姿勢を持って、相手を思いやり、お互いを尊重し合う心を持って共生していくことで、よりよい社会を築いていけるのではないでしょうか。

2023年12月31日に実施された第74回NHK紅白歌合戦のテーマが「ボーダレス」だったように、今までの境界を越えていこう、と日本も少しずつ新しいチャレンジに挑んでいるのかもしれませんね。

2023年12月31日に実施されたNHK紅白歌合戦(出典:ORICON)



多様性の中で忘れてはいけないのが、様々な言語。
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