岸川祐子(ゆうこ先生)

(一社)強みプロ育成協会の代表。「ヒトを育てる人」と向き合うことを生業にするコンサル先…

岸川祐子(ゆうこ先生)

(一社)強みプロ育成協会の代表。「ヒトを育てる人」と向き合うことを生業にするコンサル先生。巨大動静脈奇形(指定難病280)の患者。患者視点での経緯や経験・思いを綴ります。

最近の記事

  • 固定された記事

「動静脈奇形」ってどんな病気?

「動静脈奇形」は血管腫・血管奇形の一種で、2015年に厚生労働省で指定された難病です。 私は右上肢(右手右腕)の動静脈奇形の患者ですが、顔に発症する人もいれば、足に発症する人もいます。 四肢、頚部、顔、脳、臓器など、全身のどの部位にも発生しうる先天性の難病なのです。 難病情報センターさんのサイトでは以下のように説明されています。 おそらく、この病気の患者さんは生命の危険と隣り合わせでありながらも、医師の指導や治療を受けたり自分なりにいろいろ工夫したりしながら、日々を生きて

    • 動静脈奇形が急に進行した要因を振り返る(あくまで私の場合)

      そして、この記事を書いている2024年2月。 ようやく出血のリスクや激しい痛みに支配されることなく、穏やかに毎日を過ごせるようになりました。 先生たちに血管内治療を繰り返しやってもらったり、慎重に経過を診てもらったおかげで、右手の親指の皮膚は健康的な色になり、少し細くもなりました。 一方、親指に流れすぎていた血流が良い塩梅でストップした分、今度は右手の母指丘・小指丘・手背に浮腫みを感じるようになりました。つくづく、一筋縄ではいかない病気だなぁと実感してます。 今後もどんな症状

      • 3回目の手術(血管内治療)で見えてきたこと(2024年1月10日~12日)

        2024年1月10日。 ○病院に再入院し、翌日、放射線科のB先生による3回目の手術(血管内治療)に臨みました。 「今回も塞栓物質が私の右手に注入されるのね。今回のはコイルかな?接着剤かな?」 と、しょーもないワクワク感を抱いて手術台に横たわりました。 しかし結論としては、無水エタノールを注入する程度に留められたのでした。 治療のターゲットだった母指丘の血管の交通網があまりに複雑すぎるため、必要以上にいじらない方がベターだろうという判断になったからです。 その日の夕方、

        • 潰瘍上皮化の兆し?術後合併症の兆し?(2023年12月中旬~末)

          12月10日(日)の午前。 いつものように自宅でドレッシングをしていたら、上皮化の兆しを見せていたはずの潰瘍の肉芽が、突如ぷっくりと赤く張り出しているのを確認。 それはまるであずきサイズのゼリービーンズのようで、2日前にドレッシングした時とは明らかに変化しているのです。しかも、少し痛みも感じました。 「これは血豆?過剰肉芽?それともこれがウワサの『合併症』の兆し?」 ※過剰肉芽とは、文字通り肉芽が過剰となり上皮化がストップしている状態のことを指します。肉芽が盛り上がるため出

        • 固定された記事

        「動静脈奇形」ってどんな病気?

          血管内治療を終え、退院後の経過(2023年11~12月)

          二度にわたる動静脈奇形の血管内治療を終え、約2週間の入院生活から解放されましたが、形成外科のA先生からは退院後に合併症が起こる可能性があることを予告されていました。 手術後2~3週間経ったら、血管内治療の時に入れた塞栓物質(医療用接着剤)が皮膚から溢れてきて、ジュクジュクしたり感染したり出血したりするような合併症が起こるかもしれない 場合によっては自宅で止血コントロールができなくなり、また入院してもらい処置することになるかもしれない 合併症はいつどこで、何がきっかけで発

          血管内治療を終え、退院後の経過(2023年11~12月)

          約2週間の入院生活(2023年10月20日~11月1日)

          動静脈奇形の血管内治療をする際は、数日の入院が必要になります。 基本的に出血などの目立った症状を伴っていなければ、入院期間は概ね3~4日程度なのだそうです。 ※ただし、病変の状況や部位、経過等により個人差はあるはずです。 でもこの時の私はおそらく、外来で大出血し重症ゆえ慎重に経過観察すべき患者、という扱いをしていただいたのだろうと思います。 特に顕著だったのが貧血でした。そして親指の状態が良くなかったこともあり、思いのほか入院は長引き、約2週間の入院生活を送ることとなりまし

          約2週間の入院生活(2023年10月20日~11月1日)

          緊急手術からの入院(2023年10月20日)

          約3時間の緊急手術を終え、運ばれた先は「ICU」でした。 外来での大量出血により緊急手術となったので、ハイケアでの術後経過観察が必要と判断されたのでしょう。 「ベッド上安静」を言い渡され、点滴やら血圧計やら心電図やらあらゆる管にまみれた状態で寝ていたら、有休を取って自宅で待機していた私の旦那さんが、着替えやパソコンなどを持ってICUに駆け付けてくれました。 さらにしばらくすると、形成外科のA先生がICUに現れ、旦那さんにいろいろと説明をしてくれました。 今日は命を優先させ

          緊急手術からの入院(2023年10月20日)

          まさかの緊急手術➁(2023年10月20日)

          【注意⚠️】この記事は手術時の描写があります。苦手な方は精読をお控えください。 外来受診中に動脈性の大出血をして即時緊急手術が決定し、手術室(血管撮影室)に運んでいただいた10月20日の午後。 その日の外来を中止し、私の手術に立ち会わざるを得なくなった形成外科のA先生が、手術台の横で私に言いました。 「ここまで来たので僕もひと安心です。あとはB先生に(血管内治療)やってもらうだけですからねー」 A先生にとっても、外来であれほどの大出血になったのは初めてだったそうです。

          まさかの緊急手術➁(2023年10月20日)

          まさかの緊急手術➀(2023年10月20日)

          【注意⚠️】この記事は出血・処置等の生々しい描写があります。苦手な方は精読をお控えください。 2023年10月20日。 その日はいつもの形成外科外来受診日でした。 入院・手術(血管内治療)直前の外来受診日で、潰瘍や出血の状態を確認しドレッシングしてもらって、「では10月24日に入院し、翌日手術でお世話になりますのでよろしくお願いします!」と形成外科のA先生に挨拶する日 ……のはずでした。 ところが10:00頃に診察室に入り、A先生と会話しながらドレッシング材を取ってもら

          まさかの緊急手術➀(2023年10月20日)

          血管内治療「硬化療法」の説明を受ける(2023年9月25日)

          「血管内治療」とは、血管腫・血管奇形の治療法のひとつです。 具体的には、カテーテル(管)を血管内に挿入しリアルタイムで血管撮影をしながら血管の構造や血流を捉え、異常血管に詰め物(エタノールや医療用接着剤・コイルといった塞栓物質)を入れることで病変の血流を変え症状を改善するための治療法です。 「硬化療法」「塞栓術」と言ったりもします。 この手術は放射線科の先生にやってもらうことになるので、形成外科のA先生から「放射線科のB先生の外来で説明を受けてください」と言われていました。

          血管内治療「硬化療法」の説明を受ける(2023年9月25日)

          動静脈奇形ステージⅢの経過(2023年9月2日~10月18日)

          【注意⚠️】この記事は出血・処置・痛み等の生々しい描写があります。苦手な方は精読をお控えください。 9月1日、○病院形成外科で血管腫血管奇形の専門医・A先生に診察してもらい、9月28日に造影CT検査、10月20日に外来受診で治療方針を決める!という段取りを組んでいただきました。 先生の言う通りにしてみよう!と決意した一方で、自社の仕事を当面どうしていくかを考えたり調整したりしないといけません。 顧客先・関係各社(者)に連絡して状況を伝えると、さまざまな反応をいただきました

          動静脈奇形ステージⅢの経過(2023年9月2日~10月18日)

          動静脈奇形ステージⅢの経過(2023年8月30日~9月1日)

          【注意⚠️】この記事は出血・処置・痛み等の生々しい描写があります。苦手な方は精読をお控えください。 8月30日の夜、右手の親指の潰瘍から動脈性出血を発症しました。実に25年ぶりの出血です。 救急車で○病院に搬送されると、形成外科の当直医の先生が対応してくれました。 救急外来の処置室に入り、圧迫止血のために覆っていた被覆材(ヘモスタパッド®)をそっと外すと… 「あ!止血してる!」 処置室に安堵の空気が流れました。 (注: ヘモスタパッド®は止血促進作用のある被覆材です

          動静脈奇形ステージⅢの経過(2023年8月30日~9月1日)

          25年ぶりの動脈性出血(2023年8月30日)

          【注意⚠️】この記事は出血・処置等の生々しい描写があります。苦手な方は精読をお控えください。 8月末頃になると潰瘍が10mm弱ほどになっていました。もうハイドロコロイドでは滲出液を吸収しきれません。 他の創傷被覆材(プラスモイスト®)で保護し、9月上旬に○病院で診てもらうまでは何とか乗り切ろう…と思っていました。 そして、8月30日の夜。 いつものように右手のドレッシング材交換をしようと慣れた手つきで包帯を外し、被覆材を取った瞬間、右手親指の付け根からピューっと赤いものが

          25年ぶりの動脈性出血(2023年8月30日)

          動静脈奇形ステージⅢ進行の兆し(2023年7月)

          時は一気に進みまして、2023年。 私は個人事業主の研修講師業を廃業し、人材育成のコンサル会社の代表をやっていました。 中小企業から大手企業を対象に、フツーの研修会社やコンサルタントがやりたがらない人材育成のアプローチを開発しようと、チャレンジの日々を送っていました。 「チャレンジ」というと聞こえは良いですが、実際は暗中模索・五里霧中。 自分は何をすべきかを四六時中考え、顧客先各社でのシビアな会議を睡眠中の夢の中でも見る毎日。 「人材育成って24時間体制なんだなぁ」と自分

          動静脈奇形ステージⅢ進行の兆し(2023年7月)

          動静脈奇形の告知から、その後の経過(1993〜2011年)

          U先生に「あなたの病気は難病だけど仲良く付き合えばいいんだよ」と言われて以来、私はごく普通の学校生活を送りました。 そして20歳になる頃、1993年の夏休みに病変の一部を切除する手術を受けました。 就職して社会人となり、特に支障なく働いていましたが、2000年に右手親指に潰瘍ができ動脈性出血。再び入院して硬化療法と塞栓術(橈骨動脈を縛る)を受けました。 そんな経過を辿っているうちにU先生は高齢となり引退。 U先生の後輩にあたるT先生に経過を診ていただくことになりました。

          動静脈奇形の告知から、その後の経過(1993〜2011年)

          「動静脈瘻」の告知を受けるまで(1980年頃)

          動静脈奇形(当時は「動静脈瘻」)と告知されたのは、私が小学生の頃です。 それまでは右手と左手の表面温度に差があるのを、両親が少し気にかけていた程度でした。 ところが小学校に入学する頃に、右手の親指と母指丘が少し膨張し始めます。 保育園の卒園式の写真をよく見てみると、右手の親指が少しぷくっとしているのがわかります。 かかりつけの小児科では「様子を見ていれば良いでしょう」と言われていたようです。 ある日、私が「足が痛い」と訴え、地元の大学病院の整形外科で検査をしました。 結果

          「動静脈瘻」の告知を受けるまで(1980年頃)