私の山登り12ヵ月
気が付けば、12月。手袋はどこにあったかなと、タンスの中をガサゴソと探し、慌てて家を出た。
時折、ヒンヤリとした風が吹く中、地元京都の街を歩いていた時のこと。視界の先に、驚くほどオレンジ色に染まった大文字山が見えた。高く昇った日の光に照らされて、山並みが煌々としていた。
ちょうどその数日前に、友達とそのオレンジに染まった山に登りに行ったところだった。あの時が紅葉最盛期だと思っていたけれど、また表情を変えている。あまりの美しさに、思わず頬がほころぶ。
春も夏も、秋も冬も、四季の移ろいとともに、大文字山へと足を運んだ。この山は、私にとっては親しみのある山のひとつ。
また今年は、もっと身近な山に登ってみようという、私なりのテーマがあった。北アルプスや北海道といった規模が大きい山だけでなく、関西近郊の山々を歩き、山と親しくなっていくことを目的とした。
その結果、2023年はどんな山に登ったのか。振り返りの意味も込めて、書き出してみた。
これを見て、「こんなに登ったの?」と思う人もいれば、「案外少ないね」と思う人もいるだろう。また、知っている山、登ったことのある山を見つけたという人もいるかもしれない。
書き出してみて私が感じたのは、「私らしい山歩きをしていたのだな」ということ。
けれど、そんなふうに言ってみたところで、「私らしい」なんて、今の私にしかわからない感覚だ。「らしさ」は、四季のように移ろいゆくところがあり、あいまいなものである。だからこそ、そこをあえて深めてみたい。
今思う「私らしさ」って、いったいどんなものなのだろうか。
今、「『私らしさ』を感じた山登り」を噛み砕いて伝えるとしたら、私にとっては、時間と距離をかけることなのかもしれない。
例えば、近郊の山を、あえて1泊2日や2泊3日かけて歩くルートでいく。また日帰りだとしても、縦走路を選択して歩く。できるだけ長く、のんびりと稜線を楽しめる山を求めて。時には、ガッツのある岩登りも取り入れて。
こうして、自然と興味の湧く方を選択することが「私らしさ」を叶える山登りになった。
大切なことは、決して無理はしない。そして、開放感のあるひと時にする。それが山に登るときの唯一の決め事かもしれない。
数年前までは、徹夜で車を運転して、片道5〜6時間かけて遠くの山に登りにいくこともあった。日帰りで、関西から四国の山に行くこともあった。
けれど今年は、片道4時間くらいかかるところだとしたら、行程に合わせて前日の夕方や、当日の早朝に出発するようになり、移動も含めて無理をしない選択をするようになった。これがめちゃくちゃ心地のよいスタイルとして、はまっている。
登山中に、「しんどい登りだな」と思うことはある。けれど、そのしんどさによって、全身の血液が巡り、筋肉が動き、いつの間にか心地よい開放感が、体の内側に生まれていることもある。
景色を見て体が緩むこともあるし、一緒に歩く人や、山で出会った人と話をしていることで、わくわくしたり、心が緩んだり、気が引き締まったりすることもある。
それら全てが、開放感のあるひと時だ。
登山をする知り合いの中には、すでに1年後の山のスケジュールまで立てている人たちも少なくない。私はどちらかというと、先の予定を細かに立てておくほうではないので、感心してしまう。
とは言え、あまりにぼーっとしていたら、各山のベストシーズンを逃してしまうので、今年は例年になく、山の雑誌を読み、行く山を調べることをした。
山仲間が集う場所で、情報収集をしたり。そこで、様々なスタイルで山を楽しんでいる人たちにも出会い、「それもいいな」と思ったアイデアを、次の山旅に取り入れたりしてみた。
また、行動食を変えたり、ジムに通い始めたり、山道具を新調したりして、心地よい体の使い方を知ることもできた。
「私らしさ」とは、行動していく過程で生まれるものではないだろうか。行動しながら、選択を繰り返し、合う合わないを肌で体感して、「私らしさ」という着地点に収束させていく。
さらには、そのスタイルで行動し続けていき、また「私らしさ」に磨きをかけていく。そこに、自信が生まれてくる。こうして自信が生まれるから、また行動する気力が湧いてくるのだ。
「私らしさ」とは、いつまでも成長してゆくものなのだなぁと思う。
2024年の山登りは、今までの山登りを磨く年。体を動かす心地よさ、体を動かすことで得られる喜びを、もっともっと体感していきたいなぁと思う。
最後に、たくさんの出会いと、喜びと、感謝をもたらしてくれた山たちへ。そして、山歩の記録を読んでくださった皆様に、感謝を込めて。
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