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夏休み、スマホを取りにきた女の子


あ、ケータイ。

駅の公共用トイレを
利用させてもらったときに見つけた。
トイレットペーパーホルダーの上に、
その銀色と同化するかのように
置いてあった。

ここね、置きがち。忘れるよね。

持ち主がわからないその人に
共感を覚える。

さて、これはどうしようか。
普通なら忘れ物を保管してくれる
駅のインフォメーションセンターに
届けにいく。

けれど、もしかしたら
持ち主が走って戻ってくるかもしれない。

私なら、誰の手にも渡らず、
変わらずそこにあるほうがホッとするだろう。

だから一旦は置いておくことにしようとした。

でも、そうだった。
ここは新幹線が停まるような
ビッグな駅の公共トイレだった。

夏休みが始まっている。
駅はバカンスな人たちで混み合っていた。

だから、放っておくのも
良くないかもしれない。

やっぱり置いておかず、届けることにした。

ピンクゴールドのスマホの画面をオンにする。
もちろんプライバシーもあるので、
ロックを開けて中身を見ることはしない。

着信が来ていたり、
持ち主が何か探しているサインが
あるかもしれないと思ったのだ。

待ち受けは、
真っ黒に日焼けした子供の写真だった。
小学生くらいの子。

アップで画面に写りすぎていて
正直、女の子か男の子かわからないくらい。
活発そうな子だった。

ということは、
持ち主は40代くらいの母親世代。
待ち受けには天気のスレッドが出ていて
地域は「金沢」と。

これは、もしかしたら
気づかぬうちに電車に乗った可能性も
あるかもしれない。

まずいな。
しかし中身を開けずとも、
待ち受けでここまで情報が
読み取れるのも、なかなか怖いな。

そう思いながらドアを開けると
目の前に待ち受け画面の子が
リアルに存在していた。

女の子だった。

何か深刻な面持ちでソワソワして、
トイレの奥の方を見ている。

ケータイかな?

そう言ってスマホを見せると、

「お母さんの‥!」と

震えた声をあげていた。

スマホを受け取ったその子は、
「は〜、お母さんの‥」とまた呟いていた。

さっきまでの
張り詰めた緊張の糸が解けたようで、
両腕をダラリと垂らし、背中を丸め、
大きなため息をついていた。

漫画のキャラクターを見ているようだった。
どれくらいの時間かはわからないけれど、
めちゃくちゃ心配して
心をすり減らしただろう。

良かったね。渡してあげてね。

そう伝えて、その子とお別れした。

旅の意地悪でおもしろいところ

旅での小さなトラブルは、
その時はモーレツに焦るし、
何でこんな目に遭っているんだと
思うときもある。

でもそんな経験が、後から振り返ると
旅のスパイスになってくれることは
間違いなかった。

「楽しかったね」の一言では
終わらせないのが、

旅の意地悪で味わい深いところ。

それがひと味もふた味も、
豊かな体験と学びにしてくれる。

飛行機乗り遅れたよねー。とか
真夜中にヒッチハイクしたよねー。とか
宿泊先の建物の扉が開かなかったよねー。とか

あの時はどうしようかと
思ったような出来事ほど、
今振り返ると面白い。

旅のトラブルは、
無いに越したことはないけれど
案外あっても楽しめるものかもしれない。

あの子にとってさっきの出来事は、
きっとハラハラドキドキした
京都旅行のワンシーンだったと思う。

けれど、
「あの時お母さんが
スマホ無くして大変だったよねー。」って
後から笑い話に変えられてたらいいな。

あ、でもさっきの出来事が、
私にとって何かの伏線になったら困るので、

スマホの置き忘れには注意したいと思う。


▼8/10 電子書籍「ひとりごとからはじまること」出版いたします。


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