『山小屋ガールの癒されない日々』は、本当だった
気づいたら休憩時間終了の5分前だった。
ぐっすり眠っていたらしい。
気づけば、山小屋生活21日目。
休みなく働き続けていたのでだいぶ疲れが溜まっていたみたいだ。
この1週間は忙しくて、ダルさと寝足りなさがあった。天気がいいと眺望がよく見えて良い反面、登山者が多くなるので山小屋は忙しくなる。ちょうどいい塩梅は、ないものだろうか。
昔、『山小屋ガールの癒されない日々』というエッセイを読んだことがある。
「山小屋で働くことの大変さ」が綴られていたことに驚いたのを思い出した。
山で働くなんて、自然に囲まれてて幸せに決まっている。「癒されない」なんてウソだ‥。
読み終わってもそういった気持ちが拭えなくて。
でも実際に山小屋で働いてみると、本当に「癒されない日々」なのだ。
朝起きて、朝ごはんの準備をして、登山者の食事が終わったら食事をとる。それも15分とかで終わってしまう。その後掃除をして、その間も通過の登山者の対応をして、あっという間にお昼に。そして夕食の準備。17時から夕食時間で、すべて片付けてから夜ご飯だ。
夜はくたくたで、あっという間に朝になる。
なんだかずっと、バタバタとしている時もある。休むことが許されないような。ホッと一息つけるタイミングがなかなか無い日もある。
ヘリが来て、荷物を届けてくれる日なんかは、それの対応で休む暇がなくなる。ヘリは晴れた日で、視界が良くないと飛ばない。晴れた日は登山客も多いから、ハードな1日になるのだ。
今まで、山歩きをして、山で泊まることはたくさんしてきた。山で過ごす時間は、いつものんびりしていた。食べることや寝ること以外は、本を読んだり、談笑したり。「やることがない」というのが醍醐味だったりする。
自然の中に身を置いて、自然の音や温度に意識を向ける。そしてゆっくりと自分の内側と対話する時間がある。それが山で過ごす、愛おしい時間。
でも、それは登山を支えてくれる人たちがいるからだった。山小屋を運営してくれる人たちがいるから。安心して過ごせる寝床を用意して、登山道を整備して、道迷いの登山客を捜索して、安全に山を歩けるように支えてくれる人がいるから、快適な山登りができる。
わかってはいたけれど、その立場を経験して、実際に山登りを支えてくれる人たちの側にいることで、今その有り難さを肌で感じている。
滑落などの事故が起きれば、警察や山小屋の人たちなど、何十人という人が動く。その現場を見ていると、安易な気持ちでの登山はするべきではないと心の底から思う。
こうした人たちがいることに感謝の気持ちを思う反面、私は「山で働く」よりも、「山で遊ぶ」ほうがやっぱりいいなと思う。
マイペースに過ごせることが、私にとっては、何よりも大事。何かを受け取ろうとか、達成しようとか、そうした心意気というのではなく、
ただ自然に身を委ねるという感覚が好きなのだ。自然に身を委ねることができたら、必要な気づきや、大切にしたいものにちゃんと近づけるのだ。
ゆっくりと星を見上げられる真夜中の時間。
ほっと一息つける朝の時間が、今は愛おしい。
その時間をもっと味わいたい。
集中して筆を持てる時間がほしい。
そんな生活が、私にとっては大切なのだと思う。
いろんな生活をしてみると、大切にしたいものが見えてくるんだなぁ。
とんな場所にいるかも大切だけれど、どんなライフスタイルが良いのかをクリアにしていくことが、それよりも先に考えておきたいことなんじゃないかと思う。
どんな生活がしたいのか。
譲れないことは何なのか。
それに見合う仕事は何なのか。
「好きを仕事に」だけでは物足りないのはここなのだろう。「山が好き」だけでは、叶えたい生活は叶わないのだ。
『山小屋ガールの癒されない日々』
また下山したら読んでみよう。
今度は共感できそうなことが、たくさんありそうだ。
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